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第18回 三沢と川田と当時の僕(15)

 97年の春。僕のプロレスとの関わり方にも大きな変化が起きた。高校時代は本当にプロレス中心に生活していて、学校の行事や期末テストなんかそっちのけでプロレス観戦に熱中し、同級生から奇異の視線を浴びていたが、高校卒業と同時に、今度は後楽園ホールの係員というある意味プロレスファンにとって天職の仕事を始めたのだ。
 ちょうどこの年のチャンピオン・カーニバルがファンとして最後に後楽園ホールでプロレスを観戦した試合になる。ボクシングは一ファンとして観に行ったことがあるが、プロレスに関しては未だにそれ以後、ファンとして後楽園で観戦したことはない。
 これまでは全日本プロレスを中心に見てきたが、係員になると必然的に新日本はもちろんのこと、FMWなどのインディー団体や女子プロレス(まだ全女が分裂する前だった)、さらにはボクシングやキックボクシング、総合格闘技にも触れるようになった。
 後楽園ホールは合計すると年間で300〜400興行近く試合が行われている。そのほとんどの大会に関わり、仕事に追われながらも試合を見てきたことは、記者という仕事をするようになっても大きな財産になっている。記者になる前から業界に片足だけ突っ込んでいたようなものだから、すんなりとプロレス記者という特異な仕事に馴染むこともできた。
 だが、当たり前の話だけれど、あくまでも係員は仕事であって「この試合が見たい」なんていう願望が認められるわけではない。他の用件が発生すればどんな試合が行われようとそちらを優先しなければいけないため、一ファンとして観戦するのとはまったく違う感覚になる。逆に「普通の観客としてプロレスが見たい」という願望が強まっていたのもこの頃だ。それが、一人旅をしながら、地方の試合を観戦に行くという行為に繋がっていくことになる。
 僕の置かれている立場が変化するのと同時に、川田が三沢の持つ三冠王座に挑戦することが正式に決定した。互いにチャンカーで負った怪我が治りきらない中での対戦となるが、川田は「三沢さんに対しては今回が最後のつもりで挑戦する」という決意を取材陣に語っている。
 背水の陣をひいて自分をさらに追い込もうという思いもあっただろうし、それに負けないぐらい「今度こそ勝てる」という自信もあっただろう。もしかすると、三沢を追いかけることに疲れてしまった部分があったのかもしれない。ただ、どんな気持ちを抱えていたにせよ、この三冠戦がなにかしらの区切りになるであろうことは、誌面を見るしかない僕にも理解できた。
 小橋がエース&パトリオットのユニットをスタートさせたり(後に『GET』と命名される)、池田大輔が全日本に初参戦を果たすなど、新しい全日本の景色が作られていく中で、川田も新たな一歩を踏み出そうとしていた。
 しかし、これまでもそうだったが、川田がひとつの戦いに集中することを当時のプロレス界は許さなかった。6人タッグマッチでオブライトにピンフォール負けを喫し、さらに世界タッグ王座も小橋&エース組に奪われてしまう。そして、天龍源一郎が革命10周年となる記念の大会を前に、川田との対戦を再びぶち上げた。川田にとってかつての師匠からの対戦要望は嬉しいことでもあるはずだが、当然会社側からGOサインが出なければ実現など不可能。川田個人としても複雑な思いを感じていただろう。武道館決戦が近づくにつれ、川田はノーコメントを貫くようになった。
 そして、6月6日、日本武道館大会がやってくる。新日本プロレスが前日に同じく武道館大会を開催しており、興行戦争という意味合いもあったが、いざ試合が始まってしまえば、三沢vs川田というこれまで積み重ねてきたストーリー以外のことはまったく関係なくなっていた。川田は真の三沢越えを果たすべく、今回もただがむしゃらに攻撃を仕掛けた。三沢の場外タイガードライバーを食らいながらも、エルボー封じの右腕攻めを皮切りに、デンジャラスバックドロップ、エグい垂直落下式ブレーンバスター、必殺のパワーボムを連発。ここぞという時にしか出さない浴びせ蹴りやジャンピングハイキックも繰り出し、三沢の牙城に迫っていく。
 しかし、三沢もそれ以上の気迫で川田の攻勢を押し返していく。四天王プロレスは危険な技の攻防ばかりが強調されるが、この2人の戦いには恐ろしいほど生々しい感情がやはり渦巻いていた。
 この日も最後に競り勝ったのは三沢だった。確かに川田はいつ三沢に勝ってもおかしくないところまで来ている。だが、そんな拮抗した中で何度やっても勝てないという現実は、まったく歯が立たないという状況以上に厳しいことだったのかもしれない。川田は試合後、こんな風に語っている。「今日勝てなかったことで、三沢光晴に対して1つのケジメが付いたと思う。これからは三沢、三沢って言うんじゃなくて、もっと楽な気持ちで何にでも挑戦していきたい」
 ジャイアント馬場はこの試合を見て「これだけ凄い試合をしたらどちらにも勝たせてあげたい。勝負が付くのが可哀想に思う」と語っていたという。三沢は自身の勝利について「自分自身の意地ですよ。相手があってもそんなの貫き通せない。俺が作ったものだけど、人が見る三沢があって、自分しか分かっていない三沢もあって。俺の中の三沢はこうありたいという変な意地だよね」と振り返っていたが、この2人の戦いは、精神的にも複雑で、当事者でしか分からない領域に突入していた。
 そして、三沢はこうも語っていた。「(川田がケジメを付けたと言っていたが)それは川田が決めたことだからね。逃げも隠れもしない。俺はここにいる。挑戦したいと思った時に挑戦してくればいい。技術とか問題じゃない。気持ちですよ」
 92年の三冠戦から既に5年近くが経過していたが、この2人にしかできない戦いがこの日も武道館を熱狂させていた。僕は一ファンというよりも、同じ時間を共有してきた人間として、この2人の戦いを追い続けたいという衝動に駆られるようになっていた。




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