[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[3.20]魔王の妖気

 ウォーリーのお通夜は昨晩で、葬儀は今日…。お墓は浦賀のお寺。亡くなったのは3月10日→東京大空襲(1945年)の日で、ペリー来航(1853年)の地・浦賀に眠る…どこまで「アメリカ来襲」に関連しているのか…ウォーリーらしいぜ。今日のお別れで一段落だね。

 でも、ご家族にこんな話を持ち掛けて承諾をいただいた。来る5月4日に新宿ネイキッドロフトで開催する私のトークショーは内容を変更して、ウォーリーの追悼企画をやりたいと。彼には過去2度、私の“興行”に出演してもらって、計6時間の貴重トーク画像がある。それ以外にも貴重な動画を駆使して追悼企画にしようと思う。ウォーリーの性格上、湿っぽいのが嫌いだから、明るい会にしたい。5月5日は彼の61歳の誕生日。だから“生誕祭イブ”みたいなタイトルで、馬場さんの享年に到達させてあげたいと思う。


※こんな怖い顔とポーズが魔王の魅力だった。

 さて戦友の悲しみに暮れていたら、先に亡くなったデストロイヤーのことが後回しになってしまった。今日は白覆面の魔王について書くことにしよう。私にとってデストロイヤーは特別なレスラー。だとかといってアミーゴでもなければ、面識があったわけでも、特別親しいわけでもない。

 私が子供の頃、最初にテレビで観たプロレスが力道山vsザ・デストロイヤー。今から思えばそれが1963年12月2日の東京体育館での試合だということがわかる。小学校1年の私は驚いた。その白い覆面の男は黒いタイツの日本人に叩かれても(それが空手チョップだったのだろう)平気にしていた。“世の中にはこんな丈夫な人がいるんだ”と思った。人というよりも、ゴリラのような動物に映った。足4の字固めがどんな形になっているのか、理解に苦しんだ。そして覆面というものが不思議に映った。

 月光仮面や七色仮面、黄金バットなど、当時の日本には仮面ものの実写やマンガが氾濫していた。でも、その時に観たデストロイヤーのマスク姿は特殊な皮膚のように柔軟性があって、恐ろしく表情豊かであった。白黒テレビだからそれが余計不気味に見えた。まさしく「何だこれミステリー」である。

 もしかしたらそれが「マスク」にハマった瞬間だったのかもしれない。そして何よりも登場するや腕を組んで相手を睨むポーズはすごく怖かったよ。力道山が死んで、我が家に豊登時代はなかった。父親がプロレスを観なくなったのかもしれない。豊登vsデストロイヤーを観た記憶がないからだ(観させてくれなかったのかも…)。

 次に魔王が私の前に現れるのか1967年春の『第9回ワールドリーグ戦』。一番よく憶えているのは馬場がデストロイヤーに「アバラ折り」という立ち技をかけられてギブアップしたシーン。それは放送時間ギリギリで極まって終わった試合。改めて調べてみるとそれは5月5日、鳥取市体育館での公式戦だった。もしかしたら、私が最初に見たコブラツイストだと思う。「何だコレ!?」と考えさせられる余韻もなくプロレス中継は終わった。それは私がプロレスファンなることを自覚し始めた年のことである。


※私が大好きなのは69年3月5日の東京体育館での馬場戦。

 次にデストロイヤーが来たのは1969年。この年は春と秋に2度来日した。私はデストのスクラップブックを作って来日を指折り数えて待った。前年にロスでミル・マスカラスという謎のメキシコ人マスクマンが現れて私はそっちに浮気したが、まだ来日する雰囲気はない。それよりもデスト来襲はずっと現実的で期待が持たれた。

 その頃、デストロイヤーが卓球している写真を見て、卓球部に入る。「いつか、卓球でデストロイヤーを負かしてやろう」という単純な動機だった。その反面、デストロイヤーにはいつまでも遠い存在でいてほしいという気持ちがあった。私の中で「プロレスラーとは近寄りがたい存在でなくてはならない」という定義が次第に出来上がっていく。特にデストロイヤーはそういうオーラを放っていた。

 失礼ながら私個人の思うデストロイヤーの賞味期限は1971年の『第13回ワールドリーグ戦』がギリギリ。この時も日米国旗のジャンパーや日本語のTシャツでファンに媚びていた。1973年に全日本で日本陣営の助っ人についた時は正直、ガッカリ。テレビのコミック番組に出始めたあたりは昔の面影がすっかり消えてかなり失望する。でも、今にして思えば、それで人気を全国区に回復できたのだから良かったのかも…。その後も衰えをほとんど見せることなく、タフに戦い続けたのを見て改めて「凄い人だ」と思った。


※71年の春の祭典では、少し日本に媚び始めたけど…。

 全日本でマスカラスと抗争をした頃には何度も本人と接点が出来そうだった。自分から望めば、マスカラスよりも簡単に仲良くなれるチャンスはたくさんあった。「デストのおっさんって会えばいい人だよ!」と竹内さんに聞いて知っていた。それはウォーリーからも…。でも、私はあえて距離を置いた。ヘソ曲がりでもいい…自分の子供の頃からのあの「魔王」のイメージは残しておきたかった(その意味、わかってくれるかなあ)。

 その後、私は人一倍多くのマスクマンと出会い、アミーゴになってきた。マスクマンの実像を調べ、誌面等で伝えるのが生業になった。近年はトークショーやイベント、飲み会等でプロレスラーとファンの距離が近くなり、選手の人間性に触れる機会が増えた(その私も片棒を担いでいる)。しかし、一昔前、「近寄りがたい=プロレスラー」だったのだ。

 タイガー・ジェット・シンみたいに近寄る間に暴力を振るうのではなく、身体から近づけない妖気を放つのが超一流レスラーの証といえた。だから、私にとってガイジンの、マスクマン…の原点であるデストロイヤーだけはミステリアスなままで残して置きたいと思った。たとえ直接、アミーゴにならなくても、マスクへの興味の扉を開いてくれた人、プロレス世界へ導いてくれた人として、感謝したいと思う。天国の竹さんとウォーリーに問いたい。「デストとブーちゃん、日本で貢献度が高かったのはどっち?」と。そこに「私は社会現象の大きさからしてデストだと思う…」と自分の意見を付け加えるけど…。

 ザ・デストロイヤー=ディック・バイヤーさんのご冥福を改めてお祈りしたい。合掌。






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