[水]Gスピリッツ編集部日記

[1.14]ドクトル・ルチャが“侍の中の侍”越中を語る【その2だって!!】

 先週に引き続き、越中詩郎さんをクローズアップ。全日本番記者として最前線で取材してきたドクトル・ルチャ清水勉編集長が、若き日の越中さんに掛けていた期待とは?「越中こそ全日本の救世主になり得たのに…」と遠い目で呟く編集長の、その真意に迫ります。(構成/高松えみ子)

――後輩たちがデビューて、ようやく越中さんが輝きだしたんですよね?
「うん。越中に限らず同期がいない選手っていうのは、みんなつらい思いをしてる。仲間とライバルがいるお陰で頑張れるんだからね。80年4月に(ターザン)後藤が入門して、81年3月に三沢、82年3月に川田。冬木が国際から移籍してきたのが81年8月だから」
――79年3月にデビューした越中さんは、三羽ガラスや中堅選手やガイジンを相手に揉まれ続けたと。
「先輩を相手にプロレスを身体で覚えていくのは大事なんだけど、どこまで頑張ってやっていけるかなと不安だった。でも、81年になると後藤と三沢がデビューして、ようやく越中が光り始めたんだよ」
――試合に勝てば、やる気も出てきますよね。
「竹内(宏介)さんも“越中vs三沢は素晴らしい。見ないと損する”って絶賛してたもんね。それまでの全日本の前座は、ハッキリ言ってフレッシュさは皆無だった。いわゆる新人同士が若さをブツけ合う試合じゃないんだよね」
――それこそ新日本では若手が多かったですから、前座はフレッシュですよね。
「才能豊かな三沢がどんどん成長して、ライバル同士になっていった。後藤もよかったし。それに越中と三沢がソップ型というのも、全日本では見栄えがしたんだよね」
――あんこ型が多い中では新鮮ですよね(笑)。
「それと、越中vs三沢が黄金カードたり得たのは、本誌にもあるけど佐藤昭雄さんの力が大きい。馬場さんに直訴して、若手の“技の制約”というモノを緩和させてくれたんだよね。今は第1試合から派手な攻防が見られるけど、当時は新鮮だったから」
――その頃は、まだ「前座は見なくていい」という風潮だったんですか?
「そうだね。徐々に意識が変わっていって、お客さんも開始前から集まるようになったし、もしかしたらマスコミも越中vs三沢で“前座から取材しなきゃ”って考え出したのかもしれない」
――そして84年3月、越中さんと三沢さんがメキシコに旅立つと。
「ガイジン引き抜き戦争で新日本に勝利した全日本だけど、猪木・タイガー・藤波人気に押されてパッとしなかった。大仁田もジュニア王者として期待に応えられなかったし。だから馬場さんは、活性化のキーマンとして越中・三沢をメヒコに渡らせたんだよね」
――『全日本版タイガーマスク計画』の一環で。
「そう。83年8月に佐山タイガーが突然引退したことは、全日本にとって大チャンス。だから越中・三沢をジュニアの看板に育てようとメヒコにいるリスマルクに託した。馬場さんとリスマルクの仲を取り持ったのは俺だったというのもあって、越中と三沢を空港まで見送りに行ったんだよね」
――他に記者がひとりもいなかったんですよね?(笑)。
「まあ、いくら前座の黄金カードとは言え、当然ちゃあ当然(苦笑)。俺は2人がメヒコでうまくやれるかどうか心配してたんだけど、馬場さんの威光は海を越えてたんだよね。いいポジションが用意されてて、2人はメヒコで大活躍できた。でも、わずか4ヶ月後、三沢は馬場さんの密命を受け帰国したという」
――そのお陰で越中さんの試合も減っちゃったんだとか。
「セットで売り出されてたしね。それに、日本人選手は最初は厚遇されるんだけど、カベジェラ戦やってタイトル戦やったら、もう使い道がないというのが現状で。越中は“残された”という気持ちが大きかったし、三沢の後塵を拝する焦りもあったのかもしれないけど、もう少し粘って欲しかったねえ。彼こそ全日本の救世主になり得たのに…」
――救世主に?そのココロは?
「初代タイガーのブームは、もちろん佐山自身の才能に寄るところが一番大きいけど、それにプラスして個性的なライバルたちがキラ星の如く存在したんだよね。つまり越中こそ“2代目・虎ハンター”になるべきだったと思うんだよ!」
――越中さんと三沢さんの関係は、佐山さんと小林さんの関係に似てますもんね。
「初代ほどの爆発的なブームは無理でも、2代目がブレイクするキッカケにはなったと思うんだよねえ。タラレバだけどさ」

 2代目タイガーの顔面にケツを放つ“2代目・虎ハンター”越中さん……見たかったって!
 次回も水曜コラムに嵐みたいな風が吹くって!




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