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第27回 功と罪

 四天王プロレスの功罪、なんてことをGスピリッツ編集部で話したことがある。実際、最近になって四天王プロレスとはいったいなんだったのか、そんな論議が耳に入ってくることが増えてきた。
 正直なところ、断崖式や垂直落下式など危険な技が横行したのは四天王プロレスの影響が強いのは否定できない。カウント2.9の攻防が繰り返されたことによって、必殺技の意味や投げ技の重みが失われてしまったという意見はもっともな話だと思う。
 ただ、それは“今になって振り返ってみれば”という部分が大きい。当時の僕の感覚から言えば、全日本は「払ったお金の分は必ず満足させてくれる」団体だった。少ないお小遣いを必死にやりくりして、やっと訪れたプロレス会場なのに、いい試合、盛り上がる試合を見ることができず、逆にどんなに刺激的であろうと、消化不良の試合を提示されたら、そういう団体を見に行こうという気持ちはなくなっていく。数年前の新日本プロレスが犯した失敗もこの考え方に由来していると思うし、今、勢いが戻っていると言われているのは、改めてファンとの信頼関係を構築しているからだ。
 そういう意味では、四天王プロレスはファンとの信頼関係という部分だけを切り取れば、日本のプロレス界の歴史を紐解いても、かなり高いレベルに位置していたと思う。「全日本」コールという象徴的な出来事もあったが、良い意味でも悪い意味でもファンを裏切ることはなかったし、「見守っていこう」「育てていこう」という感覚がファンの中にはあった。
 これまた僕の個人的な意見になってしまうけれど、あくまでも『四天王プロレス』と一般的に呼ばれる戦いが偏っていたのであって、当時の全日本プロレス全体に問題があったのではない。このコーナーでも書いてきたが、当時はB級外国人選手をニヤニヤしながら見るようなマニアックな部分もあったし、前座戦線ではクラシカルなレスリングが展開されていた。馬場、ブッチャー、ドリーあたりのプロレスをしっかりと見せていたのだから、全体的なバランスで言ったら、それほど尖っていて、偏った団体ではなかったのではないかと思う。
 四天王プロレスの根底のあるのは感情の爆発だった。しかし、各選手の格差が無くなったことで、感情が全面に出ることが少なくなり、余計に危険な技ばかりが目立つようになっていった。三沢体制の全日本やNOAH初期にはそういうスタイルを変えていこうという動きがあったと思うが、それが具体的な形にならないまま、今日を迎えているような気がする。
 だから、森嶋や丸藤、KENTAたちがしていかなければならないのは、四天王プロレスと呼ばれるスタイルを消化(昇華)し、自分たちなりの戦いをNOAHマットで築いていくことなのではないだろうか。それは新日本におけるストロングスタイルもそうだし、インディーマットにおけるFMW(デスマッチ&エンタメ)もそうだし、さらに話を進めれば、プロレスマスコミにおける活字プロレスもそうだと思う。旧来のスタイルが揺らいでいき、形が漠然としていく中で、新しいものを創造しなければならない時期が来ている。
 この10年間でプロレスという言葉の意味合いがかなり崩れてきた。例えばテクニシャンという言葉も、以前は文字通り多彩なテクニックを持つ選手という意味だったが、今は受け身がうまいとか、受けっぷりがいいなんて意味が強くなってきた。以前ならそういう形でテクニシャンという言葉を使うことなんてなかったし、そういう見方もなかった。TAKAみちのくが「俺は世界一うまくシャイニング・ウイザードを食らうことができる」なんて発言をしていたが、これが一昔前なら絶対に許されなかった表現だろう。
 少しずつ狂ってしまったプロレスの定義を、再び作り直すことが急務だ。そういう作業には、四天王プロレスという時代を改めて振り返るのも必要になってくるだろう。




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