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第9回 小橋健太の苦悩

 今回も特別編として、12・2日本武道館大会で復帰を果たす小橋建太の話を書いてみたいと思う。
 NOAHの小橋しか知らない人は、“絶対王者”や“鉄人”という異名を持ち、どんなことがあっても一歩も引かない強さを持つ小橋しか想像ができないだろう(怪我や病気と戦っている姿は知っていると思うが)。しかし、そんな小橋にもリング上で苦悩し、“善戦マン”と揶揄されている時期があった。
 今でこそ小橋は三沢と同格かそれ以上の存在で、プロレス界を見渡しても人気や存在感で勝っていると断言できる選手はほとんどいない。しかし、90年代の小橋は、四天王と呼ばれる4人の中であくまでも一番下の選手だった。小橋『健太』時代の話である。
 僕が初めて全日本プロレス中継を見た時、一番最初に惹かれたのが小橋の姿だった。超世代軍の一員としてジャンボ鶴田率いる鶴田軍やスタン・ハンセン、殺人魚雷コンビたち強豪外国人に挑んでいく姿に、自分をオーバーラップさせていた部分もあったと思う。
 そして、そういう気持ちをさらに強くさせた要因の一つに、“頑張っても勝てない”という部分があったのも事実だろう。
 今で言うと、弟子である潮崎豪のような位置といえば分かりやすいかもしれない。僕がプロレスを見始めた1992年はデビューしてちょうど4年目。若手から脱却し、アジアタッグのベルトを巻くなど着実に成長はしていたが、実際に三冠王座や世界タッグ王座戦線に加わるには足りないものだらけだった。
 ムーンサルトプレスという必殺技はあったが、それに続く大技が定まらない。試行錯誤を繰り返し、いろんな技を開発していたのもこの時期。ローリング袈裟斬りチョップ、ストレッチボム、オレンジクラッシュ、パワージャック、オレンジバックブリーカー、他にも連続パワーボム(パワーボムをした後に横に回転し、2度目は倒れ込むようにして決める技)、ダイビングギロチン、コブラクラッチスープレックス、ドラゴンスープレックス、etc…。ハーフネルソンなど今でも使用する技もあるが、まったく見せなくなった技もある。最近ほど逆水平を多用しているわけでもなく、膝が悪化してなかったため、飛び技の使用頻度も多かった。
 プロレスに大事なのは沢山の技を出すことではない。細かいテクニックや初歩的な小技でも自分にあったものを厳選して選択し、自分なりのフォームや出すタイミングを磨いていくことだ。数年前の丸藤と現在の丸藤で一番変わってきた部分もここにある。そして、潮崎が直面している問題点もこの部分だ。今になって思えば、小橋も様々な技を試した上で、自分にあった技だけを残してきたという側面もあるが、当時は器用貧乏という印象があったのも事実だった。
 当時の小橋にはムーンサルトプレスしかなかった。決まれば自分と同等、または実力で下回る選手には勝てる。しかし、格上の選手が相手になると、見事決まってフォールしてもカウント3が奪えない。もう一度ムーンサルトを狙おうとすると、動きが読まれてしまい、簡単に切り返されてしまう。それどころか一発目すら避けられてしまうことが多く、どんな試合でも粘りを見せて、競り合いまで持ち込むのにも関わらず、ことごとく敗れていた。
 そんな小橋が浮上するきっかけとなったのが、間違いなく川田利明の超世代軍離脱だろう。川田がいなくなったことで三沢の正パートナーとなった小橋は、苦しい戦いが続いたし、肉体的にも多くの怪我を負うことになったが、それを乗り越えたことで自信を付け、フィジカル面も大きく成長した。それと同時に、勝負所の見極めや畳み掛けが身に付いたのも見逃せない。焦る気持ちを抑えられず、山場を迎える前に攻め手を使い切ってしまうことが多かったのだが、そういう失敗も見られないようになっていた。
 そして、92年の世界最強タッグ決定リーグ戦で師匠であるジャイアント馬場とタッグを組んだこと、後のライバルとなる秋山準がデビューしたことも大きい。馬場とのタッグでは直接インサイドワークやタッチワークを学び取れたはずだ。そして、浅子や雅央に続き、秋山や大森、多聞、泉田、志賀など後輩が増えたことで、人の上に立つという自覚が出てきた。
 80年代の若手時代を除いても、三沢は7度目、川田は13度目、田上は11回目の対戦でやっとシングル初勝利を果たしている。ハンセンを倒すのにも11回、ウィリアムスにも10回の苦闘が必要だった。まったく通用しないところから、相手の必殺技を出させるまで進み、さらになんとか引き分けに持ち込むまで自分を高め、完璧な勝利を手にするようになるまでに、長い長い時間が必要だった。
 僕のプロレス初観戦となった93年2月28日、日本武道館大会で、奇しくも小橋はダニー・スパイビーに初勝利を上げている。世界タッグ王座を巻いたことのある上位陣から勝利だった。初期の入場テーマ『スナイパー』が鳴り響く中、握り拳を作って観客の声援に応えた小橋。実はこの日から小橋の1ランク上の戦いが始まっていたのだった。
 小橋が成長していくにつれ、悩みも解消されたかに見えたが、必殺技をラリアットに変えた時や悲願の三冠王座を奪取した時にも新たな苦悩を呼び起こすことになる。その頃の話も、また機会をみて書いてみたい。




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