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第3回 三沢と川田と当時の僕(2)

 全日本プロレスにドップリと浸かる生活がスタートした。まずはプロレスを勉強することが大切。コンビニに行き、専門誌を立ち読みすることから始まった。同時期に兄もプロレスを観るようになっていたので、強引に週刊ゴングを毎週買わせることに成功すると、今度は東スポやファイトが気になり始める。僕は部活帰りに店員の目を盗んで、スポーツ新聞の立ち読みという荒技をするようになっていった。
 ビデオコレクションを作るべく、全日本プロレス中継の録画も始めた。我が家には未だに92年最強タッグからの中継映像が眠っている。
 中学3年になる直前の春休みにやっと日本武道館でプロレス初観戦。シングル5大決戦として行われた三沢vs田上の三冠戦、川田vsハンセン、小橋vsスパイビー、渕vs菊地、秋山vsゴディの5試合を堪能した。同級生9人で武道館2階の一番後ろでの立ち見観戦だったが、興奮して声を出しすぎてしまい、休憩時間で既にノドが枯れていたのは今になってみれば笑える思い出だ。
 中学3年になると、部活も最後の大会を迎える。その当日に真裏で行われたのが、三沢vs川田の2度目の三冠戦だった。
 1年前の10月に対戦した三沢と川田はすんなりとタッグチームに戻り、その年の最強タッグを制していた。しかし、鶴田の欠場により、対鶴田軍の対立概念が弱まると、全日本マットが停滞し始める。その中で川田は超世代軍離脱を決意。この年のチャンピオン・カーニバル後に超世代軍を離れ(チャンカーでも三沢vs川田が実現し、三沢がランニングエルボーで川田を失神に追い込み勝利している)、田上とのタッグを結成。一気に殺人魚雷コンビを破り世界タッグ王座を獲得すると、三沢&小橋組を相手に防衛戦を行い、ここでも勝利。結果を残したことで、川田は三沢との再戦をアピールし、次のシリーズとなる『サマー・アクションシリーズ』での三冠戦が決定した。
 と、ここでももっともらしく流れを書いていたが、初の四天王対決となった6月の武道館大会は観戦したものの、またもや三沢vs川田戦の会場に僕は行っていない。前述の通り部活の試合とバッティングしたため、泣く泣くそっちを優先したのだ。
 しかし、テレビで見てもこの試合は本当に壮絶な試合だった。20周年記念で行われた華やかな前回の三冠戦とは違い、ゴツゴツとした打撃戦がとにかく目に付く。三沢のエルボーがもろにアゴに入れば、川田のジャンピングハイキックは確実に顔面を打ち抜いていく。なんと顔面パンチまで打ち合う場面も見られた。
 三沢と川田が向かい合うようになったことで、2人はファンが驚くほど感情的なファイトをするようになった。もちろん鶴田やハンセンに挑んでいる時も三沢や川田からほとばしるような気持ちは感じられたけれど、2人が直接ぶつかり合う時に巻き起こる感情はもっと生々しいものだったと思う。怨念、執念、意地――“絶対に負けたくない”と“絶対に勝ちたい”が激しく交錯する試合は、どこのどんなプロレスよりも刺激的だった。
 最後は三沢が非情な投げっぱなしジャーマン3連発で川田を半失神に追い込むと、強引に立ち上がらせタイガースープレックスホールドで3カウントを奪取した。
「自分でも戸惑ったけど、自分に言い聞かせてやったよ。なんか悲しかったね」と試合後に語っていたという三沢。それまでは“ガラスのエース”と揶揄されることも多かったが、川田と対戦することにより、三沢の鬼神とも言われるほどの強さが際立つようになってきたのだ。
 ゾッとするような熱戦を見終えた僕の中には表現しようのない感情でいっぱいになっていた。人間の汚さや怖さ、弱さ、そんな生々しい感情をここまで目の前に突きつけられたことはこれまでなかったから、自分の気持ちがパンクしそうになっていた。そして、なにより表面的なものではなく、根本的なところから湧き出てくる人間の強さを感じ取ったのだと思う。「もうこんな試合を見逃すわけにはいかない」とすぐさま次回武道館のチケットを購入。この試合をきっかけに、全日本プロレスの武道館連続観戦は記者生活を始めるまで続くことになった。
「三沢は川田を完膚無きまでに叩き潰した…。この2人の三冠戦はもう見られないんじゃないだろうか?」
 そんな思いも感じていたが、翌年、川田は“3度目の正直”を果たすべく再び三沢の前に立つことになる。

『93'サマーアクションシリーズ』
★1993年7月29日(木)東京・日本武道館 観衆16300人(超満員)
▼三冠ヘビー級選手権試合 60分1本勝負
○三沢光晴(第10代王者)
vs
×川田利明(挑戦者)
(25分53秒 猛虎原爆固め)
※三沢が4度目の防衛に成功




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