[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[3.07]親子鷹とのご縁

 月曜日に有志を連れて埼玉県比企郡の城郭群を案内した。今回の発起人は小島豊美さん。小島さんは元音楽プロデューサー(現ポニーキャニオン)であり、現在は「後世に残したい」と民謡や大衆芸能等の文筆家として、さらには地歴の研究者として、活動をされているマルチな御仁。私よりも8つ年上の人生の大先輩である。


※小島豊美さん(右)と私。埼玉県嵐山町の菅谷館跡にて。

 小島さんとは彼が立ち上げたフェイスブックのマニアックなグループで繋がった。ほとんどプロレスに偏った人脈しかない私にとって、新しい分野の繋がりだった。過日、このグループで私の城郭をテーマとしたトークイベントを開いていただいて、月曜日はその実践編として武蔵嵐山を中心としたフィールドワークに出掛けたというわけ。

 嵐山(らんざん)といえば、全日本プロレス『サマー・アクション・シリーズ2』の9月1日、嵐山町明星グランドというところで興行があった。前半戦特別参加のミル・マスカラスが田コロで鶴田のUNヘビー級王座に挑戦した時、シリーズ途中で帰国する最後の試合がここだった。シリーズの最初も最後もロッキー羽田とのシングルでした。マスカラスは前日に続き、『エル・アミーゴ』からプレゼントしたジャンパーを着て試合に出てくれた。確か試合開始が5時で、第4試合目に出たマスカラスは、試合後に車で成田に直行したんじゃなかったかなあ(ああ、また脱線してしまった)。

 それにしても人の縁とは不思議なもの。小島さんの御父上はプロレスに関わりの深い評論家の小島貞二さんなのである。小島貞二さんといえば、相撲、芸能、そしてプロレス等の評論家として有名な方。プロレスに関しては田鶴浜弘さんと並ぶ、日本マット黎明期のライターとして草分け的存在だ。私は女子プロのテレビ解説とか、「大正テレビ寄席」の中継でよくお顔を拝見していた。

 1995年、週刊ゴング4月号増刊『日本プロレス40年史』を出す時に巻頭カラーグラビアで座談会をやった。力道山時代からの現役選手、評論家、記者に大集合してもらったのだ。そこへ小島貞二さんに出席を願った。もうプロレスの執筆から離れて随分経過していたと思うし、おそらくそれが最後のプロレス関連の登場だったのではないかと思われる。

 他に出席したのは元日本プロレス社長の芳の里淳三氏、プロレス評論家の菊池孝さん、東京プロレスから山田隆さんと門馬忠雄さん、ゴング側からは初代編集長の小柳幸郎さんと竹内宏介さん、米国プロレスにも精通する吉澤幸一さんとウォーリー山口くん。この錚々たるメンバーの司会をしたのが若輩者の私だった。菊池さんや山田さんとは、前からずっとお付き合いがあったから気後れはしないけど、大御所の小島貞二さんの出馬には正直ビビった(でも、貞二さんは物腰の柔らかいとても優しい方でした)。

 こういう座談会に何度も同席させてもらったけど、先輩の山田さんがあの櫻井さんを上から目線で押さえつけ、ビッグマウスを連発する。菊池さんは半ば呆れながらも、竹内さんと一緒に話題転換するという図が展開される。でも、その座談会には大先輩の小島さんが出席されたので、この時ばかりはあの山田さんも大人しかった。それにしても、もう、こんな豪華な顔ぶれの座談会はできないよね。


※95年「プロレス40周年史座談会」の時の小島貞二さん。

 貞二さんのマルチかつマニアックな遺伝子はご長男・豊美さんに確実に受け継がれていると思った。ルチャドールで言うならばレイ・メンドーサ→ビジャノ3号のような親子鷹である。今回、車の中で小島さんは少しプロレスの話をしてくれた。

「東京スポーツとかスポーツ毎夕とか、親父に頼まれて原稿を届けに行きましたよ。東スポの櫻井さんは亡くなられたんですか」
(月末に1周忌です)
「ウチには力道山や豊登、遠藤幸吉、駿河海とかの手紙とか、資料がいっぱいありましたよ。一部、コピーがあるけど、親父がプロレスの執筆を止めた時にポスターやパンフも処分しちゃったなあ。今度、コピー資料を何かで公開できたらなあと思っています」
(それは是非お願いします)

 一番面白かったのはこれ。
「私の自宅は両国の日大講堂の目前にあったんです。テレビでプロレスを観ていたら、ブッチャーとハーリー・レイスが場外へ出て行ってしまったんですよ。エッて思って私も家の外に飛び出したら、本当に2人が京葉道路に出て殴りあってましたよ(笑)」

 あの有名な乱闘を小島さんは通りの向こうから目撃していたのだ。1976年5月1日、『第4回チャンピオン・カーニバル』の大木金太郎vsアブドーラ・ザ・ブッチャーの公式戦にハーリー・レイスが乱入し、そのまま会場前の京葉道路にまで飛び出して警察沙汰にまでなった“事件”である。76年といえば小島さんがディレクターとして『およげ!たいやきくん』でレコード・セールス大賞を受賞した年だった(オリコン調べで450万枚。スゲー!)。


※レイスとブッチャーの乱闘は日大講堂を飛び出した。

 無事、比企郡の城郭群を観て回った後、小島さんに「こんな魅力的なテーマを全く知らないでこの歳まで生きてきたのを後悔させられるほどショックで面白い一日でした」と評してもらいました。正直、“そうでしょう”と小さく胸を叩く。プロレスは仕事だから横に置いた上で、「広く、深く」をモットーに超多趣味の私が選り分けた結果、最後に2つだけ残した1つがコレですから…。小島さんからは「ハマりました。ぜひ次も」というリクエストまでいただきました。折角のこういう縁なので、またどこかの山城へみんなで行きましょう。今度は「おかあさんといっしょ」や「ひらけポンキッキ」の話、そして御父上の話をもっと聞かせてください。






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