コラムバックナンバー一覧

第10回 三沢と川田と当時の僕(7)

 1995年、プロレス界は喧騒に包まれていた。7月24日に行われた三沢光晴vs川田利明戦の模様がスーパー速報として掲載されている当時の週刊ゴングを読み返してみても、それが如実に表れている。参議院選で馳浩が当選、逆にアントニオ猪木と共に高田延彦が落選した。その高田戦をアピールする田村潔司の姿も記事になっている。WARvs新日本vs維震軍の抗争、新生FMWの船出、キング・オブ・パンクラシストとなった鈴木みのるの試合、etc……。よく言えば多種多彩、悪く言えば雑多なページが並ぶ。90年代初期に巻き起こったプロレス人気も、この時から既に迷走を始めていたのかもしれない。ちなみに前年の12月に当時Uインターに所属していた安生洋二がヒクソン・グレイシーに道場破りを敢行して返り討ちに遭っており、この頃はヒクソンを中心に格闘技界も大きな動きを見せていた。Uインターはまるで必然的であったかのように、この年の10月、新日本プロレスとの対抗戦に乗り出すことになり、それが団体の解散、そしてPRIDE開催にまでつながっていく。
 対抗戦や他団体同士の舌戦など専門誌もスキャンダラスな内容が見出しとして踊る中、反対に全日本プロレスは外にではなく、内に内にと自分たちの意識を集中していった。記者としては目新しい切り口もなく、単調にしか書きようがなかったのかもしれないが、この頃が四天王プロレスの最盛期だったのかもしれない。
 激しいうねりが巻き起こるプロレス界を全日本の中で一番意識していたのが川田利明だっただろう。もしかすると“世間の流れに取り残されている”と感じていたかも知れない。対三沢という長年のテーマは本人にとっても重荷だっただろうし、見ているファンにとっても切なさを感じずにはいられなかった。
 初フォールという勢いで臨む4度目の三冠戦。だが、全日本マットも流れが速まり、1つのことに集中できるような状況ではなかった。川田は田上とのコンビで世界タッグ王座を保持しており、シリーズ中にはカンナムエキスプレスとの防衛戦が組まれていた。さらに、同シリーズでは次期三冠挑戦者決定リーグ戦も行われ、田上、小橋、エース、パトリオットが出場。自分が挑戦する前から、その次の挑戦者を争っているという状況は川田の心理に少なからず動揺を呼んでいたのではないかと思う。
 後楽園ホール(開幕戦)での前哨戦では、三沢が投げっぱなしタイガースープレックスや川田の得意技であるパワーボムを見舞うなどスロースターターらしからぬ攻撃を見せた。対する川田は鹿児島大会でチョークスリーパーで三沢を失神させ反撃。2人は危険なムードを漂わせながら武道館に駒を進めた。
 セミファイナルでは田上と小橋がシングルで激突。30分引き分けの熱戦を繰り広げ、結果的にリーグ戦は田上が優勝。自動的に次期挑戦者に決定した。普通ならセミファイナルにそれだけの激闘を見せられてしまうと、会場は盛り上がりにくく、メインイベントはやりにくいと言われているが、この頃の三沢と川田にはそんなことは関係ない。ゴツゴツとした死闘が客席で見ていた僕をはじめとするファンの前で展開された。
 川田は浴びせ蹴りをクリーンヒットさせてペースを掴むと、ジャンピンハイやステップキックなどで三沢の左目を狙って集中砲火を仕掛ける。チョークスリーパーで揺さぶりをかけると、三沢のエルボーや投げっぱなしジャーマンを耐え抜き、パワーボムで勝負に出た。
 しかし、三沢も同じ技で沈むわけにはいかない。場外でもパワーボムを食らってしまったが、何度食らってもカウント3は許さず。エルボーを織り交ぜながら、投げっぱなしのタイガースープレックスを決めると、最後はフラフラになった川田の顔面にエルボーを打ち抜き、川田を沈めた。
 これまでの2人の対決も激しく厳しく、感情的で“エグい”戦いだったが、この日の試合は、華やかな攻防という部分がさらにそげ落ち、ちょっと引いてしまうほどだった。それは進化なのか、ズレなのかは分からなかったが、少なくともこの2人の戦いが新しいステージに突入したのは事実だっただろう。
「川田が勝つまで…いや、2人が引退するまでこの戦いを見逃してはならない」なんて考えていた僕だったが、少しずつ複雑な心境になってきていた。果たしてこの物語の最後にはなにが待ちかまえているのか?どんな答えが出るのか?まったく予想できないでいた。(つづく)




<<Back  Next>>
コラムバックナンバー一覧トップ
(C)辰巳出版