[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[11.28]悪魔の芸術

 退院して、もろもろリハビリをしていたら、思考回路がマスクのところで止まっているのに気づく。こりゃイカンと思っていたところに、「ドクトルにどうしてもお聞きしたい」というマスク関連の質問が来た。「私はプエブラ製のマスクが一番だと思うのですが、ロペス製のどこがいいのかというのがイマイチわかりません。あの本にはドクトル自身の主観が入っていなかったので、わかるように説明してもらえませんか」というもの。これはトークイベントでも答えていなかったので、後進のマスクファンたちに、ちゃんとわからせておかねば…と思う。

 まあ、現在のマスクファンと言われる人たちの大半がプエブラ世代なので、プエブラ製に思い入れがあるのは仕方ないと思う。思い入れは否定しない。しかし、それはあくまで「整った顔に仕上げた」というだけで、アレハンドロは一部のオーバーマスクをデザインしたものの、作品の大半は既製品のコピーだったということ。それはマスカラスに限らず、カネック、ドス・カラスについても言えることだ。最初にそれらをデザインから起こして、作品にした人間には勝てない。それはアレハンドロ自身も熟知していた。

 タイガーマスクでも、二冠伝説等で顔を整えたのは豊島氏でも、その土台を作ったのはポピーだということ。1981年に日本のマスク製作は手探りで始められ、そこに辿り着いて「基本形」を作った…そこに価値があるのだと思う。しかし、ラヌルフォ・ロペスの場合は、ポピーのそれとは違う。マスカラスのマスクを作るまでに既に30年のマスク作りのキャリアと実績があった。最初に「形」にしたことも大事だが、何よりも靴職人としての縫製技術は、同時代のアントニオ・マルティネス以外で並ぶものがいない。この技巧は芸術的である。そして一番凄いと思うのは卓越したデザイン性だ。


※博物館では古代アステカの仮面をチェック。

 私はただ単にプロレスのマスクを眺めていただけではない。「なぜ、こういうデザインが生まれるのか」「どういう思考がこの線や模様を生み出すのか」という歴史的、民族的な背景を常に考えてきた。だからメキシコに行くと、博物館や美術館、遺跡を見学する。そこで古代の仮面やさまざまな絵画、壁画、像などに接し、アステカ人、マヤ人、そしてメキシコ人独特の美的感覚を探る努力をしてきた。それは日本にいては、理解できない感覚かもしれない。ロペスにもそうしたアート感覚溢れる民族特有のDNAが植え付けられていた。だからこそ、ロペスは独特の紋様や模様を用いてマスクというキャンバスに自分の芸術を表現できたのであろう。

 アレハンドロは具体的な動植物や物体をデザイン化するが、ロペスの作品には抽象的なデザインが多い。日本人のイラストレーター1000人に書かせても、絶対ロペスのデザインに近いものは描けない。「これは何を表しているのだろう」という、あの抽象的な作風こそがロペスそのものなのだ。それらを見て、櫻井康雄さんが「悪魔仮面」と呼んだ意味がわかる。

 それまで我々日本人が見てきたマスクマンはザ・デストロイヤー、ミスター・X、ミスター・アトミックといった単調のラインのフチドリのマスクで、デザイン性にまったく欠如していた。そこにあの複雑なデザインのマスクが登場したのだから、1968年の我々が「悪魔か」と驚くのは当然だ。櫻井さんも「悪魔の仕業」としか表現できなかったのだろう。このロペスのデザイン感覚、芸術性はライバルのマルティネスにはなかった。天はロペスに二物を与えた…ということになる。


※こんな奇怪なマスクのデザインを誰が考える!?

 マスクだけを眺めていると、そこの部分は見えて来ない。ロペスとアレハンドロの決定的な違いはそこにある。アレハンドロ自身も、その辺ははっきり自覚していた。鶴田と藤波が一生かかっても馬場&猪木の域に到達できなかったのと同じである。

 さて、マスク好きの有志が『X,mas de マスク展』という展示イベントを開くという連絡を受けた(12月21日〜24日)。この期間中「川崎市中原市民会館 1階市民ギャラリー」(9時〜18時 入場料無料)で開催されるとのこと。武蔵小杉駅前なので、ウチからも近い。

 主催するメンバーは私をいつもサポートしてくれている面々。特に主催者は私が入院中で、糖分制限があるのにも関わらず、砂糖の塊のような高級プリンを差し入れしてくれた。その恩義(?)もあって、ここは一肌脱ぐことにしよう。もし、会議室とかの予約が取れたら、マスクに関する公演とか、勉強会とか、ディスカッションみたいな企画ができたらいいなと思う(おそらく22日。これも入場料無料)。場所と日時が決まったら、改めてお知らせします。今年もクリスマスまでマスク漬けになりそうだ…。








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