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第4回 三沢と川田と当時の僕(3)

 川田を完膚無きまでに叩き潰し、三冠王座が統一されて以降の記録となる4度目の防衛を果たした三沢は、続いて殺人バックドロップを解禁し小橋を破って挑戦権を獲得したスティーブ・ウィリアムスを返り討ちにする。さらに、前王者スタン・ハンセンと対戦では試合中に胸部を負傷するアクシデントに見舞われながら、回転エビ固めで技ありの勝利。ブーイングを浴びながらもV6を達成した。最強タッグ決定リーグ戦も川田&田上、ハンセン&馬場という強力タッグを抑えて、小橋とのコンビで優勝。5冠王という最高の形で93年を終えた。そして、94年、エキサイトシリーズ最終戦となる日本武道館大会では馬場越えを達成。名実共に全日本プロレスのエースとなった。
 その頃、川田がどうしていたかというと、もちろんただなんとなく過ごしていたわけではない。毎日のように超世代軍と激突し、実力行使で聖鬼軍をアピールしていた。危険なキック、急角度のパワーボム、さらにはバックドロップや投げ捨てジャーマンなどで三沢や小橋、秋山たちを何度もKO寸前まで追い込み、たとえ注目されていない試合でも三沢たちには絶対に負けたくないという熱い気持ちをアピールしていた。
 高校受験を控えていた当時の僕は、友達に連れられて後楽園ホールでの初観戦も実現。受験日当日に新日本の武道館ぶ、合格発表の日には全日本の武道館にそれぞれ足を運び、一歩一歩マニアへの道を進んでいた。
 そして、迎えるのは“春の本場所”チャンピオン・カーニバル。決勝戦の同日にはJ−CUPも両国国技館で開催されたが、僕は迷わず武道館を選択。川田の初優勝に酔いしれた。
 五冠王として盤石の体制でチャンカーに臨んだ三沢だったが、ダグ・ファーナス戦においてフランケンシュタイナーを食らった際に首を痛めてしまい、その後の公式戦を欠場。(このあたりの経験が現在の三沢がNOAHでのリーグ戦開催に慎重な姿勢を見せていることにつながっている)それでも、無理を押してシリーズ中に復帰した三沢は、行われるはずだった川田との公式戦を特別試合として決行したが、30分時間切れ引き分けに終わっている。
 手負いの三沢を攻略できなかった川田は、その悔しさをバネにして決勝戦ではスティーブ・ウィリアムスを破り優勝。文句の付けようのない形で『スーパーパワーシリーズ』において三冠王座に挑戦することになった。
 勢いは完全に川田が勝っていると思われていたが、前哨戦的な意味合いを持つ世界タッグ戦(四天王対決)ではパートナーの田上が小橋に敗れてしまっている。しかし、一抹の不安があったが、三沢の首の状態は思わしくなく、“3度目の正直で今度こそ川田が勝つのではないか”という考えが当時のファンの中にはあった。川田自身も「今回はいけるのでは」と漏らしている。僕も当然川田に肩入れしていた。
 無事に高校入学を果たした僕は、プロレスに興味をなくし始めた友人たちを尻目に、ほぼ毎回1人で観戦するようになっていた(少し経つと、高校の友人を無理矢理連れていくようになっていく)。3度目にして初めて三沢vs川田戦を生で見ることが出来る。武道館に向かう足取りは軽かった。しかし、試合はそんな軽やかな気持ちが吹き飛ぶほど激しいものになった。
 この時の三沢vs川田戦は壮絶を極めた。1年前の借りを返そうと、川田は文字通り“デンジャラス”な攻撃を重ねる。全てピンポイントで首を狙い続けると、三沢ファンからは何度も悲鳴が巻き起こった。
 何度も強烈なパワーボムで三沢をマットに叩きつける川田。しかし、三沢は決して3カウントを許さない。秘密兵器の浴びせ蹴りも三沢のアゴにジャストミートしたが、王者としての経験がそうさせたのか、三沢はすぐに場外に待避。客席で声を張り上げていた僕は、
「ワン!ツー!ス…アアァ……」を繰り返していくうちに、川田が攻めているようで、逆に追い込まれているような錯覚に陥った。
 その感覚は現実のものになっていく。まるでゾンビのように立ち上がった三沢は、3度目の浴びせ蹴りをガードすると、投げ捨てジャーマンやローリングエルボーを駆使して凄まじい反撃に出る。川田も必死の粘りを見せると、三沢はタイガードライバー’91を解禁。35分50秒という長期戦を制した。
 僕は今でもこのフィニッシュシーンの戦慄をすぐに思い出すことが出来る。あれから13年もの時が経ったが、あのインパクトを超える場面には一度も出会っていない。“川田が死んでしまってのではないか?”そう感じるほど危険な技だった。そこまでしなければ三沢も勝てなかったのだろう。「川田は強かった」「川田に教えられた部分がある」と三沢は試合後に語っている。
 ため込んだ気持ちを爆発させて、これまでにない非情な攻撃を見せた川田。だが、三沢は鬼神の表情でその川田を叩き潰した。またしても三沢の背中は遠く離れていく。
 しかし、川田は試合後こんな言葉を発している。
「ワガママを言わせてもらえるなら、年内にもう一度挑戦させて欲しい」
 三沢vs川田の歴史はまだ終わらなかったのだ。




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