[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[5.10]なんでマリオが…

 3日のビバラはお陰様で大盛況。高杉正彦=ウルトラセブンを招いてのトークはとても有意義だった。この人の知識力、引き出しの多さ、軽快な話術には改めて敬服する。ファンクラブの会長から私はマスコミへ、高杉さんはプロレスラーに転身したわけで、私的には同じ匂いを感じる。


※オークションでは高杉家のお宝が次々登場した。

 本人持参のお宝グッズも圧巻だった。「国際ポスターをお願い」と頼んで持って来てくれた中には、幻シリーズ(80年第二次ビッグ・サマー・シリーズ)もあった。それらをよく見たら、国際だけでなく、全日本や新日本のものも混じっているではないか。猪木vsストロング小林、vsジョニー・パワーズ、vs大木金太郎など、超お宝まであったからビックリ!それも色褪せや破れもほとんどなく、完品に近い。さすが山本小鉄ファンクラブ(豆タンク)会長だっただけあって、新日本LOVEが感じさせられた。

「これ、まだ氷山の一角だから。まだ腐るほどあるよ。ポスター以外にも、パンフとか、雑誌とか、力道山時代からいろいろ…」

 高杉城の埋蔵金は半端でなさそうだ。私は同じ時期(70年代)にパンフも、ポスターも、サインも集めてなかったから、そういう面でも高杉さんは最先端のファン、いやマニアだったといえる。そのレベルの高さには脱帽だ。

 私は日本プロレスの選手の大半は職業軍人だと思っている。しかし、国際プロレスにはファンが高じてプロレスラーになった新種のプロレスラーが現れた。マイティ井上や鶴見五郎がこれに該当する。70年代のFC全盛時代にマニアからプロレスラーになったのは高杉正彦だけだろう。だから、こんなお宝を集めて、FCまで作って、その果てにプロレスラーになってしまったのだ。今回は国際崩壊からウルトラセブン誕生までの期間を検証したけど、3度目のイベントもやらないとね。また別の切り口で企画しようと約束した。その時はお宝オークションを大々的にやろう。

 今回のトークショーの冒頭で先日亡くなったブラソ・デ・オロ=チューチョの追悼セレモニーを催させてもらった。高杉選手はメキシコ遠征時代にブラソ・デ・オロと組んだこともあるし、彼ら兄弟がよく高杉さんの部屋(小林邦昭も一緒)にも遊びに来たと教えてくれた。いろんな人の心にオロは生きているんだなあと改めて思った。チューチョの人柄がそうさせたのだろう。

 もうしばらくないように…と祈っていたのに、またまた訃報が届く。オロの時もそうだったけど、不意打ちのような訃報だった。5月7日、グラン・アパッチェことマリオ・バルブエナ・ゴンサレスが癌で亡くなった。まだ58歳になったばかりだったのに…。自分より若い人間が天国に召されるというのは納得がいかない。


※2013年9月にAAAのTV戦での再会がラストに…。

 マリオは1975年8月にトルーカでデビューして、第3団体スペル・リブレスでアパッチェ1号(パートナーに2号もいた)となり、崩壊後はUWA、EMLLを転々とした苦労人。彼に目を付けて日本に引っ張ってきたのがビクター・キニョネスだった。1994年8月にグラン・アパッチの名でIWA JAPANに初来日して常連となり、途中からマスクを被ってライオンと名乗らされた。CMLLジャパンではキンバになったり、AAAキャラのチバ・ラヤーダス1号もやったはず。

 その後はみちのくの常連となった。たぶん、私がアパッチをアパッチェと書くことで改名させたと思う。アパッチェはペンタゴン・ブラックとコンビを組み続けていた。アルシオンに来ていた娘のマリーやファビーたちとの親子タッグもあった。浜田親子との親娘タッグ対決もあった。エル・グラディアドールなるキャラにも変身した。専用グローブを常時6つくらい持っていて何処のポジションでも守れるユーティリティープレイヤーであり、言われれば何でもやる便利屋であり、監督=プロモーターにとっても重宝される選手…それがマリオだった。

 マリオは選手としては1.5流だったけど、コーチとしては一流だ。教えるのが本当に好きで、日本に上がったすべての団体で選手たちに稽古をつけていた。試合前の練習では率先してリングに上がり、若い選手たちを呼び込み、真剣に指導している姿を何度も見た。確かアルシオンでも女子を教えていた。マリオの最高傑作はレディ・アパッチェ(サンドラ)だろう。イルマ・ゴンサレス、ローラ・ゴンサレスと続くルチャドーラの系譜にレディ・アパッチェの名を刻み、CMLL世界王者にまで仕立てたのだから大したものだ(レディはメキシコ歴代最強女子の五指に入る)。

 マリオは教え子のレディと結婚して、離婚。女にだらしないのが難点だ。レスラーとしても、コーチとしても、誰からも愛され続けてきたイイ人の見本なのだが、リングを降りるとHな単語まで生徒に教え込む下ネタ好きなオッサン。そのスケベ癖が仇となって、結婚と離婚を繰り返した。

 そんなマリオの私生活を逆手にとったアントニオ・ペーニャ代表がリング上で演出し、前妻レディの新恋人エレトクロ・ショックと抗争をさせたり、結婚を祝福させられたり、娘のフィアンセ(ビリー・ボーイ)との確執で父娘が離れ離れになったり、いろんな家族ドラマが展開された。マリオは頑固親父を演じ、最後には親子が和解してAAAミックスト(男女)王座も手にした。この一連のファミリードラマはデビューから20数年、1度たりとも陽の当たらなかった唯一の晴れ舞台だった(良かったね…やっとスーパーマリオになったと思った)。


※日本だけでなくメキシコでも実現したアパッチェ親子vs浜田親子。

 マリオはAAAでもコーチとして手腕を発揮し、近年はビジャノ4号と両輪で、若い選手を鍛え上げていた。よくCMLLの選手たちが「AAAのルチャドールはレスリングの出来ないパヤソ(ピエロ)ばかりだ」と揶揄した。しかし、そうとは一概に言えないぞ。AAAのヤングライオンたちにはアパッチェのテクニックとスピリットが叩き込まれているのだ。

 70年代前半、アパッチェが師事したのはEMLLの名伯楽といわれたヘッドコーチのラファエル・サラマンカ。アパッチェはアレナ・メヒコ本流の貴重な教えを伝える人物だったのだ。それにはケチはつけられまい。さらに彼の放つスゲー音のするパンチ(私はアパッチェ・フックと書いた)…あれはブルー・デモン直伝のマノタスと呼ばれる巨拳パンチなのだ(サスケは1発でKO負け)。アパッチェの技術は筋金入りだった。それは日墨のいろんな選手の身体に染み込んでいるはずだ。

 2013年9月にメキシコシティのヒムナシオ・ドモで会ったのが最後になってしまった(ペリートもあそこだった…)。同大会にいたファビーも立派にトップに立っており、「今が最高に楽しいよ。また日本に行きたいな」って言っていた。ああ、マリオまでもが…。マリーやファビーが不憫でならない。今夜は小さなマエトロに献杯しよう。
Descanse en paz







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