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第1回 四天王プロレスが始まったあの日

 手前ミソなインタビューもようやく(?)終わり、今回からいよいよ四天王プロレスコラムがスタートします。様々な選手の感情が複雑に入り交じったひとつの時代をどうやって切り取るのか。ハッキリ言ってなんにも考えていません……。なので、形にこだわらずに、時系列も気にしないで、抗争や大会、人物、事件などに照準を絞り、当時の自分の気持ちを思い出しながら、とにかく書いていこうと思っております。インタビュー企画などもいつかできればと考えていますので、よろしくお願いします。(村上)


 四天王プロレスが始まったのはいつか?スタイル的に言えば、ジャパンプロレス勢や天龍源一郎が繰り広げていた戦いから影響を受けているのは明白だ。もちろん天龍たちが去った後に始まったジャンボ鶴田と超世代軍の激闘において、既に試合内容は出来上がっていたと思う。
 ただ、本当の意味で四天王プロレスがスタートしたのは、当たり前の表現となるが、三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太(現・建太)の4人がリング上で並び立ったその瞬間だと僕は考えている。

 90年代初頭の全日本マットは最初こそ天龍たちの離脱によるダメージが心配されたものの、鶴田やスタン・ハンセンの牙城に三沢、川田たちが挑むという明確なテーマを持った戦いがプロレスファンに高く評価され、凄まじい人気を博していた。
 しかし、92年11月に鶴田が長期欠場に突入。それまでのパワーバランスが一気に崩れてしまった。鶴田が抜けた正規軍は田上、渕正信、小川良成しか残っておらず、超世代軍に対抗する力はなかった。デビュー直後の秋山準が田上とタッグを組み、その年の『世界最強タッグ決定リーグ戦』に出場したものの、やはり戦力不足は否めない状態だった。
 その閉塞感を打ち破ったのが川田だった。前年に三沢との三冠戦を経験したことで一つの区切りを付けた川田は、93年のチャンピオンカーニバルを最後に超世代軍を離脱することを発表。さらにこれまでライバル関係にあった田上とタッグを組むことを決断し、全日本マットに大きなうねりを起こしていく。
 そして、川田&田上組が始動する93年のスーパーパワーシリーズがやってくるのだ。

 93年6月1日、東京・日本武道館、川田&田上vs三沢&小橋。シリーズ前からカードは決定していたが、当初はノンタイトル戦が予定されていた。しかし、川田&田上組は開幕戦でアジアタッグ王者の小橋&菊地毅組に完勝、その勢いのままにテリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス組も撃破し、一気に世界タッグ王者となった。それまで凄まじい抗争を繰り広げていた川田と田上がタッグを組むこと自体にインパクトがあったが、互いのライバル心が相乗効果を生み、タッグチームとしての実力も急成長したのである。川田組がベルトを巻いたことで、武道館決戦もタイトルマッチになることが決定した。川田が抜けたことで超世代軍NO.2としての覚悟を持つようになった小橋は、元三冠王者のテリー・ゴディからシングル戦で勝利。三沢もチャンカー優勝者のハンセンを降して三冠王座を防衛し、絶好調で武道館大会に臨んだ。

 この武道館大会は他の注目カードもなく、このタイトル戦1試合のみで勝負した大会だった。動員的にも厳しいのではないかという声も少なくなかった。僕個人も一ファンとして妙に緊張した気分で、武道館に向かったのを覚えている。

 しかし、そんな心配をよそに、超満員に膨れあがった日本武道館を包み込んでいたのは、なんとも言えない期待感だった。長い間プロレスを観てきたけれど、未だにあんな期待感を感じたことはない。「この大会から何かが始まる…」根拠はないけれど、絶対にそうなるという確信を武道館の観衆は持っていたのだと思う。

 僕の記憶にも試合内容や結果よりも、その期待感が印象に残っている。入場前のざわめき、テーマ曲がなった時の大歓声、仲田リングアナのコール、沢山の紙テープ……。少しずつ少しずつ観客のテンションが上がり、選手の表情も変わっていく。そして和田京平レフェリーが指示してゴングが鳴らされた瞬間、全てが必然だったように四天王プロレスがスタートしたのだ。

『93’スパー・パワーシリーズ』
★1993年6月1日(火)東京・日本武道館 観衆16300人(超満員)
▼世界タッグ選手権試合 60分1本勝負
○川田利明、田上明(第22代王者)
vs
三沢光晴、×小橋健太(挑戦者)
(29分12秒 エビ固め※パワーボム)
※川田&田上組が初防衛に成功




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