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第11回 三沢と川田と当時の僕(8)

 全日本プロレスばかり観戦していたかのようにここまで書いてきたが、実は他の団体にもちょくちょく足を伸ばしていた。1995年ではWARも何回か観に行っていたし、新日本に至ってはG1クライマックス両国5連戦(武藤が優勝)を全て観ている。三銃士・四天王世代が一番元気な頃だった。このコラムを書くために、当時の週刊ゴングを読み返していると、意外にもチャンピオンのインタビューが少ないことに気付く。今なら、新日本、全日本、NOAHのシングル王者は防衛に成功するたび誌面にインタビューという形で登場するが、当時はプロレス界を揺るがすような話題が多々あったため、じっくりと話を聞くという誌面の作り方はしづらかったのかもしれない。
 この時期、一番の話題は新日本vsUインター。毎号に長州や田の挑発的なアピールが掲載され、対戦の機運が徐々に高まっていた。最終的には東京ドームでの全面対抗戦へと発展。僕も一番安い席でこの興行を観戦したが、あそこまで盛り上がったドーム興行は一度もなかったし、今後もありえないだろう。ドームは天井が高いため声援が分散し、盛り上がりにくいとされるが、あの日の熱狂は凄まじく、それこそドームの天井が抜けてしまうんじゃないかと錯覚してしまうほどだった。
 そんな刺激的な大会ばかりが並ぶ中で、全日本はそれまで同様に鎖国を貫き通していた。「だからつまらない」という声もあったが、個人的には「だからこそ面白い」「だからこそ見逃せない」という思いが強かった。どんな風に例えればいいだろう。大きな変化がないからこそ、ちょっとした進歩や選手の気持ちがストレートに伝わってきていたのだ。正直なところ、もう10年以上も前の話で、それ以降に凄まじい量の試合を観てしまったため、細かいディテールまでは思い出せないのだが、話題がない中での注目の仕方や変化の捉え方は、今の僕の記者としての取材方針にも活かされている。
『95'サマーアクション・シリーズ』の主役は三冠に挑戦する田上と、ハンセンに左腕の肉をえぐられ、因縁が勃発した小橋の2人。川田は世界タッグ王者としてエース&パトリオットを撃破したものの、完全に三冠戦戦からは後退した形となった。
 三沢は田上を破って2度目の防衛を果たすと、続く『95'サマーアクション・シリーズ2』最終戦の武道館大会においていよいよ小橋との三冠戦が決定。このカードは三冠戦としては一度も行われていないビッグカードだった。三沢はさらにその小橋とのタッグで愛知県体育館大会で川田&田上組に挑戦することも決まり、五冠取りに動き出した。
 しかし、一番の話題を集めたのは、実は川田だった。Uインターが新日本との対抗戦に踏み出した中で、はじき出される形となった外国人エースのゲーリー・オブライトが全日本参戦を熱望。常々、刺激的な試合をしたいと語っていた川田とのシングル戦が電撃決定したのだ。三沢vs小橋が行われる同じ武道館での試合。「Uルールでもいい」とまで話していた川田にとっては自分の気持ちをアピールする上で絶好の機会だった。
 四天王対決はこの年2度目の60分引き分けに終わり、川田は完全にオブライト戦一本に照準を絞った。対するオブライトも当初は全日本マットに順応できなかったが、ハンセンとのタッグ結成で息を吹き返し、勢いを取り戻していった。
 僕はたまたま新聞での招待券プレゼントに当たり、このシリーズの横須賀大会を観戦している。ハンセン&オブライト組は小橋&秋山組を圧倒。ダブルアームスープレックスで秋山を沈めたオブライトは、翌日の後楽園で川田と初遭遇を果たす。
 前哨戦のタッグマッチでは、川田があえてオブライトのファイトに合わせていたのが印象的だった。アマレス仕込みのタックルからグラウンド戦を仕掛ける川田。その奇襲が結果的にオブライトの潜在能力を爆発させることにつながる。最後はオブライトが全日本初公開のジャーマンで本田多聞をKO。川田は担架で運ばれていく多聞を見つめるしかなかったが、その時、後楽園ホールの観客からは大きな川田コールが巻き起こった。
 刺激的な対戦を前にして全日本ファンから起こった悲壮なほどの期待感。川田はこの思いに乗って再び浮上する。(つづく)




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