コラムバックナンバー一覧

【12月3日〜12月9日】
『18年前の“俺達の時代”』(1989年12月7日・両国国技館)

「俺だってプロだ!てめえらガタガタ言うな!」
 今を遡ること18年前の1989年10月13日・後楽園ホール。この日、凱旋帰国したばかりの蝶野正洋は、そんな風にマイクで叫んだ。字面だけ見れば、このマイクアピールは、今の蝶野からすれば、どうということもないだろう。だが、この一言が大変な事態を招くことになる。
“てめえら”とは、会場に来てくれた、お客さんだったのだ。
 1987年12月から、この1989年10月という期間は、新日本プロレスにとって、ことごとく光を遮られた時代であった。
 まず1987年12月には、(ビート)たけしプロレス軍団の、猪木への挑戦を起因としたカード変更に、ファンの怒りが爆発。会場の両国国技館で大規模な暴動が起き、新日本プロレスは、同会場の一年間の使用自粛を余儀なくされる。
 1988年4月には、遂にテレビ中継枠が、ゴールデンタイムから毎週土曜日の午後4時に移行。1989年4月に初めての東京ドーム大会を成功させ、波に乗るかと思われたところへ、猪木の参院選出馬&当選。これ自体は喜ばしいことなのだが、6月には、残って新日本を引っ張らなければならない藤波辰爾が、腰痛により長期にわたる離脱(引退危機も噂された)。そこに来て、蝶野より一足先に凱旋帰国した橋本真也が水を得た魚のような頼もしい活躍を見せるが、戦力不足は否めない。先述の蝶野の凱旋帰国は、そんな陣容不足を補うためのものであった。

 試合は蝶野が長州と組んで、マサ斎藤と組んだ橋本と当たるタッグマッチ。だが、期待値を含む橋本の異常人気を警戒したのか(この橋本への声援については、翌年帰国する武藤も「自分だけが子供のままのような感じがした」と語っている)蝶野は出だしから大暴走。試合は試合にはならず、僅か2分39秒、自身の反則負け。もちろん帰って来た蝶野にも期待していた客、言い換えれば、新日本を愛するファンと言ってもいいだろう、は、面白い筈がない。
「なんなんだよこれは!」
「客、舐めてんのか!」
 出だしの蝶野のマイクは、そんな時に浴びせられたもの。客という火に、マイクという油が注がれる。場内は完全に怒号の坩堝と化し、暴動寸前、更にはそこに、新たな火種がくべられる。
「自分が首をかけて(上と)話し合います。こんなの新日本じゃない!」
 新日本プロレス・リングアナウンサーのケロちゃんこと、田中秀和氏であった。勇気ある発言、そしてマイク。ところが、これでようやく場内が沈静化するかと思いきや、今度は長州がケロの胸倉を掴む。「1リングアナが、何を言うか!」と言ったところか。騒然とした後楽園ホール内。事実、この暴動を寸前で止めたのは、実質的にケロちゃんのマイクであるという評価がある一方で、リングという聖域はレスラーのものであるべきという、批判の声も上がったのだった。帰路につく観客は、誰1人、釈然としなかった筈だ。

 そんな怒涛の1989年を締めるのは、シングルの予選リーグ戦と、トーナメントを絡めた『’89ワールドカップ争奪リーグ戦』シリーズ。勝ち進んだ長州は燃えていた。準決勝相手の蝶野を、自らは大流血しながらも、持ち上げてから、数メートル走りこむ鬼神のごときブレーン・バスターなどで、完全KO。
「ガタガタ言うな」
 それを、マイクでなく、体で蝶野に語ってみせた。トーナメント決勝の相手は、新時代の旗手、橋本真也だ。意外にクレバーな橋本は、“ある条件”をこの試合に加味し、試合を盛り上げる。
「もしこの試合で、俺が長州のラリアットに倒れたら、坊主になって、一生長州の付け人をやる!」
 試合の勝ち負けとは別次元の、熱く、また自らの退路を断つ、リアルな挑発。だが、意外にも長州も乗った。
「よーし!そこまで言うなら、俺は橋本のキックで後ろに倒れたら、プロレスを辞めてやる!橋本、これでどうだ!」
 18年前の12月7日、互いのプライドをかけたゴングは鳴った。

 意外にも静かな立ち上がりを要求した橋本。勝る体格を利し、絞め技、関節技で攻め立てる。後手に回る長州。橋本は隠し技のジャーマン・スープレックスも繰り出し、そして、遂に長州への凄絶な蹴撃を開始した。
 調子がいい時は、コンクリートのブロックも割り、「俺は前田日明さんのも受けてるけど、ブッチャー(橋本)の方が全然痛いよ」と武藤敬司も語る、橋本の重爆キック。長州は1発目こそ、胸を出して受けるが…圧力が凄まじく、立っていられない。中腰、そして、尻餅をついた状態の長州の胸を、しかし、橋本の蹴りは容赦なく襲う。
 だが、長州は、決して後ろには倒れなかった。
 後ろに倒れて衝撃を逃がせば、楽になる筈だ。だが、前にかがみ、横に苦しんでも、決して背中をつけない。体が気持ちについていかないのか、長州の手が、マットを3回叩く。悔しさも頂点だったか。
 反撃への口火は、長州には珍しい、ベア・ナックル。一気に長州も勝負に出た。
 ラリアットを1発。橋本は倒れない。もう1発、体をのけぞらせた橋本だが、寸前で踏みとどまる。ため息の出る、受けの凄まじさ。ギリギリの、意地の張り合い。ロープに飛んで、もう一発…と思いきや、長州は意外な技を見せた。
 同世代の木村健吾が使う、イナヅマ、レッグラリアットだ。予想だにしない当たりどころに、遂にもんどり打って倒れる橋本に長州が仕掛けて試合を決めたのは、これまた同世代かつ、欠場中の藤波辰爾の必殺技、ドラゴン・スリーパーだった。力の限りを尽くした死闘の決着に、沸きあがる熱き歓声。「長州力選手の勝ちでございます!」と告げた田中リングアナの声が、力強く、また、ことさら爽やかに聞こえたのは、気のせいではなかったろう。

「なんやかんや言って、プロレスは40年以上続いてるでしょう?」
 後年、長州が語ったことがある。
「それは、勝ち負けを超えた何かが、プロレスというジャンルにあるからですよ。」

 18年前の死闘。それは、プロレスラーであることに誇りを持ち、プロレスという仕事にプライドを持った男達の気持ちが結集した、名勝負だった。(了)




<<Back  Next>>
コラムバックナンバー一覧トップ
(C)辰巳出版