[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[4.18]知られざるメキシコ遠征

 メキシコ古文書の解読第4弾。今回はノーマークだった坂口征二のメキシコ遠征について書こう。坂口と言えば柔道日本一からプロレス転向後、エリート待遇を受け、早々と武者修行した。坂口はビッグ・サカとして67年にロサンゼルス、68年にフロリダ、ロス、オクラホマ、テキサス地区、ジョージア、69年にフロリダ、ハワイを修行して帰国し、猪木が優勝した『第11回ワールドリーグ戦』に参戦する。同年6月に再修行に出てロス、デトロイト&五大湖地区、70年にハワイ、ロスを転戦し、その年もワールドリーグに参加。9月に4度目の渡米でアマリロ地区、カンザスを巡り、71年7月に帰国して、以後日本に定着した。つまり武者修行時代にメキシコの国境は越えていない。

 そして73年に新日本へ移籍してからは北米タッグのパートナー猪木と一緒に何度もロスへ行き、クリーブランドにも同行する。76年にはゴッチと南アフリカ遠征し、77年にはストロング小林とバージア、ロスを巡る。藤波が台頭すると遠征機会はやや減るが、79年に長州と北米タッグ奪回のためにロスへ、さらにカルガリーにも新日本軍で乗り込む。そこまで坂口にとってメキシコマットは無縁だったが、80年に突然、「空中戦王国」へ飛ぶことになる。

 坂口にオファーしたのは先週触れた浜田、佐山、邦昭、そして栗栖がいるUWAではなく、意外にも老舗のEMLLだった。その年の3月に佐山が去ってから、EMLLには日本人選手が不在。だからロスのマイク・ラベールを通して新日本に打診したと思われる。9月26日の第47回アニベルサリオにスパイスとして、どうしても“未知の東洋人”を必要としたのだ。そして最低でも1週間は滞在してほしいというのがEMLL側の希望だ。それもパブリシティが必要だから、アニベルサリオの前週(9月19日)のアレナ・メヒコ定期戦までに入ってほしいという連絡をしているはずだ。ところが新日本は『ブラディファイト・シリーズ』の真っ最中。そればかりか、9月22日、米子市体育館で坂口はラリー・シャープとの北米ヘビー級選手権が決まっているので、19日にメキシコに行くのはとても無理だった。

 その19日のアレナ・メヒコに意外な選手が出場している。何と、それは元NWA世界ライトヘビー級王者のパク・チュー(木村健吾)だった。19日のアレナ・メヒコのメイン。カードはパク・チュー&シエン・カラス&エル・ファンタスマvsアルフォンソ・ダンテス&TNT&トニー・ベネット(組み合わせ的はアニベルサリオの前哨戦)。1年半前にこのEMLLでルードとして暴れていたパク・チューが突然、リンピオになって戻って来るのは不可解だ。だから私は以前から、この記録は何か間違いなのではとずっと疑問に思っていた。

 しかし、改めてちゃんと調べてみると木村は10日の京都大会まで出場していて、マスコミに知られることなく密かにメキシコへ行ったのだった。つまり坂口は子飼いの木村を自分の代打として先発させ、19日までにメキシコに送り込んだのだ。だから急に来たパク・チューの扱いに苦慮したEMLLは、仕方なくリンピオ側に組み込んだのだ(もう一週早く来て入ればひと芝居できたのに…)。


※佐山と木村がメヒコで再会。ソナ・ロッサの日本レストランの平田氏とスリーショット。

 パク・チューの現地スケジュールを調べてみる。17日のアカプルコから出場し、18日はクエルナバカ、19日がアレナ・メヒコで、20日はプエブラ…おそらくこの4試合だけで帰国しているはずだ。そして日本のファンにバレることなく、シリーズに舞い戻って最終戦の広島県立体育館(9月25日)で、何食わぬ顔をして藤波を相手にNWA認定インターナショナル・ジュニアヘビー級の防衛戦を藤波相手にやっている(両者ノックアウトのドロー)。

 それと入れ違うようにメキシコに旅立ったのが坂口だ。現地時間24日にアカプルコで坂口の初戦が組まれていたが、24日夜の鳥取大会まで出場しているから、これに出場するためはその日のうちに大阪や羽田まで飛んで、そこから国際線に乗って太平洋を越えないと無理。だからアカプルコはドタキャンだったはずだ。おそらく翌日米子から帰京して、その夜の便でメキシコに旅立ったのだと思われる。それならばアニベルサリオの前日(25日)の夕方にメキシコシティに着く。

 だが、坂口はメキシコ国際空港に到着するなり、クエルナバカに連れていかれる。メキシコシティから車で約2時間の距離だ。クエルナバカのアレナ・イサベルの試合開始は21時だから、23時頃のメインに十分間に合う。カードはエル・ファラオン&リンゴ・メンドーサと組んでアルフォンソ・ダンテス&エル・サタニコ&トニー・ベネットと戦う6人タッグ。翌日のアニベルサリオの予行演習のようなカードだった。

 アニベルサリオの坂口はファラオンと組んでダンテス&ベネットのタッグマッチ。当日、7試合組まれた中の第3試合だった。胡麻を摺りに試合のない(入れなかった?)浜田が坂口のセコンドに駆けつけにきた。ちなみにこの日のメインはサングレ・チカナvsエル・ファンタスマのNWA世界ミドル級選手権。セミがエル・サタニコvsモチョ・コタのカベジェラ戦。セミ前がTNTvsシエン・カラスのナショナル・ヘビー級選手権。坂口の出番はその前だった。最後はダンテスとベネットをまとめて押さえ込んで勝利している。


※坂口がアレナ・メヒコ初登場。47周年のアニベルサリオにおいてリンピオで活躍。

 翌27日のアレナ・プエブラ(坂口&シエン・カラス&ファラオンvsエローデス&ベネット&TNT)が坂口のメキシコ最終戦だったと思われる。主催者側の気遣いで、どのカードも、大きな坂口に合わせて大きな選手が用意されている。EMLLからのオファーに対して2人で1人…木村→坂口のリレーで1週間を乗り越えたって感じか。気を利かせた坂口さんらしい連係遠征だったが、現地では「彼のシージャ・エレクトロニカ(電気椅子=アトミックドロップ)は見事だった」という記述を発見したくらいで、正直なところ、大きな話題にはならなかった。

 この年、2月に続いて、この9月上旬にもアンドレが来ていたばかりだから、インパクトではとても大巨人にかわなかったともいえる。いや、それだけではない。来るのか、来ないのか、はっきりしないので、現地で雑誌等でのパブリシティが足りなかったのが大きい。パク・チューに至っては、元NWA世界ヘビー級王者なのに突然来たから、宣伝のしようもなかったようだ。それも意味もわからずリンピオ入りじゃ、現地のファンも「アレレ」だよね。坂口滞在中に佐山、邦昭、栗栖らに会えたようだ(坂口の試合日すべてに彼らもUWAの試合が入っていたが、昼間ならば会えた)。これ以外にも猪木に藤波…1980年のメキシコは新日本選手の往来が多かった。次回は坂口の仕切り直しのメキシコ再遠征について書こう。



 ドクトル・ルチャのトークイベント『ビバ・ラ・ルチャVol. 36』は5月3日(木=憲法記念日)、午後1時より新宿ネイキッドロフトで開催(開場は12時半予定)。題して『アンタら、俺を怒らせるなよ! 〜嫌われ者マサノブ・クリスの喧嘩旅〜』。栗栖秘蔵グッズのオークションもあるよ。

『ビバ・ラ・ルチャVol. 36「アンタら、俺を怒らせるなよ! 〜嫌われ者マサノブ・クリスの喧嘩旅〜」』
■日時 2018年5月3日(木祝) 開場12:30 開始13:00
■会場 新宿・ネイキッドロフト(東京都新宿区百人町1−5−1 百人町ビル1F)
■チケット 3000円(当日3500円)※飲食費別
■ゲスト 栗栖正伸
■ホスト “ドクトル・ルチャ”清水 勉
■司会進行 パニコXX
■電話予約 ネイキッドロフト03−3205−1556(16:30〜24:00)






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