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第22回 三沢と川田と当時の僕(17)

 全日本プロレス旗揚げ25周年を記念する『97ジャイアント・シリーズ』で、良くも悪くも話題の中心になったのは小橋だろう。最終戦の武道館では三沢光晴との対戦が決定し、三沢がウィリアムスとの三冠戦を乗り越えれば、三沢vs小橋戦にも三冠王座がかけられる可能性が高かった。旗揚げ25周年記念大会のメインイベントという重要な試合を控え、気合いを入れていかなければいけない立場だったが、実際は右太腿を痛め、満身創痍の状態だった。
 シリーズ間のオフは3週間あったが、その合間に行われたファン感謝デーで負傷を負ってしまった小橋。良化しつつあったが、開幕戦での大森隆男でさらに痛めてしまった。2戦目の後楽園大会ではFMWの川崎大会とダブルヘッダーを敢行。さらに、その翌日には秋山準とのシングルマッチ、と厳しい戦いが続き、小橋の太腿はパンク寸前、いやもう完全にパンクしていた。そんな状態でも、小橋はエースとのコンビで保持していた世界タッグ王座を防衛し、三沢との三冠戦は結果的には敗れてしまったが、この年のベストバウト賞に選ばれるほどの名勝負をやってのけたのだ。
 同日、川田は高山善廣とシングルマッチで激突した。神宮球場で戦ってからはや1年1ヵ月。その間に高山も全日本マットに順応するようになっていたが、川田はこの対決を前に、「レガースを付けて、Uスタイルでかかってこい」と高山を挑発していた。
 その言葉の通り、高山はレガースを付けて入場。全日本流のファイトに合わせるのではなく、U系の戦い方を川田に仕掛けた。この日の2人の戦いは、川田があえてUスタイルを受けているようにも見えるし、高山がUスタイルで川田を翻弄したようにも見えた。たぶん、その両方なのだろう。ある意味では高山の本当の良さを川田が引き出したとも言えるし、逆に高山が川田のスタイルが持つ限界を分からせたとも言えるかもしれない。川田は充実感と同時に、プロレスの難しさを改めて感じたのではないかと思う。
 そして、年末の風物詩『世界最強タッグ決定リーグ戦』が開幕。この年はハヤブサ&人生組やウィンダム&ブラッドショーも参加し、これまで以上にレベルの高いチームが出揃った。
 優勝戦に勝ち上がったのは、奇しくも川田&田上組と三沢&秋山組という去年とまったく同じ顔合わせになった。前年はボロボロになるほどやられてしまった秋山が、一年越しのリベンジを果たすべく奮闘。だが、それを振り払った川田&田上組が勝利し、2連覇を遂げた。
 2連覇の喜び、そして、世界タッグや三冠挑戦を目指しての意気込み。最強タッグ優勝チームへの質問と言えば、このあたりが定番となるが、この日の記者団から上がった質問は違っていた。
「東京ドーム大会について思うことは?」
 そう、全日本プロレスとしては初となる東京ドーム進出が、武道館の電光掲示板を使って発表されたのだ。




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