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第11回 ファン不在の安易なこだわり

 どうもマスコミは定義付けが好きな生き物だと思う。かく言う僕もこんなコラムを書いている時点で、定義付けをしているのと同じじゃないかという意見も聞こえてきそうだが、それを気にしていると何にも書けなくなってしまうので、ひとまずそれは置いといて、話を進めたい。
 雑誌やネット、携帯サイトを読んでいて個人的に引っかかるのが、「○○は果たしてプロレスなのか?」なんて表現だ。かつては○○にインディやデスマッチ、アメリカンプロレスが当てはまっただろうし、今ならハッスルやマッスルがに入るだろう。
 だが、なんとなくこういう言い回しはファン不在なんじゃないか、そんな風に僕は最近思っている。もっと踏み込めば、そういう書き方をするのはずるいような気すらしている。
 僕個人はハッキリ言って、何を見ても「こんなのプロレスじゃない!」と感じることはまったくない。メジャー団体だろうと、インディーだろうと、女子だろうと、ハッスルだろうと、マッスルだろうと、全てプロレスだと思って見ている。レベル的な部分で感じることがあっても、根本的な形式で「こんなのはプロレスじゃない」なんて思うことはない。
 だいたいそういう定義なんかはどうでもよくて、要は面白いと思うのかどうかという部分が大事だ。面白いという言葉を“感動する”とか、“興奮する”に置き換えたっていい。
 ファンの時は自分がチケット代として払った金額以上の感覚を味わうことが出来るかが一番大事な部分だった。記者としては、それを知りたいと思うファンがいるのかどうか、とか、面白いと自分が感じたものをどうしても伝えたいという感情の強さでジャッジしているわけで、「それがプロレスか否か?」なんてことはファンがそれぞれ考えるべきことなんじゃないかと思う。
 だいたい答えなんてでるわけないし、究極的に言ったら、見たくなければ見なければいいだけの話だ。しかし、マスコミはどうしてもラインを引きたいようで、いろんな媒体でそういう記事を見かける。ファンはそんな文章を醒めた目で見ているのではないだろうか?
 僕の中にはもちろん「これこそプロレスだ」という定義があるし、考え方がある。でも、それは個人の嗜好の問題で、全然価値観が違うものを面白いと思う感覚もある。ハッスルやマッスルを見ても普通に楽しめるし、胡散臭いインディーだってなかなか面白い。もちろん総合格闘技やキックボクシング、ボクシングを見ることも好きだ。そこに括りを作る意識はない。
 他にもそんな無意味な表現を見ることがある。僕が個人的に嫌になるのが「総合のリングでプロレスラーが強さを証明した」なんて言葉だ。
 誤解して欲しくないのは、プロレスラーが弱いと言いたいわけではないということ。そういう見方や考え方を非難したいのではなくて、そういう表現を書くマスコミに疑問を感じているのだ。
 例えばプロレスラーが総合に出て、勝利したとする。すると、誌面や紙面では上記のような文章が踊る。しかし、その勝利をよくよく見てみると、普通にテイクダウンを取って、ポジションを固め、パウンドを落とし、腕ひしぎに取っていたりする。それはプロレスラーの強さを証明したのではなくて、プロレスラーが総合の練習をして強くなったに過ぎない。もし、本当の意味でプロレスラーの強さを証明するんだったら、プロレスのトレーニングだけをして、プロレスの技だけで勝たないといけない。でも今は、様々な技術が進化し、整備され、そういう考え方ではどんな分野の格闘家であろうと、総合のリングで勝つことが出来なくなってきた。
 当然プロレスと格闘技では技術体系や考え方、興行論や思想がまったく違っていて、見ているファンも、取り組んでいる選手も、それをしっかりと理解しているし、両方ともリスペクトを示している。でも、マスコミは相変わらず安易な表現で、センセーショナルな見出しを作りたがる。
 他にも世間とプロレスをするとか、プロレス的な考えで世間を斬るとか、そういう書き方も僕は好きにはなれない。だって、プロレス的な考えなんて世間の中には元々あるものだし、そういう表現がとても安易に感じられるからだ。
 別に裏話や暴露記事を書けばいいんじゃないかと言っているのではない。ただ、どうでもいいこだわり(しかも記者自身の)をああだこうだ書いたり、記事にしやすいからといって安易な言葉を並べ、漠然とした存在である世間に訴えかけるのではなくて、それならリング上で起きたことをしっかり見せるとか、選手の考えをちゃんと伝えることが大事なんじゃないだろうか。
 まあ、ここまで書いておきながら、僕自身、マスコミを勝手に定義づけている感は否めないし、どうでもいいことをこのコラムで書いてきているような気もするが、マスコミがファンに遅れを取っているのは否定しようのない事実。もうちょっと意識的に考え方を変えていかなければいけない時期に来ているのではないだろうか。
 世間とか世の中とかいう言葉をマスコミはよく使いたがるけれど、その前に身近なファンを置き去りにしては何にもならない。その“世間”を見渡せば、人気のある競技、媒体、人間は身近なファンを必ず大事にしている。それに気づかずに、世間に戦いを挑みたがるのは、プロレス界の悪い癖だと思う。




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