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【11月26日〜12月2日】
『ラッシャー木村が、マイクを持たなかった日』〜1989年11月29日・札幌中島体育センター

「今日来て、いきなり“団体を辞める”はないでしょう!」
「この世界、それを言っちゃあ、おしまいだよ!」
 怒るフロントに、剛竜馬はそんな風に言ったという。彼とラッシャー木村が、突然第一次UWF(1984〜85年)なる団体を退団する時のエピソードだ。雄弁に語る剛の横で、ラッシャー木村は、寡黙を貫くままだった。何せ、「男は黙って勝負」というわけではないが、以前所属していた国際プロレスの社長であり、恩師と仰ぐ吉原功氏と2人で飲んだ際は、看板までの発言が、「元気か?」と聞く吉原社長に答えた、「はい」の一言しかなかった男だ。ましてや、何を言っても言い訳になる突然の退団の場。まくしたてる剛の隣で一言も喋らなかったのも、無理からぬことかもしれない。
 そんな木村が自らマイクを持ったのは、ジャイアント馬場のパートナーとして全日本プロレスに誘われながらも、仲間割れし、対戦相手として、馬場を挑発し始めてからのこと。「次に戦ったら、こうはいかないぞ」「どこまでも追い詰める」そう言う木村の背後には、同じ元国際プロレスの残党、鶴見五郎や、剛竜馬の姿があった。マイクは、自分たちが存在感を出す、苦肉の策だった。だが、徐々にその木村の姿勢は認知され、マイクを持ち始めてから3年。『あなたが観たいカード』をファン投票した際には、鶴田、天龍、ハンセンを擁した1988年当時の全日本の布陣ながら、「馬場vs木村」が、シングル部門4位につけている。
「馬場、このヤロー、てめえ…」

「食べないのか?」そう聞く馬場に対し、木村は黙ったままだった。くだんの、馬場に誘われての全日本プロレス入りに際し、酒席をともにした時のことである。出された食事に、木村はさっぱり手をつけなかった。後から語る。
「尊敬する馬場さんの前で、食事なんて、できっこないですよ」(木村)

 馬場と木村が“義兄弟コンビ”を組むのは、ファン投票から暫くのことだ。木村は馬場を、「アニキ」と慕い、いきおい、試合後のマイクも明るく朗らかなものに変わっていった。
「アニキ!今日はススキノで一杯飲もうぜ!」
「アニキ!博多人形2つ買って、1つ俺にくれよ!」
 etc…。
 アニキを慕い、一歩下がって立て、それでいてヤンチャさを見せる弟の姿は、激闘の合間の、一服の清涼剤となる。木村は、マイクを持たねば、ブーイングが出るようになってしまう人気者に。とはいえ、長い歴史の中には、そのマイクを阻止されたことも。
「馬場&木村vs天龍&川田」(1988年11月)という『世界最強タッグ公式戦』でのことだ。勝利した木村がマイクを持とうとすると、天龍がそれを阻止したのである。当時、天龍は盟友・阿修羅原の解雇に揺れ、かつ、ジュニア・ヘビーであり、どうしても非力とされた川田を代わりのパートナーに、だが鬼神さながら、奮戦していた。
「試合後にあれ(マイク)をされると、結局、徳俵のない、相撲みたいになるんだよ!」天龍は控え室で語った。
 それは、天龍の意地だった。
 そして、木村が自らマイクを持たなかった日が、その一年後にきた。

 1989年11月29日「馬場&木村vs天龍&ハンセン」(『世界最強タッグ』公式戦/札幌中島体育センター)。ハプニングは馬場の入場時に起こる。リング内から天龍がガウン姿の馬場にトペの奇襲攻撃!もろに食らった馬場は、フェンスに激突し、轟沈。立てなくなってしまった。緊急事態に、セコンドが集まる。大勢によりガウンを脱がされ、コールドスプレーを浴びせれる馬場。もちろん弟の木村は、馬場を介抱…するかと思いきや、意外な行動を見せた。馬場の状態を見やり、そして、リング上の天龍とハンセンに視線を移すと、リング下でシャツを脱ぎ捨て、手に唾をつけるや否や…単身、最強の2人が待つリングに上がっていったのだ。
 応急処置を受けた馬場が、リングに復帰するまでの7分間、木村は天龍、ハンセンを相手に1人で戦った。ブルグッキング・ヘッドロック、ラリアット、持てる大技を全て出す半面、手痛い攻めを受けまくったのも事実だ。ようやくエプロンへと立った馬場にタッチすると、転がるようにリング下で木村はダウン。そこからは御年49歳の馬場が、天龍、ハンセンを相手に、1人で戦い抜く。一度、ハンセンの足をロープ下から引っ張り、木村は馬場を援護したが、直後にハンセンのウェスタンラリアットを食らい、今度こそ撃沈。助けることの出来ないまま、木村の倍の14分間を戦い抜いた馬場は、天龍のパワーボムの前に3カウントを聞く。
 18年前の11月29日、それはこの試合で、馬場が日本人に初めてピン・フォールを奪われた日であった。

 試合後、奮戦した馬場に、温かい拍手が贈られ、大きな馬場コールが起きた。ついに再びリングに立てなかった木村は、リング下で馬場と抱き合う。やり尽したという実感があったのだろう。馬場は爽やかな笑顔だった。一方で、木村はというと…。
 泣いていた。
 この日、木村はマイクを持たなかった。

 前述の天龍の言葉は、以下にこんな風に続く。
「徳俵があるからこそ、勝負は面白いんだから…」

 翌年1月、馬場は6人タッグマッチで、天龍からフォールを取り返した。木村は2月に入り、自ら天龍との抗争を希望。天龍のSWS移籍で中途で終わってしまったが、2人の尋常でなくタフなやり取りが、今も記憶に残っている。
 90年代半ばともなると、好好爺のイメージが定着した木村。この時の試合は、プロレスラーとしての矜持という輝きを、最後に見せたものではなかったか。(了)




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