コラムバックナンバー一覧

【Q41】1992年1月、新日本プロレス側より「イスとか机を使った攻撃はダメ」と通告された栗須正伸。本人もこれを了承し「これまでの自分の殻を破るため」と、ある道場を訪れ練習に参加している。さて、その道場とは?

【Q42】アントニオ猪木が卍固めを日本で初披露したのは、1969年のこと。後にファン公募で「アントニオスペシャル(日本名・卍固め)」に決定したが、当時は名前もなく、レフェリーの沖識名レフェリーは「オクトパス」とリングアナに指示した。では、スポーツ紙では何と発表した?

【Q43】1999年8月21日、ザ・グレート・サスケvs4代目タイガーマスクのシングルが『ふく面ワールドリーグ戦』決勝トーナメント準決勝戦で実現した。勝てば決勝進出という大一番に、サスケがある大技を敢行するが、あえなく自爆。後頭部を痛打して失神し、レフェリーストップ負けを喫してしまった。その危険すぎる技とは?

【Q44】1998年に開催された、アントニオ猪木引退試合の対戦者を決定するトーナメント『THE FINAL INOKI TOURNAMENT』。ベスト4に残った選手は小川直也、ドン・フライ、ブライアン・ジョンストン、そしてもうひとりは?

【Q45】秋山準が全日本プロレスに入門したのは1992年2月。そして93年1月、デビューから1年を待たず、沼津市民体育館でアジアタッグ初挑戦を果たす。では、その時の秋山のタッグパートナーは誰?

※答えはページ下段へ









【A41】誠心会館
【A42】グレープバイン・ホールド(ぶどうづる固め)
【A43】セントーン・レベルサ
【A44】イゴール・メインダート
【A45】小川良成




<<Back  Next>>
コラムバックナンバー一覧トップ
(C)辰巳出版