腎不全の病を抱えながら
文字通り「命を賭けて」続けられた映画制作


2002年5月に脳梗塞で倒れた小林茂監督はその後、原因が腎臓の病にあることを知ることになります。2006年春、既にその機能を停止しようとしていた腎臓を抱えた小林監督にとって、ケニアでの長期取材は文字通り命がけの決断でした。しかし、人工透析を始めてからでは海外取材は不可能という思いから、もしもの時にはすぐに透析に入れるように動脈と静脈をバイパスする "シャント" を作る手術を先にして、万全の体制で現地入りをすることになります。ケニアでは予想以上にしっかりとした医療設備とJICA医療班のケアを心強く感じながらも、難航する撮影、極度のストレス、ポンコツ車で悪路を長時間走るような毎日を送るうち、次第に体調を崩し、ついには慢性的に血尿が出るほどにまで悪化します。そして無事に帰国した後、すぐに容態が急変し人工透析を開始。その後の週3日透析をしながらの編集生活中もなかなか容態が安定せず、度々長期の入院を繰り返す事になります。そして2008年3月。いよいよ編集が佳境に入り、ついに関係者全員が「これだ!」と思えるものが見えたその夜、突然また以前の脳梗塞の時のような感覚を訴え、急遽救急車で搬送。幸いにも事無きを得ましたが、編集中は常に耳鳴りやめまい、発熱や不眠などと闘いながらの命がけの映画制作となりました。一方で監督自身は冗談半分に、「透析患者初の映画監督」として名を売れるのではないかと目論んでいるようです。


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