[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[2.06]もう一つの誕生日

 日曜日のトークショーはお陰様で盛大。久しぶりに3時間喋ったので、さすがに疲れたかな。いや、病み上がりで体力が落ちていたからかもしれない。

 昨日、入院していた病院の医師から電話で連絡があったが、私は不在だった。内容は「清水さんの病気について学会で発表したいのですが、ご本人の許可をいただきたくて…」というものだった。本日が通院日なので、その先生と直接お話することになる。やっぱり、私のかかった病気は他にあまり症例のない奇病(?)だったようだ。まあ、世間様のお役に立つのならば、学会でもなんでも出して、どんどん研究材料にしていただきたいと思う。ともあれ、私自身は九死に一生を得て、また、みなさんとお会いできて良かった…ですよ。


※40年前に佐山さんが撮影してくれた写真の前で、実物の同じベルトで同じポーズ。

 今回のトークショーでは40年前の渡米・渡墨の話をさせてもらった。メキシコの話がまだ到着して1週間ぐらいしかしていないところで、タイムアップになってしまう(やっぱり…)。必要ならば、その続き、次にやってもいい。マスカラスの自宅にドス・カラスと一緒に行った時の話やソリタリオとベラクルスやポサリカを旅した話、ウラカン・ラミレスとモンテレイに行った話、マスカラスの姪と恋に落ちた話など、残りの3週間滞在していたネタがいっぱいあるしね。『ビバ・ラ・ルチャ』も次回でちょうど40回目だから、また40年前の話をしますか…。そこに何かをプラスアルファーしてお届けしようかと、現時点では、そう思っています。次回開催はゴールデンウィークの5月4日(土曜日=みどりの日)の昼に新宿ネイキッドロフトで決定(その時は新元号なんだね)。

 今回話した範囲でも、話し足りないことはいっぱいあった。あの1979年の当時、突然、日本人記者がやって来て控室やリングサイドで写真を撮り出したから、「えっ、誰?」って選手やファンは驚いたことだろう。よく選手たち訊ねられたのが「いつメキシコに来たんだ」「で、いつ帰るんだ」。1979年の時は漠然と「帰るのは1ヵ月後」と答えていた。「えっ、1ヵ月も!」。そんなに長く居座っている取材に来たハポネスなんて、これまでいなかったからだ。それ以前に日本人カメラマンはメヒコに来ても、会話もなく、さめた雰囲気で直ぐに去っていってしまう…それが定番だったようだ。

 でも、好奇心旺盛なオリエンタル異人の私は、自分の方から積極的に溶け込もうとする努力をした(フリーアではなく、カリエンテな感じで…)。それが逆に彼らにとって珍しかったようだ。「ミル・マスカラスか、浜田の取材か?」、「いや、メキシコならなんでも」。すると自然に「で、明日は何処に行くんだ?」「メシを食おう。ウチ来る?」となる。だから自分では未開のジャングルにやってきた冒険者気分だったけど、彼らにとって私は、最初から奇異なゲストだったみたいだ。

 私が多くのエストレージャたちに愛された理由は、それだけではない。本日(2月6日)。40年前の今日は、私が「初めてエル・トレオに行った(記念)日」である。その控室でエル・ソリタリオに「TSUTOMU? う〜ん、今日からお前の名前はTOMASだ」と命名された日で、孤狼仮面との深い親交は40年前の今日から始まったわけだ。つまり本日は「TOMAS SHIMIZU」の誕生日なのです。自分で言うのは何だけど、その名はトップのルチャドールで知らない者はいないというほど、メキシコマットに浸透した。


※TOMASの名付け親ソリタリオと一緒にアカプルコで遊びまくった。

 当時のエストレージャたちなら「なぜTOMASなのか」を誰でも知っていた。近年の選手、関係者には「何で、TOMASって呼ばれているの?」と尋ねられることがしばしばある。周囲に私をよく知る者がいれば、その説明してくれるし、私一人ならば私自身が経緯を伝える。すると質問した相手は突然、平服する。なぜならば、「エル・ソリタリオ」という予想もしないスーパーレジェンドの名前が唐突に出て来るからである。「あのソリタリオが名付け親」というだけで、彼らは畏怖の念に打たれるわけだ。まあ、“将軍・足利尊氏から、御名の一字を賜った”みたいな感じかなあ。そりゃ、そこいらの地侍が驚くのは無理もないことだろう。

 最近は「ドクトル・ルチャ」とか「ドクトル」と呼ぶルチャドールや関係者も増えて来たけど、やはり私はTOMAS(発音はトマース)と呼ばれるのが好きだし、それが一番身体に染みついている。「ドクトル!」では振り向かないけど、「TOMAS」ならば、今でも瞬時に反応するよ。正式な名称は知らないが、メキシコには有名な「TOMASの歌」がある。それはメキシコ人の誰もが知っていて、誰もが歌える曲のようだ。

 選手たちは“ト〜マ〜ス♪”と、それを口ずさみながら、私にハグしてくる。あまりにしつこいので私もサビを憶えてしまったよ(一緒に歌うとさらに喜ばれる)。日本でいうなら、何の曲だろうか。「足柄山の金太郎♪」か、「桃太郎さん♪」あたりかなあ…。金太郎or桃太郎≒TOMAS。つまりメキシコでは誰からも愛され親しまれているお名前のようで、それがエストレージャたちに親近感を生んだのかもしれない。

 さて、もうご存知の方もいると思うけど、2月23日(土)の昼からはタイガーアーツ主催のトークイベントにゲスト出演する。そこで佐山さん(初代タイガーマスク)とトークをすることになった。私が佐山さんと会ったのも、40年前…79年2月2日のアレナ・コリセオ。あそこから佐山さんと私とのプロレスラーとプロレス記者というだけではない繋がりが始まったわけで、「第1部では、タイガーマスクとしてではなく、素顔のサトル・サヤマと喋らしてほしい」と主催者の中村氏にリクエストした。


※佐山さんが40年前に巻いた青春の赤いベルト。再会の日が近づく。

 抜け駆けで勝手に発表しちゃうけど、私は会場にあの「赤ベルト」=NWA世界ミドル級のチャンピオンベルトを持参して、佐山さんと39年ぶりの再会をさせたいと思っている。そう、1979年9月9日にグアダラハラで佐山さんがリンゴ・メンドーサを破って1980年3月まで保持していた「佐山聡レスリング人生初戴冠ベルト」である。だから、タイガー「マスク」ファンだけでなく、もっと広域のプロレスファンにも是非来ていただきたいと思う。私がそこに行く限りは、私にしかできないことをしないとね…。佐山さんのリアクションを私自身、楽しみにしていますよ。

イベントの詳細は下記まで。
http://blog.yn-pwmm.com








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