[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[12.13]メヒコの刺殺と射殺事件

 命日には少し早いけど、日曜日に池上本門寺へ力道山のお墓参りに行ってきた。ご存知のように力道山は1963年12月8日に赤坂の「ニューラテンクォーター」で暴漢に刺されて15日に亡くなった。日本中を震撼させる大事件だった。白金小学校の我がクラス、月曜日の朝のホームルームの時間に担任の久保田先生が開口一番「力道山が昨日お亡くなりになりました」と…。事の重大さを実感した寒く静かな朝だった。

 プロレスラーがこうした事件で命を落とした例はいろいろある。近いところでは93年3月にディノ・ブラボーがマフィアに射殺された。クリス・アダムスは2001年11月に友人に撃たれて亡くなった。アメリカは銃社会だから、刺すより撃つほうが多いのだろうか。刺すならば、プエルトリコのホセ・コンサレスによるブルーザー・ブロディ刺殺事件があまりに有名だ。では、こうした刺殺・射殺事件はメキシコではどうなのか…。それが、あるある! 驚くほどいっぱいあるのだ。この機会にまとめて紹介しておこう。

 それは力道山と同じ60年代に集中している。どれも決まって酒場でのトラブルである。力道山の死から2年後の65年12月3日、グアダラハラの飲み屋で酔った客と喧嘩したエル・グラディアドール(ルイス・ラミレス)が刺殺された。グラディアドールは55年にエル・サントを破ってナショナル・ミドル級王者にもなるほどの実力者。翌年のアニベルサリオでサントに敗れて白いマスクを取られた後はアルコール中毒になっていた。それが災いしての死だった…。


※“剣闘士”エル・グラディアドールはサントのライバルだった。

 それから2年後、67年5月30日のモンテレイ。「ネグレテス・バール」というバーでエスパント1号(ホセ・バスケス・シスネロス)とエル・ミステリオ・ネグロ2号(ホセ・グアダルーペ・カネグロ)の2人が射殺され即死するという凄惨な事件が起きた。犯人はマリオ・モレノ・レイジェスというメキシコ陸軍の兵士だった。事件現場にはエスパント2号、3号(1号の実弟)も居合わせたが、彼らは無傷だった。彼らは試合後にこのバーに飲みに来て、居合わせたマリオと喧嘩になって、この惨事に遭遇する。

 エスパント1号は63年4月17日にルーベン・フアレスを破ってナショナル・ライトヘビー級となり、同月10月25日のアレナ・メヒコでサントに敗れて黒地に白い十字架のマスクを取られている。65年に再度同王座を獲得して、デビューしたばかりのミル・マスカラスを相手に防衛戦をこなした本格派ルードだった。事件はスペイン、フランス、ドイツへの海外遠征が決まっていた矢先に起きた。その候補地には日本も入っていたという。享年35歳。

 もう1人の被害者エル・ミステリオ・ネグロ2号はあのラウル・ロメロの愛弟子で、ポパイ・フランコ、シルバー・フォックスと改名を重ねて、このキャラで成功を収めようとしていた。恐るべきはルチャ専門誌が即死した被害者の現場写真を掲載していること(今はどうだか知らないけど、メキシコにはそうした変死体だけを集めた写真週刊誌があった…)。

 う〜ん、メキシコらしいといえば、メキシコらしいが、まさかルチャ専門誌が撃たれて血まみれになった選手の凄惨な写真を載せるとは…(絶句)。


※エスパント1号はナショナル・ライトヘビー級王座を2度獲得。

 ルチャ史上最悪の惨事と言われたこの事件の翌年にもさらなる殺人事件が起きている。それは68年7月14日のこと。場所はグアダラハラの酒場。殺されたのはアポロ・クリエル(ダビッド・クリエル)。37年12月29日、ベラクルス州タントヨカン出身の名テクニシャンだ。その夜、コリセオでクリエルはウラカン・ラミレス、スペインのマヌエル・ポールマンと組んで、アルフォンソ・ダンテス&ビック・アメスクア(後のセプティエンブレ・ネグロ)&マヌエル・ロブレス(クロネコの叔父)とメインで試合した。その夜に彼はバーでラファエル・パレダス・マルティネスという男と喧嘩となり、45口径のピストルで撃たれ、3日後に死亡した。

 闘鶏をマスコットにした無冠の大器クリエルは前年9月20日のアレナ・メヒコでのNWA世界ミドル級王座決定戦でレネ・グアハルドに敗れて初戴冠こそ逃したが、その試合は年間ベストバウトを受賞。今回はNWA世界ウェルター級王者カルロフ・ラガレデへの挑戦が決まった矢先の事件だった(葬儀には王者ラガルデも出席し、棺を担ぐ)。享年31歳。64年2月にオートバイ事故で亡くなったハビエル・エスコベドと、このアポロ・クリエルは、もしあのまま生きていたら新時代が作れたであろうと誰もが言う…惜しまれる人材だった。


※ダビッド・アポロ・クリエルは60年代のイケメン技巧派だった。

 殺したのでなく、殺してしまった例もある。パンチョ・バレンティーノ(本名ペドロ・リナレス・エルナンデス)はメキシコで最初に殺人を犯したルチャドール。彼は共犯者数人と57年1月10日、メキシコシティの教会に泥棒に入って司教を殺害した。そして現金を盗んでタンピコに逃げたが、警察に追われて逮捕される。パンチョは50年代アレナ・コリセオでセミファイナルクラスのルードだった。彼は事件から20年後に亡くなっている。

 他に日時は不明だが、ベンガーラ1号はタンピコで刺殺された。2009年6月30日にラ・パルキータ(アルベルト・ペレス・ヒメネス)とエスペクリート・ジュニア(アレハンドロ・ペレス・ヒメネス)の兄弟がメキシコシティの安ホテルで物取りの女性2人組に殺害される事件もあったし、2010年9月11日にプエブラであのラ・フィエラ(アルトゥーロ・カスコ・エルナンデス)が路上で刺殺されたのは記憶に新しい。アミーゴが殺されるって凄く嫌な気持ちだよ…。ただ、フィエラは昔からとんでもない大酒飲みだった。日本でも手を焼いたよ(それはいつか、また話そう)…。

 相手がナイフ等の凶器を持っていながら、喧嘩して連勝したルチャドールもいる。グアダラハラのバーで用心棒をしていた若き日のエル・ソリタリオである。子分のソラールはそういうソリタリオの武勇伝をたくさん知っている。その時代の選手たちもその手のソリのデンシャラスな話をよく聞かせてくれる。逆にソリがモンテレイの試合場で酔っぱらって駆けつけた警官たちをノックアウトして出場停止処分を受けたこともあったと聞いた。私もソリとは何度かアカプルコの酒場に行ったが、そういう事件が起きなくてよかった。といっても、私と一緒に行った頃は猛省して禁酒していたけどね…。

 忘年会シーズンなので、みなさんも飲み過ぎぬよう、説教などせぬよう、暴力を振るわぬよう、また周囲にも気を配って楽しく飲んでほしいと思います。私も気をつけます。






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