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第19回 三沢と川田と当時の僕(16)

 三沢戦を終えて、自分の中でひとつの区切りを付けた川田。それでも季節は巡る。すぐに『97’サマー・アクションシリーズ』が開幕した。川田を退けた三沢は田上との防衛戦が決定。小橋は世界タッグ王者として防衛戦が組まれており、四天王では川田のみがあぶれた形となる。文字通り暗中模索の状態だった川田は、いきなり開幕戦で右脚を負傷。精神的にも肉体的にも苦しい状況に追い込まれてしまった。
 そこに、飛び込んできたのが、キングダムの高山善廣だ。川田とはこれまで2度戦い、2度とも辛酸を飲まされている。団体としてではなく、個人的に川田をつけねらうと宣言した高山と抗争がこのシリーズで勃発。シリーズ中に2回激突したが、これが高山の全日本参戦に繋がっていく。これは川田にとってもプラスになった。四天王プロレスは常にマンネリとの戦いでもあったが、川田が一番求めていたものも刺激だったからだ。逆に言えば、この頃を境に四天王プロレスは変化していく。進化をしたというのも事実なのだが、純度を失ったことで、目に見えない何かが変容し始めていたのではないかとも今になって思う。
 馳浩、池田大輔、そして高山、さらにハヤブサ&人生も参戦し、活気を帯びてきた全日本マット。続く『97’サマー・アクションシリーズ2』では、田上を相手にタイトルを防衛した三沢に対し、秋山が挑戦することになった。
 このシリーズの中盤で開催された札幌中島体育センター大会。この大会が僕にとって初めての地方“密航”だった。東京から夜行バスで出発し、仙台に早朝到着。しばらく時間を潰した後、岩手に移動し、そこでみちのくプロレスの矢巾町民総合体育館大会を観戦した。ちなみにこの大会の模様を掲載している週刊ゴングには、僕がサスケと握手をしようと手を出している姿が写真の角にひっそりと写っている。
 岩手で一泊し、そのまま在来線で北上。函館に向かう電車の中で寝てしまい、気付いたら青函トンネルを出て、北海道に上陸してしまっていたのを覚えている。函館を夜中に出発する夜行で札幌入り。ここまで来るのに交通費は1万円ほどしかかかっていない(電車は全て青春18切符を利用)。
 今はなき札幌中島体育センターを訪れたのはこの日が最初で最後となったが、思い出深い会場になった。メインイベントは当時の全日マットにおけるタイトルマッチでは珍しく10分以内で終わった三沢&秋山vsウィリアムス&オブライトの世界タッグ戦。ウィリアムスの殺人バックドロップ→オブライトのフルネルソンスープレックスが連続して三沢に炸裂し、三沢が轟沈した。
 セミファイナルは小橋vs馳。予想ほどスイングしない内容となったが、それにはこの頃の小橋がスタイルを変えている途中だったのが影響しているように思う。強引にラリアットでねじ伏せるファイトが、少しずつ変わっていき、チョップを多用してリズムを作るスタイルが完成するのはもう少し後のことになる。
 川田はこの日も高山と対戦していたが、高山のパートナーには中野龍雄もいたため、刺激的な戦いとなった。最後は田上がフロントハイキックで中野を沈めている。また、この時に大森隆男も高山と初激突しており、ノーフィアーの物語も始まっていた。
 最終戦の武道館でも川田と高山がぶつかっているが、この試合を垣原賢人も観戦し、川田への興味を示していた。
 三沢越えというテーマから距離を置き、UWF戦士との抗争をスタートさせた川田。25周年記念興行となる10・21武道館では高山とのシングル戦も決定した。そして、三沢は秋山戦を乗り越えたばかりだというのに、同時期にシリーズ中2度の三冠防衛戦を強いられることになる。三沢と川田はまったく違う道を歩み始めた。




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