[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[2.13]初来日の殺し屋たち

 来週火曜日、2月19日は「プロレスの日」。今から65年前の1954年2月19日に日本プロレス史上初の国際試合(力道山&木村政彦vsシャープ兄弟)が蔵前国技館で行われた日である。

 ご存知のように「プロレスの日」はもう一つある。それは7月30日。その半年、1953年の同日に日本プロレス協会の発足式が完成したばかりの人形町の力道山道場で行われた日にあたる。誰が決めたことなのか…馴染みがあるのは2月19日のほうかなあ。

 来る2月19日には両国国技館でミル・マスカラスが試合する。私にとっての2月19日は1971年のマスラカス初来日第1戦(vs星野勘太郎)のほうが記念日としてピッタリくる。前日夕方、羽田空港に行って、続々と降りてくるガイジンたちに胸を轟かせてから48年経過した。マスカラスはもちろんだが、このシリーズに来日したガイジンたちは全員が初来日だった。

 プロレスの「初来日」というフレーズに私はいつもドキドキ感を持っていた。「どんな奴なのか」…新怪獣の登場を心待ちするガキの心境だった。世間の大人たちだって同じ心持ちだったはずだ。東スポでは来襲するガイジンを「殺し屋」と呼んでいた。大人は怪獣ではなく、新刺客たちを楽しみにしていたのだ。日本プロレスのブッカーのアンテナとサジ加減が興行の浮き沈みに多大な影響を及ぼした古き良き時代である。


※左からラムステッド、シェーン、ギルバート、アリオン、マスカラス、メイナード、デュラントン。

 日本プロレス黎明期から1960年前半まで「参加全員が初来日のシリーズ」はよくあったが、最後は1967年末の『ウインター・シリーズ』。スプートニク・モンロー、ビクター・リベラ、ジャック・ブリスコ、バロン・シクルナ、ニック・コザック、特別参加のクラッシャー・リソワスキーたちが来たシリーズだ(この時もウキウキしたね)。マスカラスが初来日した『ダイナミック・ビッグシリーズ』はそれ以来のオール初来日シリーズ。この時、マスカラス以外にはスパイロス・アリオン、ダグ・ギルバート、ボビー・デュラントン、アール・メイナード、ボビー・シェーン、ボブ・ラムステッドが来た。今日はマスカラスではなく、彼らの初来日前後の動向と人間関係にスポットを当ててみることにする。

 3月2日の蔵前国技館でB・I砲のインター・タッグに一緒に組んで挑戦する“もう一人のエース”アリオンはマスカラスと初対面だったようだ。その1年前にサンフランシスコ地区にいたアリオンはメイナードと一緒にサーキットしていて、3月25日のホノルル大会では馬場とも対面している。羽田空港にはアリオンだけ、母国ギリシャのアテネ発サベナ航空機で来ており、離日後、その年はほとんどオーストラリアにいたようだ(彼は64年から豪州をホームに活躍し、66年から米国と行き来していた)。

 マスカラスと2月20日の大阪でアジア・タッグに挑戦したダグ・ギルバートの主戦場はジョージア。あのズングリした巨体でサマーソルト・キックができたのは凄かった。来日前年には同地区にいたボビー・シェーンとタッグを組んで上田馬之助&松岡巌鉄とも戦っている。ギルバートがザ・プロフェッショナル(ザ・プロ)の名でマスクを被ってロスに出現したのは来日半月前の1月15日。マスカラスも参加した新春ワールドバトルロイヤルで優勝してフレッド・ブラッシーの持つアメリカス・ヘビー級王座への挑戦権をゲットした。またバトル同日にシングルで血祭りにあげたのが、日本で一緒になるフランス人ムキムキマンのボビー・デュラントンだった。初来日から丸6年後のMSGでマスカラスと対戦し、敗れてマスクを剥がされることとなる。不思議な縁だと思う。

 リングに上がる時に黒革のヘッドギアを着用していたのは元AWA地区新人王ボブ・ラムステッド。彼は前年の70年にはテネシーとカロライナ地区を転戦していた。71年1月にロス地区に入り、初戦でタカチホ(高千穂明久)と対戦し、新春バトルロイヤルにも参戦していた。帰国後はロス地区を経てテキサス地区へ転戦し、ここでマスカラスやボビー・シェーンと再び同じサーキットを回ることになる。その後、オクラホマ地区やハワイなどを転戦した後、キニスキーに気に入られてバンクーバーに定着した。地味なB級レスラーだったなあ。

 元ミスター・ユニバースのアール・メイナードは、マスカラスと名古屋(3月4日)でタッグを組んで猪木&大木と対戦し、日テレスタジオで一緒にバラエティー番組に出演する。前年はシスコとロスを往復し、彼もまたロスの新年のバトルロイヤルに出ていた。知られていないのはこの年の「アニベルサリオ」(9月24日)にメイナードが出場したということ。ドレル・ディクソンとの黒人ボディビルコンビでエル・ソリタリオ&ドクトル・ワグナーとセミで対戦している。翌10月1日大会までアレナ・メヒコにもこのチームで出た。

 つまりメイナードは初来日の年に初来墨していたというわけ。また、ディクソンとのコンビでは翌72年1月にロスでアメリカス・タッグ王者にもなっており、5月にはマスカラスと日本で再会し、この年に俳優デビューもしている。ずっとベビーだったメイナードもジャックリン・ビセットと共演した映画『ザ・ディープ』(1977年)ではいい味の悪役をしていたなあ。そういえばデュラントンも俳優との兼業レスラーで仏映画に何本を出ており、ロスにいたのはハリウッドで出番を待っていたからと推測する。メイナード、デュラントン、そしてマスカラス…ムキムキマン揃いのシリーズだったが、映画俳優たちのシリーズだったとも言える。


※『ルチャ・リブレ』誌の表紙にもなったメイナード(左)とディクソン。

 ジョージア地区から日本入りしたボビー・シェーンは秋田(2月24日)でマスカラスと組んで、NWAタッグリーグ優勝チームの猪木&星野と45分フルタイムで引き分けている。この後、テキサス地区でもマスカラスと同じサーキットに入るわけだが、実はこの初来日よりも6年も前に彼らはメキシコで出会っていた。マスカラスがアレナ・メヒコで衝撃デビューした2週間後にボビー・シェーンは初来墨していたのだ。

 1965年7月30日のアレナ・メヒコにリンピオとして初登場。その日、マスカラスはベニー・ギャランと、シェーンはヘンリー・ピルーソとシングルで対戦した。シェーンは3週間メキシコ全土をサーキットし、アレナ・メヒコではエスパント1号、スギ・シトと対戦している。シェーンはまだ19歳だった。たぶんマスカラスがプロレスラーになって初めて顔を会わせたアメリカ人はシェーンだったと思われる。


※新星マスカラス参戦と同日のアレナ・メヒコにシェーン(左)が初登場。

 『ダイナミック・ビッグシリーズ』全13年を終了した初来日のガイジンたちは3月11日、帰国の途につく。アリオンはカンタス航空機でシドニーへ、ラムステッドとメイナードはオーストラリア航空機で大木金太郎、戸口正徳、永源遥らと一緒に韓国へ飛ぶ。20日のソウルでメイナードは永源と組んで朴松男&千圭徳と極東タッグ王座決定戦を行い、1−2で敗れている。日航機で11日正午に離日したマスカラスと他のガイジンたちはハワイでワンクッション。3月13日のホノルル大会に出たマスカラスはロニー・メインと引き分け、ボビー・シェーンはカーチス・イヤウケアに、ダグ・ギルバートはビル・ロビンソンに、それぞれ敗れている。ハワイでのマスカラスの評判はどうだったのだろうか(どのマスク、どのコスチュームだったのかも気になるね)。

 シェーンは1975年に巡業移動中のセスナ機事故で、デュラントンは2005年にフランスで、ギルバートは2013年にアルツハイマー病でそれぞれ亡くなるが、アリオンとメイナード、ラムステッドの消息は伝わってこない。未だ現役なのは、もちろんマスカラスただ一人で、初来日から48年間経っても来日を続ける現役レスラーは、この御仁だけである。






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