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第24回 プロレスラーと感情(上)

 プロレスに一番大事なのは気持ちだ。実際に戦うレスラーもそれを表すことが勝敗以上に大事だし、観客も選手たちの感情を観に来ているといってもいい。そして、マスコミもリング上に渦巻く感情の爆発を文字に落とすことが仕事なんだと思う。
 ただ、プロレスというジャンルの幅が広がり、定義が曖昧になる中で、気持ちを発揮すること自体が難しくなってきているのも事実だろう。
 今、プロレス界を漠然と見渡していると、「もっと感情を爆発することが出来るはずなのに…」と感じる選手がいる。あくまでも個人的な感覚と思い入れになってしまうが、今回はそんな選手について書いてみたい。
 齋藤彰俊は2006年1月からNOAH所属となった。旗揚げ直後からフリーとしてとはいえ、NOAHに参戦してきただけに、表面的にはなにも変わっていないはず。だが、どうしても物足りなさを感じるのはなぜだろう。
 インディー団体でデビューした彰俊は、誠心会館、反選手会同盟、平成維震軍などで暴れ回ってきた。僕が初めて立ち読みをしたプロレス専門誌は、奇しくも空手家時代の彰俊が表紙を飾った週刊プロレスだったのを覚えている。
 プロレスラーとしての技術は正直、穴だらけだったし、ハッキリ言ってしまえばプロレスラーと呼んでよかったのかすら分からないが、当時の彰俊が発散する喜怒哀楽は心に響くものがあった。その姿勢こそが齋藤彰俊というレスラーの一番の魅力だと言っても間違いないだろう。
 NOAHに参戦するようになってからも、彰俊は秋山とのタッグでゼロワンに乗り込むなどして存在感を見せていた。秋山と袂を分かって後も、ダーク・エージェントを結成。笑いやネタに走っている時もあったが、その後ろにある姿勢みたいなものは感じ取れたし、だからこそ小橋や力皇が保持していたGHCヘビー級王座にも挑戦ができたのだと思う。
 NOAHマットにおける彰俊は、誠心会館時代の激しさと、長年のレスラー生活で身につけたスキルをうまく融合し、硬軟使い分けることが出来るようになっていた。だが、例えばタイトル戦を目指す橋誠とのシングルマッチでは叩き潰すファイトを展開していたし、裏側にある怖さを感じさせてくれた。
 だからこそ、余計に今の彰俊を見ていると悔しい気持ちになる。クリスマスやイベント興行の時だけ目立つ、面白い脇役レスラーになりつつあるからだ。
 新日本マットから姿を消してからNOAHに参戦するまでの間、彰俊は誤診だったとはいえ余命が少ないことを宣告され、泥水をすするような生活をしていた。あえて客足が遠のくような繁華街から離れた場所でバーを経営し、自分を追い込むことで、その精神性を強めていた。
 彰俊が死神を文字通り背負っているのは、いつ死神に審判を下されてともいいように生きるという決意を表現したいからだ。だが、最近の彰俊の戦いを見ていると、なにか違うんじゃないか、そんな風に感じてしまう。
 タイトル戦線で恵まれていないわけではないけれど、外国人と組んだり、KENTAと組んだり、普通にダーク・エージェント的なタッグになったりと、便利屋的な位置になりつつある。
 もちろんマスコミがうまく彰俊の主張や考えを拾ってあげられていないという部分もある。だが、リング上から立ち上る殺気、このコラムの冒頭で書いたような気持ちが彰俊から感じ取れなくなっているのは、僕だけじゃないはずだ。
 頭の切れる人だから時期を見定めているのかもしれない。ただ、時期とかタイミングとか、そういう言葉は逃げになってしまう。一見無意味だと思われるカードであろうと、自分の生き方を見せられるのが真のプロレスラーだと僕は思うし、彰俊が誠心会館や維震軍で学んできたのも、そういう姿勢のはずだ。
 果たして彰俊はどこにいこうとしているのだろう。それは最終的に本人が決めることだけれど、そこに待ち受けている戦いやファイトスタイルは、彰俊の気持ちが目一杯こもったものであって欲しい。




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