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第13回 CIMAとマッスル坂井、それぞれの30歳

 普段取材をしていても、ついつい目を奪われてしまうのは同世代、それも年齢が近い選手たちだ。十代の時は自分よりも少し上の世代に感情移入をしていたけれど、年齢が近い選手が増え、それぞれが難しい立場に付くようになるうちに、いつしか同世代の選手が気になるようになった。記者になって直接取材をする機会が生まれたのが大きいかもしれない。
 最近、特に気になるレスラーが2人いる。それはドラゴンゲートのCIMAとDDTのマッスル坂井だ。
 奇しくもこの2人は今月30歳になったばかり。僕は現在29歳で、30歳という年齢を強烈に意識するようになってきている。そういう部分で共感を感じ、興味を惹かれているというのもあるだろう。2人はまったく形は違うけれど、何かしらの結果を出している。そして同時に、これもまた形はまったく違うけれど、何かしらの壁に直面しているように見える。(まあ、これは僕の勝手な意見なのだが)
 そんな分析を書いておきながらここで白状するが、僕はほんの数回しかこの2人の選手を直接取材したことがない(もちろん試合は何度も見ているが)。顔は覚えてもらっているとは思うが、名前までは一致しない…そのぐらいの関係だ。だから、この2人のファンからすると、「全然分かってない!」「ちょっと違うんじゃないの?」などと違和感を感じてしまうかもしれないが、あくまでも僕の個人的な意見だということを了承してもらいたい。
 CIMAの試合を見ていて感じるのは“悲壮感”だ。明るく饒舌で前向きなキャラクターなのだけれど、刹那的な印象を受けるのはなぜだろう。
 先日の大阪大会で行われた鷹木信悟戦の後に、CIMAは「もう限界や」という言葉を発している。もちろんその後には「でも…」と打ち消しが続いていたが、CIMAが「限界」という言葉を吐くことに対し、「そんなことはない」と一点の曇りもなく言い切れるファンはいないはずだ。
 CIMAはそれだけのファイトをしてきたし、命を削った激闘を重ねてきた。それどころか、Gスピリッツの創刊号を読んでも分かる通り、今や一選手ではなく、全体のプロデュースや外国人選手のブッキングなどフロント的な仕事においても重要な地位を担うようになっている。
 僕はいまだに“駆け出し記者”なんて言い張っているが、年齢がほとんど変わらないCIMAは団体を背負う存在で、肉体的にもギリギリのところで試合をしていると事実は、本当に尊敬に値することだ。CIMAは自分の生活だけでなく、他の選手やドラゴンゲートに関わるスタッフ、そしてその家族の生活も少なからず背負っているのだから。ビッグマッチなどのリング上の状況は関係なく、そのプレッシャーはきついはずだし、気持ちを休める暇なんてほとんどないかもしれない。進むべき道自体にもモヤがかかっている中で、それでも走り続けるCIMAの疾走感は見ていて切なくもなるが、だからこそ感動や興奮をファンの心の中に巻き起こすのだろう。
 個人的にはそういう人間関係やしがらみを抜きにして、責任なんて持たずに、ただの一レスラーとして言いたい放題やりたい放題で日本や世界を飛び回るCIMAの姿を一度でいいから見てみたい気がする。どんな形なのかは想像も付かないし、それがいつになるのかも分からないが、CIMAがその歩みを一瞬でも止めた時に、じっくりと話を聞いてみたいと思う。大島伸彦という人間の素の部分にはいろんな側面が隠れているんじゃないだろうか。リング上とは正反対の、意外に物静かでナイーブな人なんじゃないかと密かに考えている。
 マッスル坂井はCIMAとはまた違ったタイプのレスラーだ。注目されるようになったのは『マッスル』というイベントを始めてから。偶然なのだが、僕はまだ人気もなかった『マッスル1』を取材している。
 と言っても、坂井と話した経験はほとんどない。DDT事務所とGスピリッツの編集部が近い場所にあるため、先日たまたま地下鉄の駅で顔を合わせたことがあったが、
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
「坂井さんって深夜ラジオ好きなんですよね。」
「そうですよ。今も電車の中で聞いてましたよ」
「僕も好きなんですよ」
「そうですか」
「…」
「…」
「……」
「……」
「ではまた」
「あ、はい」
 ぐらいしか会話が弾まなかった。なので、これから書くのもただ僕の目から見た勝手な意見なのであしからず。
『マッスル』という興行は演劇的な手法を取り入れたプロレス(だと僕は思っている)として注目を集め、サブカル系の一般誌で何度も取り上げられている。その中心人物である坂井の評価も高まり、プロレスとまったく関係ない雑誌やテレビ番組で顔を見かけることも増えてきた。
 そうなるにつれて、“『マッスル』は素晴らしいイベントで、それを作った坂井は天才なんだ”という論調も強まってきたように思う。プロレス専門誌的にも求めるものがイベント毎に高くなってきているし、ファンの期待感も同じように増してきている。
 ただ、それを見ていると、僕はどんどんマッスルというイベントがずれていってしまっているような気がするのだ。
 この前のDDT後楽園で坂井はNOAHの森嶋猛と対戦した。坂井は必死にぶつかっていったが、森嶋の余裕を崩すことができず、最後はバックドロップの前に沈んだ。坂井は大きな差を感じたようで、試合後も落ち込んだ様子だった。
 よく「プロレスは気持ちを出すことが大事」と言うけれど、坂井は気迫というベクトルでは足りなかったが、恐怖や緊張というネガティブな気持ちはうまく表現できていたんじゃないかと思う。それがマイナスな気持ちとは言え、どんな形にせよ気持ちを見せるのがプロレスなのだから、そういう面では関本戦よりも成長したように思えた。
 今の戦いが本当に自分の心が欲しているものなのか、それとも期待を感じて無理矢理飛び込んだのか、または団体にやらされているだけなのかは分からない。ただ、一つ言えることがある。プロレス歴で比べると、坂井と森嶋にはかなりの差があるが、年齢的には森嶋の方が1歳下。そういう意味では森嶋が持っているものを坂井は持っていないが、逆に坂井しか持っていない部分も必ずあるのだ。それを伸ばしていく方がいいんじゃないかと個人的には思う。
 マッスルは元々坂井がやりたいことをバカみたいに一生懸命にやる場だったはずなのに、そこに興行論が発生し、ファンの思い入れが重なり、マスコミの過度な期待が強まっていった中で、その根本にある想いに無理が発生してきたような感じがする。坂井は天才なんかじゃなく、どこの世界にもいる地味だけど話してみたらちょっと面白いヤツで、言い方は悪いが、そういう凡人が自分の変わった趣味を利用して自分が好きなことをやって、それを見て楽しいと思う人がたまたまいた、なんていう雰囲気が本来の形なんじゃないのか。周りの期待を受けた坂井は、それに応えたいと思うと同時に、「そんなに期待されても応えられないよ」と途方にくれているように見えて仕方ない。最近、プロレスラーとして真面目に試合に挑もうとしているのは、感じている焦りや憤りをなんとかして壊したい気持ちの現れなのかもしれない。
 そういう行動は正しいような気もするし、ある意味、逃げのような気もする。ただ僕が思うのは、CIMAが何もかもを背負って走り続けようとするのとは正反対に、坂井はファンやマスコミの期待なんて背負わないで、自分のやりたいことをやりたい時だけやればいいんじゃないかということだ。坂井にもじっくりそんな話を聞いてみたい。




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