[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[01.16]心に刺さった“亀男”

 先週は亡くなったダイナマイト・キッドについて書いたが、私が入院している間に、いろんなOBが亡くなっていた。ロスのダンキチ(元ゴング通信員のダン・ウエストブルック)からラウル・マタが12月20日に死去したニュースがEメールに入っていた。退院してパソコン開けてビックリした。

 マタは本当に巧いので、大好きな選手だった。1947年1月26日、グアダラハラ出身でディアブロ・ベラスコの愛弟子。アルベルト・ムニョス(後にホワイトマン)やパト・ソリア(ショッカーの父)と同期だ。65年1月デビューで、69年4月11日にドクトル・ワグナーを破ってナショナル・ライトヘビー級王者となり、71年10月にアルフォンソ・ダンテスに敗れるまで1164日間の同タイトルの保持レコードを作った。


※ラウル・マタはマスカラスと同世代の正統派スター。

 71年7月からロス地区に遠征し、同年9月10日のオリンピック・スタジアムで行われたスーパービッグショーでソリタリオのNWA世界ライトヘビー王座にメキシコ・ナショナル王者として挑戦している。ダンキチは「あの日、一番の試合はあれだった」と言っている。77年12月にはエル・アルコンを破り、ナショナル・ヘビー級王者にもなって2階級を制覇し、80年1月にはダンテスから9年前のロスで奪えなかったNWA世界ライトヘビー級王座を獲得している。ロスではアメリカス・タッグ王座を9度も獲得している(72〜76年)。パートナーはドリー・ディクソン、レイ・メンドーサ、サルバドール・ロザリオ、ダビッド・モーガン、ビクター・リベラ、ラウル・レイジェス、チャボ・ゲレロ(2回)、カルロス・マタ…と、誰と組んでもしっかり結果を出した。以後、テキサスとフロリダを転戦し、アメリカに定着する。

 初来日は新日本の『第3回ワールド・リーグ戦』で、不本意な結果(2勝11敗)だったが、こういう数字で結果の出るシリーズには来てほしくなかった。藤波が凱旋した後のシリーズにでも来てくれれば、チャボ級の評価が与えられたと思う。78年6月のロスで藤波に挑戦した実弟カルロス・マタは再三、ドラゴンを苦しめた。実績上位の兄貴ならばもっといい仕事をしたと思うのは私だけではあるまい。ゴッチの推薦で来た旧UWFの85年『パンクラチオン・ロード』は場違いの戦場だった。これまた残念でならない。こういう日本で不当な評価をされた不運なガイジンはいっぱいいたよ。

 それにしても、昨年はメキシカンの訃報が多かった。ウニベルソ・ドスミル、ラヨ・デ・ハリスコ、ビジャノ3号、ホセ・ロザリオなどのビッグネームの他に、みなさんが一度は耳にしたことはあるであろうと思われる選手も多数亡くなっている。フラマ・アスール、アス・チャロ、アルカンヘル・デ・ラ・ムエルテ、チカノ・パワー、ピラティータ・モルガン、ピクド、スペル・ラレド、エクリプセ、オンブレ・バラ…。それ以外に無名選手を入れると、30数名ものルチャドールがこの世を去った。彼らの冥福を祈るととともに、この数字を見て改めて思ったこと…それは「メキシコはどれだけプロレス王国なの!?」ってこと。欧米でもこれだけの数の選手、OBがたった一年で亡くなることはないでしょう。選手層の厚さは時代を超越して半端でない。

 死生観の違いというのもあるかもしれない。メキシコ人は死に対して常に真剣に向き合い、死者の魂を尊重する。いくら無名選手であろうと、死しては同等。死亡のニュースを素早く公表し、悲しみを共有することこそ大事。今でこそ、インターネットで訃報は瞬時に伝わるようになったが、メキシコでは雑誌を通じて、どんな無名の選手の死も報道されてきた。今ではメキシコの専門誌も1誌になってしまったが、訃報の伝達は相変わらず早い。私が昨年9月にメキシコへ行っている時も「EXPO」の会場では「チノ・チョウが亡くなったよ」というニュースが駆け回っていた(亡くなったのは9月15日=享年81歳)。


※チノ・チョウはゴツイ顔をした中国系ルチャドール。

 日本ではチノ・チョウの死はニュースになっていないはず。71年夏に櫻井康雄さんと竹内宏介さんが初のメキシコ取材に行った時に、ゴングのグラビアで初公開され、当時のファンの心に深くインプットされた…それがチノ・チョウだった。「アレナ・コリセオに行ったら、日本人みたいな顔をした東洋人がいたからびっくりした」と竹さんは教えてくれた。ゴングでは、どんなに攻撃されても、甲羅みたい硬い背中で耐えるという亀のようにタフなキャラクターと紹介されていた。

 チョノ・チョウの本名はエンリケ・ベラ・ロペス(注・新日本に来たのはエンリケ・ベラ・ロドリゲス)。37年3月1日のドゥランゴ出身で、祖父が中国人移民だったようだ。54年にデビューして50年代後半〜60年代前半にはリンピオとしてグアダラハラではメインを張ることもたびたびあったし、グアテマラなど中米でも活躍した。

 私が79年にメキシコに行った頃にはナカムラという名前のルードのマスクマンになっていた(見たかったのは素顔のチノ・チョウだったのになあ…)。その後、81年3月にソリタリオに敗れマスクを取られて素顔のチノ・チョウに戻る。同年9月25日のロスのスポーツアリーナで、私はソリタリオvsチノ・チョウを観ている。「ああ、これがあのチノ・チョウか」と小さな感激を覚えた。その後、再びマスクを被ってデストロイヤーを名乗っていたが、88年のアパトラコでソラールに敗れてマスクを取られた。息の長い選手だった。

 エストレージャではなかったが、バイプレイヤーとしてメキシコマットを底辺で支えた東洋キャラ。71年に竹さんが“亀男”と名付けて日本に紹介したチノ・チョウの存在は私だけでなく、当時のマニアたちを魅了した。名前も、顔もインパクトがあった。同じように40年前、私が79年にメキシコへ行ってゴングの誌面で紹介した選手たちは、みなさんの心に刺さったでしょうか…。



『ビバ・ラ・ルチャVol.39 ドクトル・ルチャ初渡米・初渡墨40周年〜すべてはあの取材旅行から始まった〜』
■日時 2月3日(日) 開場12:30 開始13:00
■会場 新宿・ネイキッドロフト(東京都新宿区百人町1−5−1 百人町ビル1F)
■チケット 3000円(当日3500円)※飲食費別
■出演 “ドクトル・ルチャ”清水 勉
■司会進行 パニコXX
■電話予約 ネイキッドロフト03−3205−1556(16:30〜24:00)
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