[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[1.30]青春の旅



 今からちょうど40年前の1979年1月末日、私とウォーリー山口君は羽田空港から旅立った。月刊ゴングの予備軍(ザ・マニアックス)だった我々は海外武者修行の旅に出たのだ。それはゴングから渡航費用が出るわけでも、「行け!」と言われたわけではなく、自発的なもので、すべて自費だった。与えられたのは数十本のフィルムだけ。そこから先の1ヵ月間は自己判断のみで最良の取材先を見つけて動くという修行(?)だ。

 竹内宏介編集長からそれぞれに出されたテーマもあった。アメリカ全土を縦横無尽に移動する予定のウォーリーには2月10日、シカゴでの馬場vsブッチャーのPWF戦を押さえること以外に、「バディ・ロジャースの自宅訪問をして来い」という密命を受けていた。メキシコが目的地の私には「帰ったらメキシカンを紹介する連載をするから、トップ選手のインタビューを片っ端から聞いてきてほしい。それとマスク屋さんを取材してもらいたい」というもの。ガッテンだ! そのために「プレスマン」というソニーのカセット録音機を買った。

 22歳の私と20歳のウォーリーは怖いものなしだった。とはいえ、英語教育を受けて育ったウォーリーは3度目の渡米。これが初めての単独長期取材だというだけで、そんなにプレッシャーはなさそう。しかし、スペイン語すら喋れない私の突撃&長旅は今から思うと、かなり無謀に近かった。それでも最低、竹内さんからの指令はやり遂げなければならない(出発前にインタビュー用の勉強をしたが、果たして実戦で通じるか…)。未知の領域への探検者気分の私は好奇心の塊で、「行けばなんとかなるだろう」くらいの感覚。その頃は心臓に剛毛が生えていたと思う。

 太平洋を渡ってからの3日間、ロス、シスコ、ヒューストン…ウォーリーと一緒にアメリカを転戦したのは、私自身が望んだことだった。もしロスからいきなりメキシコに入りしていれば、エル・トレオでのUWA創設4周年記念大会に間に合ったのだ。メインのカードはドクトル・ワグナーvsアンヘル・ブランコのマスカラ・コントラ・カベジェラ。レネ・グアハルドvsペロ・アグアヨの50000ペソ賞金マッチ、ソリタリオ&アニバル&ドス・カラスvsカネック&レイ・メンドーサ&ビジャノ3号の6人タッグ。テムヒン・エル・モンゴル&カルロフ・ラガルデ&セサール・バレンティーノvsグラン浜田&ウラカン・ラミレス&ラヨ・デ・ハリスコのカーンのメキシコ最終戦。ボビー・リー&フィッシュマンvsセルヒオ&グレコなんてカードもアンダーにあった。ビッグショーである。

 それは後でわかったことだけど、後悔はしなかった。メキシコよりずっと以前から憧れていた本場アメリカマットを少しでも体験することこそ、私にとって大事だったからだ。マスカラスが大活躍したオリンピック・オーデトリアム、レイ・スティーブンスの巣窟カウパレス。こうしたテリトリー時代の興行を一度は体験したかった。そしてポール・ボーシュ帝国のヒュースン。このシスコとヒューストンは結果的に年間でも屈指のビッグショーだった。この3日間の連続興行を見事にコーディネートしたウォーリーには、今更ながら感謝するしかない。


※シスコの金門橋で「ハードボイルド・ハガティだ!」などと叫ぶ。

 大病を患っていた私は昨年12月26日に退院した。そこに舞い込んで来たのが「ウォーリー危篤」の知らせだった。2月3日の新宿ネイキッドロフトは「ウォーリーの追悼興行に変更か」とあらぬことまで頭をよぎる。奥さんも「もうとっくに覚悟はできていますから」と“偲ぶ会でも何でも…”とまで同意してもらっていた。それで1月4日にお見舞いに行く予定にしていたが、「もう危ないので」と連絡が来て、慌てて大晦日に病院へ駆けつける。

 ウォーリーは無菌室で目を開けてこっちを見ていた。調子が良さそうに見えた。私が「竹さんがさあ…」と話をすると、ピクッと反応した。ウォーリーは記憶の一番濃い、昔のプロレス話に飢えていたようだ。そこから私はアメリカでの「あの3日間」の話をウォーリーの耳元に聞かせた。

「あの時、ロスでこうだったじゃない」「シスコでこんなことしたじゃない」と言うと、いちいち手を握り返してくる。そして具体的な選手の名前やカードを聞かせると「オー、イエス!」「グード!」と唸るような声を出す。「こんなに元気になったの初めて」と奥さんが驚いていた。刺激を与えるのには、彼が最も輝いたあの時期、そしてUSAが一番。ウォーリーにとっても、あの3日間は記憶に残る楽しい日々だったようだ。


※ウォーリーは病床で40年前のアメリカ話を喜んで聞いてくれた。

 私はヒューストンの空港でウォーリーと別れて、メキシコに飛ぶ。あれがロスでなく、ヒューストンからで良かった。マスカラスと同じ便だったからだ。到着翌日にはマスカラスの好意で別邸に居候することができた。お陰で、それからの1ヵ月間、ホテル代を使わずに済んだ。そこを基地にして毎日、観たいカード、会いたい選手、行きたいアレナに出かけた。そして2月末、取材を終えた私はロス経由で東京へ向かう。途中、ハワイで給油(あの頃はそうだった)。ホノルル空港のトランジットルームで、ウォーリーと再会する。そこから東京までの8時間、2人は機中で一睡もせずに、アメリカとメキシコで遭った出来事、成果を報告し合った。

 あれから40年…今でも私の核にあるのはあの時の取材旅行。あの「青春の旅」が無ければ、間違いなくドクトル・ルチャなど存在しなかった。テリトリー時代で最後の輝きを放ったアメリカマット、黄金の70年代最後のメキシコマット…これを取材できたことは何物にも代え難い。ことプロレスにおいて、何か一つでも自慢できるものがあるとしたら、間違いなくこの旅で得た実体験だろう。病床のウォーリーの耳元で語った「あの3日間」、ウォーリーに帰りの飛行機で聞いてもらったメキシコの土産話…それをみなさんにもっと詳しい形で伝えたいと思う(私が処方した気付け薬が効いたのか、正月三日まで持たないと言われたウォーリーは延命している…)。


『ビバ・ラ・ルチャVol.39 ドクトル・ルチャ初渡米・初渡墨40周年〜すべてはあの取材旅行から始まった〜』
■日時 2月3日(日) 開場12:30 開始13:00
■会場 新宿・ネイキッドロフト(東京都新宿区百人町1−5−1 百人町ビル1F)
■チケット 3000円(当日3500円)※飲食費別
■出演 “ドクトル・ルチャ”清水 勉
■司会進行 パニコXX
■電話予約 ネイキッドロフト03−3205−1556(16:30〜24:00)
★メールで予約される方はコチラから。
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※予約締切は2月1日(金)15:00です。お待ちしてます!






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