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第1回 記者としての姿勢

 記念すべき第1回目に誰について書くのか?コラムの方向性、さらにはサイト全体のイメージにもつながる大事な選択になるが、僕の中では最初から決まっている。小橋建太だ。
 第0回コラムで僕がNOAHオフィシャル携帯サイトからこの業界に入ったことは書いた。もちろん当時からNOAH以外のプロレス(インディーや女子も含む)、キックボクシング、総合格闘技、女子ボクシングまで幅広く取材していたが、あくまでもNOAHが中心。全戦帯同とまでは行かなかったけれど、全国各地を飛び回る生活を続けていた。
 とはいえ、当時の僕は素人に毛が生えた程度の新人記者。右も左も分からず、オロオロしてばかりだったと思う。前任からはちゃんとした引継ぎもなく、記者生活3日目からは1人で現場に放り込まれた。社会人経験がろくになかった僕には、取材の流れ、質問の仕方、名刺の渡し方や他の記者との関わり方など分かるはずもなく、なかなか馴染めずにかなり苦労した。(この経験から、僕より後から記者になった人にはなるべく話しかけるようにしている)
 駆け出し記者はもちろん選手との距離感も理解できない。雑談するのにも緊張するし、どれだけ踏み込んだ質問をしていいのかもさっぱり分からず、緊張してばかりだった。まだ同世代なら何とかなるが、年上の選手となるとそうはいかず、「誰だ、こいつ?」という冷たい視線が突き刺さり、ただただ冷や汗をかくしかなかった。今思えば、そういう態度を取られるのは当然と言えば当然。ただの一ファンだった男がすぐ簡単に仕事が出来るわけなどないし、そんな人間を記者扱いしてくれるはずもない。手探りの取材が毎日のように続き、眠れない日々も続いた。
 そんな中、最初からしっかりと向き合ってくれたのが小橋だった。ちょうどその頃はGHCヘビー級王者となり、絶対王者への道を歩み始めた時期。必然的に試合や会見、イベントで取材する機会も多かったが、とにかく記者であろうとファンであろうと誰を前にしても、リング上と同じように、小橋は逃げることなく真っ向から受け止めるのである。例え記事にならなくても、自分の気持ちを必死に伝えようとする小橋の姿勢は、僕の記者としての方向性にも大きな影響を与えてくれた。
 週刊プロレスモバイルで佐久間編集長が同じようなことを書いていたが、木幡元週刊ゴング編集長や全日本時代の担当である鈴木元記者にも同じような話を聞いたことがある。つまりのところ、小橋は専門誌やスポーツ紙に限らず、どんな記者であろうとも、キャリア関係なくちゃんと向き合ってきたのだろう。
 最終的にそのサイトが閉鎖となるまでの3年間で、ロングインタビューはもちろん、日々の会見や試合後のコメントなども含めれば、数百時間も話を聞いたことになるだろう。小橋が絶対王者と呼ばれるほどになった険しい道のりを最前線で取材してきた自信が、僕の血となり肉となり、現在の仕事にもつながっている。
 今、小橋は復帰に向けて、自分との戦いに没頭している。それでも小橋は週刊ゴングの休刊に心を痛め、僕のたち進路を心配してくれていた。Gスピリッツ創刊を伝え聞いて喜んでくれていたという。表紙の依頼にも快く応えてくれた。
 自分のために何かをしてくれたのに、その人が苦しんでいても何もしてあげられない、そんな苦しみを味わうことが人生にはある。「頑張れ」とか「負けるな」なんて簡単には口に出せないし、「無理するな」とも言えない。その前にそういうことは直接言ってはいけないことだったりもする。プライベートでもそんな経験をして悶々としたことが僕にもあるけれど、もしかすると、今、小橋ファンはそんなもどかしい気持ちでいるのかもしれない。
 試合を取材し、インタビューで何時間も話してきた僕たちも、まったく同じだ。たとえ小橋と向き合えば答えてくれると分かっていても、復帰というテーマは簡単にぶつけることができるほど軽くはない。NOAH担当や小橋と少なからず関わりのあった記者たちはみんなもどかしい気持ちを抱えている。
 結局のところ、僕たちも復帰に向けてあくまでも前進を続ける小橋を見守ることしか出来ない。だから、せめて“一生懸命”見守ろうと思うのだ。小橋の姿勢やファンに伝えたいであろう言葉をしっかりと取材していくことが、僕がGスピリッツの記者として進んでいく道につながっていくのだと思う。




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