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第15回 12月2日、日本武道館(下)

 先日発売された『GスピリッツVol.4』を読んでいただけただろうか?正直言って、月刊誌は週刊誌やスポーツ紙、ネット媒体などと比べても、制作の都合上、速報性が低い。同時期に出た週刊誌と比較しても締切はかなり早く、その分、最新の情報を盛り込めない。そのため、今回の『Gスピリッツ』を読んで、物足りなく思う読者もいたのではないだろうか。
 しかし、そういうマイナスな要素を差し引いても、木幡一樹・元週刊ゴング編集長が書いた小橋建太の復帰記事は素晴らしいものだった。程度や形の差こそあれ、互いに似たような感覚――絶望を味わってきたからこそ、いい意味で距離の取れた記事に仕上がっていたと思う。
 小橋と木幡記者の間には『小橋の復帰戦を木幡記者が必ず書く』という約束があった。ある意味、この約束が『Gスピリッツ』という媒体を生む原動力の1つになったと言っても過言ではない。
 それと同時に、僕の中でも約束があった。これは変な話、僕が勝手に、小橋に対して一方的に結んだ約束なのだが。
「小橋建太の復帰戦を絶対に取材したい」――その思いが僕がプロレス記者を続けようと決意した原動力になったのだ。

 小橋に腎臓がんの疑いがあることが発表されたのは、2006年6月29日のこと。当時の僕は日本スポーツ出版社に入社し、モバイルゴングの仕事をするようになって1ヵ月目。ほとんど休日もなく、やっと明日は休みがもらえることになった6月28日、翌日にNOAH事務所で三沢光晴が会見を開くというリリースが編集部に届いた。
「会見に行った方がいいですか?」と同僚に聞かれたが(基本的にモバイルにおけるNOAHの取材は僕が担当していた)、その日はちょうどNOAHのディファ有明大会が開催される日。なんの会見なのかは明記されていなかったが、三沢だけが出席ということは、たぶん、誰かの海外遠征なんて話だろう、と僕は判断し「無理に行かなくてもいいと思いますよ」と答えた。週刊ゴング編集部の人間が当日は大会の取材に行っており、会見の内容は教えてもらうことは可能。NOAHの試合詳報を掲載できないモバイル班がわざわざ会見のためだけに行くようなこともないだろうと思ったのだ。
 翌日。僕は午後まで布団を出ず、やっと起きたと思ったらそのままパチンコ屋に直行、なんていう駄目なサラリーマンの典型とも言える休みを送っていた。パチンコ台に向かいながら、なんとはなしに携帯を開き、モバイルゴングを覗くと…そこには小橋の欠場について書かれた第一報が掲載されていた。
 慌てて他のサイトをチェックし、パチンコも切り上げて、編集部に連絡。まだ詳報は明らかになっていないが、モバイルのみならず、週刊ゴング全体が騒ぎになっている様子だった。こんな言い方をすると語弊があるかもしれないが、僕が休みを取ったのが悪いんじゃないか、そんな気分になったのを今でも覚えている。その後、どうやって休日を過ごしたのか、まったく記憶にない。
 あの日から522日……小橋は再びリングに戻ってきた。復帰戦当日の僕の気持ちは、記者だと言っても特別なものではなく、普通のファンと同じだったと思う。格闘魂時代から僕のコラムで小橋を題材にすることは多かったけれど、実際のところ、小橋を毎日のように取材していたのは2年近く前の話で、モバイルゴング時代とGスピリッツに入ってからを合わせても10回ほどしか直接言葉を交わしていない。NOAHの会場にも数えるほどしか行っておらず、例えば木幡記者や他媒体のNOAH担当の記者ほど取材もしていないのだ。
 しかし、試合前はファンの気持ちと同じだったと書いたが、試合を見終えた後の僕の気持ちはとても複雑だった。なんと言えばいいだろう、ピンとこないというか、実感が湧かないというか…。感動したり、興奮したりするのは記者であろうと同じだけれど、単純にその気持ちに浸ることができなかったのだ。
「小橋建太の復帰戦を絶対に取材したい」と思っていたのは事実だ。プロレス関連の仕事から離れることも考えていたのに、結局この仕事を続ける決断をした大きな理由にもなっている。ただ、その気持ちに果たして僕自身は応えられたのだろうか、そう考えてしまったのだ。
 復帰戦前、そして復帰戦後の専門誌やスポーツ紙、TV中継を見ていて常に頭を過ぎるのは、「自分が取材するならどうするだろう?」「自分ならどう書くだろう?」ということだった。自分だったらこの人にも取材するのに…自分だったらこういう質問をぶつけるのに…そんな風に感じることが少なくなかった。それはとてもおこがましいことだと思うし、もちろん他の記者に文句を付ける気もない。ただ、僕自身が取材をし、それを書くことで、もっともっと読者になにかを伝えられたんじゃないかとどうしても考えてしまうのだ。
 例えば、小橋が復帰戦のカードを発表した10・27武道館。誰が小橋を先導し、誰がロープを開け、小橋の言葉をどんな表情で聞いていたのか、そんなことを書きたかった。復帰戦の時だって、三沢や秋山、高山、多聞はもちろん、同期の菊地や田上、元付き人の志賀や金丸、浅子トレーナー、スタッフや折り鶴を折った人たちまで話を聞き、それをひとつのものにまとめたかった。もし、今でもオフィシャルサイトの仕事をしていたら…例えば週刊ゴングが休刊になっておらず、NOAH担当として取材をしていたら…そんな“たられば話”ばかり考えてしまう。ここまでくると、どれだけ増長しているんだと言われてしまうだろうけれど、NOAH中継の密着映像を見ると、「自分も同じように密着取材し、ノンフィクションの長編でも書けたんじゃないか?」とまで思ってしまった。
「どうしても書きたい」そんな風に思える対象に出会えることは滅多にないはず。そんな機会をみすみす逃してしまったことに、僕はとても後悔している。
 ただ、10日近く経って、こんな風にも感じ始めている。
 小橋の復帰戦の後、僕がピンとこなかったのにはもう一つ理由がある。復帰戦はゴールではなく、あくまでも通過点だということ、それを無意識に感じていたのではないだろうか。
 小橋はどんな会場でも100%で戦ってきた。今後、もし小橋が試合に出るのが当たり前になり、普通に地方会場で試合するようになっても、その時の戦いに対する思いと、今回の復帰戦に向かう時の思いにはなんら変わりはないのだ。
 だから、僕も今後、小橋の試合を取材する機会があるのなら、今回の復帰戦に対してと負けないぐらいの気持ちで取材をしたいと思う。そして、もし今回のように自分が取材をしたいと思える対象にぶつかったのなら、それがプロレスであろうとなかろうと、しっかりとぶつかっていけるような記者になりたい、そんな風に感じた。僕にとっても今回はゴールではなく、あくまでも通過点なのだから。




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