[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[2.27]青春に悔いはないか

 土曜日(23日)の初代タイガーマスクとのトークイベント(タイガーアーツ主催)は超満員で、大盛況でした。その席、佐山さんと赤ベルト(NWA世界ミドル級タイトル)を再会させられたことは、とても有意義だったと思う。1979年9月9日にグアダラハラでリンゴ・メンドーサから奪って、翌年3月28日、アレナ・メヒコでエル・サタニコに敗れるまで約6ヵ月間、保持していた伝説のチャンピオンベルトだ。日本と違ってベルトは会社(団体)ではなく、あくまで個人(チャンピオン)が管理するもの。つまりこの赤いベルトは半年間、佐山さんのホテルにあったわけだ。だから余計懐かしかったのだろう。「え〜っ、本当に!」とびっくりしていた。


※青春の赤ベルトに39年に再会した瞬間。超嬉しそうだった。

「まさか、これが出てい来るとは思わなかったなあ。僕にとって一番思い入れのあるベルトですよ。青春のベルトですね」と休憩で控室に戻っても興奮は冷めやらない。それもそうだろう。タイガーマスク時代に手にしたタイトルは会社(新日本)がお膳立てして獲ったもの。しかし、このベルトに関しては政治的な駆け引きなしに一匹狼の21歳の青年が異国で1年間頑張って巨大組織EMLLに実力を認めさせて3度目の挑戦で、やっと手にしたもの。だから、なおさら思い入れはひとしおのようだ。そして師匠・アントニオ猪木が手にすることのできなかった「NWA世界!」のベルトを巻いたという意義も大きい。

 ちなみにUWA(キンタナ製)と違ってNWA世界のベルト(マヌエル・サバラ製)はチャンピオン間の持ち回りの上に高材質で高価…そのため唯一無二の感が強い。ただし、このミドル級は紛失等で3代目(78年のトニー・サラサール〜87年のクン・フーまで)であることはGスピリッツや関連イベントで既に触れている。そう、これは三沢(2代目タイガー)もメキシコで挑戦して獲れなかった赤ベルトだよ。

 今回、もう1本持参したNWA世界ライトヘビー級のベルトも佐山さんは驚いていた。これはパク・チュー(当時・木村健吾)が持っていたものだからだ。ご存知のように佐山さんは1978年6月にメキシコに入り、先輩のパク・チュー(韓国人キャラ)は11月にロスから転戦して来た。そして2人はメキシコシティのホテルサンマルコで同居生活を始める。そして12月8日にアレナ・メヒコでエル・ファラオンを破って濃紺のこのベルトを手にした。佐山さんは口にこそ出さなかったけど、先を越された感はあったはずだ。その時点で佐山さんは2度、赤ベルトのほう(vsトニー・サラサール)に挑戦して敗れているから、なおさらである。

この濃紺ベルトは木村さんが79年4月30日にアルフォンソ・ダンテスに敗れるまで、143日間もホテルサンマルコの同室に保管されていたわけ。「あの時のベルトがこれですか!? へーっ、懐かしいなあ」。佐山さんにとっても懐かしくて当然だろう。

 そのパク・チュー政権下に私がメキシコを訪ねた。私が最初に手に触れた本物のベルト。それもレイスモデルだから興奮したのは当然だ。思わず「写真撮ってください」とホテルのベランダに出て佐山さんにシャッターを押してもらったのが、この写真だ。だから私にとっての「青春ベルト」は、こっちである。このベルトは1度の張り替え作業をしただけで、74年〜88年、92年〜94年に使用され、1本のまま役目を終える。ちなみにミドル級の赤ベルトに比べると、こっちのほうがズッシリ重い(正確の計量していないが…バックルがあるなしの差ではないように思える)。


※40年前に佐山さんが撮ってくれた私の写真と、その現物ベルト。

「俺だって…」と佐山さんはこの濃紺ベルトをホテルで眺めながら発奮したことは確かだ。パク・チューは新日本からの使者という感が強かったが、佐山さんは現地では日本から来た叩き上げの青年戦士という感があった。サトル・サヤマは木村の帰国後に、この濃紺ベルトにも挑戦しているのだ。79年6月3日のグアダラハラでダンテスに挑戦して1−2で敗れる。しかし、同月15日のアレナ・メヒコでは王者ダンテスをカベジェラ戦で破って雪辱。その翌週の同所でダンテスに再挑戦するが、ここでも1−2で敗れて濃紺ベルトに手が届かなかった。あと1年…EMLLに腰を据えていたら、このベルトも締められただろうと思う。サトル・サヤマならNWA2階級制覇も夢ではなかった(タイガーのジュニアヘビーを入れれば3階級制覇か)。

 今更ながら、私は思う。タイガーマスクは勝ち過ぎた。勝てば子供は喜んだが、大人は違ったかもしれない。特にマスコミの…とりわけ私は、そうだった。私はサトル・サヤマが敗れるシーン、フォールされるシーンを何度も観てきた。試合中の素顔の喜怒哀楽も…。新日本でタイガーマスクだった2年4ヵ月の、その先に私が描いていたのは、「敗北から立ち上がる姿」、「人間臭い虎戦士」だった。そういうドラマが見られなかったのは残念だが、ああいう形でジェームス・ディーンやブルース・リーみたいに風のように去っていったのは、伝説の人になれた要因だったとも思うのである(佐山さんの場合は生きた伝説だが…)。


※3本のベルトに歴史あり。佐山さんも子供みたいに、はしゃいでいた。

 今、36年という時間が経って、こうして人間臭くなったタイガーマスク=佐山さんと昔話を楽しめたのは、それはそれで幸せかな…。お互いリスペクトしながら、歯に衣を着せず、言いたい放題に喋れたのは、気分爽快でした! 何よりも、佐山さんがみんなの前で私に対して「マスコミとしてではなく親友です」と言ってくれたのは、ジーンときたな。メキシコで、ある時は自由気ままに、ある時は必死に、青春を過ごした同志だもんね…共にあの時代に頑張ったことに悔いがなしと確認し合えたのが一番良かったよ。






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