[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[5.02]なぜ、栗栖がヌメロ・ウノなのか!?


 明日、3日に栗栖さんを招いてのトークショーを開催する。ずっと前からゲストに呼びたくて、有力候補だったけど、何せ、大阪在住なので…「クリアとなければならない問題」がいろいろあった。でも、今回、改めてオファーしたら、快くOKしてくれて、「行くよ、行くよ」と言ってもらえた。ゴールデンウィークで混雑する時期なのに、申し訳ない。

 さて、栗栖さんについてならば、Gスピリッツ28号の私の書いた記事を読み返してもらうのがいい。自慢じゃないないが、栗栖正伸に関して一番詳しい。「この俺をあそこまで掘り下げたものは他にないよ」と栗栖さんに感謝された。トークショーの予習としては最適だ。

 私の知る限りにおいて、メキシコマット85年の歴史上、「日本人ルード」でナンバーワン(ヌメロ・ウノ)はマサノブ・クリスだったのではないかと思う。そう書いても信じる人が少ないかもしれないけど、その片鱗は1990年に新日本に殴り込みをかけた頃の暴れっぷりにわずかながら垣間見ることができた。私からすれば「それに気づくのは10年遅いよ」…だったね。

 最初にクリス・マサノブのルードとしての才能を開花させたのはFMWの大仁田厚だ。プロレス界にまだ余剰人員が少なかった時代だったとはいえ、大仁田は大したものだと思った。猪木(新日本)も、長州(ジャパン)も、馬場(全日本)も、プッシュせずに埋もれさせていた才能を、よくぞ開花させてくれたと思う。でも、その時、栗栖はもう40歳になっていた…。マッチメイカーをしていた山本小鉄なんか、猪木遠征時に解説で栗栖の暴れぶりを観ているはずなのに、凱旋帰国してからの栗栖正伸の扱いは酷過ぎないか!

 日本の団体から修行に出た日本人ルードをチェックしてみる。70年にミステル・コマ(マシオ駒)とヤマモト(星野勘太郎)が行った時、最初はリンピオで4ヵ月後にルードに転向した。コマは1年滞在してNWA世界ミドル級王者となる。「駒が一番だ」と言うオールドファンは多い。ベルトを4ヵ月保持して防衛回数は1回。星野は半年で日本に帰った。

 最初からルードだったのはシバタ(柴田勝久)。1年半メキシコに居て大暴れしたが、栗栖のようにベルトには手が届かなかった。私はメヒコのシバタを買っている。栗栖さんはシバタ級だったと思う。キタサワ(北沢幹之)は半年だけで新日本旗揚げに呼ばれて帰国してしまった。73年3月に星野が再渡墨した時は最初からルード。4ヵ月滞在でアレナ・メヒコでのタイトル挑戦は無しで、レネ・グアハルドに敗れて坊主となる。同行したミスター林は「年間最悪外国人」というレッテルを張られてしまったから論外だろう。

 74年にメキシコに渡ったリキドーサン2号(百田光雄)、アキオ・ムラサキ(デビル紫)は小粒だった。同年夏に彼らと合流した大型のゴロー・タナカ(鶴見五郎)は約1年居て、タイトル挑戦はローカルで1回のみ。カベジェラでは2度敗れた。

 次が78年1月からのテムヒン・エル・モンゴル(キラー・カーン)で、UWAでは初めての日本人ルードだ。ミル・マスカラスのIWA王座に数度挑戦、カネックのUWA王座にも挑戦して丸1年居たが、トレオやパラシオの出場回数は少なく尻つぼみだった。78年暮れにメキシコ入りしたパク・チュー(木村健吾)はいきなりNWA世界ライトヘビー級王座を奪取して、3ヵ月半保持して4度防衛。実績面では一番であるが、ルードらしさをセーブしてストロングスタイルっぽい試合をしたために、ファンの食いつきは浅かったように思う。小沢と木村は日本プロレス崩壊後に新日本へ移籍。そこには生え抜きの栗栖がいて、前座において三つ巴でぶつかった。栗栖は木村とほぼ互角の星。小沢は栗栖に圧倒的に強く、木村にも星勘定ではリードしていた。

 出遅れてメキシコに初遠征したマサノブ・クリスはどうだったのか。UWA世界王座への挑戦(王座決定戦を含む)は3度、NWA世界王座への挑戦は1度、カベジェラ戦は1勝1敗。すごいのはエル・トレオ、パラシオのみならず、敵地アレナ・メヒコでもメインを張ったことだろう。ビザの書き換えで一度日本に戻ったが、通算で約3年間メキシコに居た。これは浜田のように現地で結婚した選手以外では、最長滞在記録である。


※マスカラス・ブラザースも栗栖の敵だった。怖いものなしだ。

 グレート小鹿曰く「特に外国人のヒールは飽きられないようにテリトリーを半年ぐらいで次々変えなければならないのよ。でも、オイラは高いスキルを保ったまま1年間もロサンゼルスに居たからね」(正月にアメリカス王座を失った後も夏までロスで頑張っていた)。長くて半年しないで転戦するのはアメリカも、メキシコも同じだ。アルゼンチン人のコロソ・コロセッティのようにメキシコで永住権を取ろうとしたルードならば別だが、数ヵ月滞在してお払い箱になるのは仕方ないことだった。日本マットのシリーズ制や、映画館で新作に替わるのと同じことだ。

 さすがに栗栖も後半尻つぼみした(カードが落ちる)ものの、3年間居たのは驚異的なことと言っていい。それだけ栗栖の半端でない暴れぶりは強烈で、インパクトが強かったわけで、浜田の妨害(!?)にも耐え忍んだ上で、ファンにも、レスラー仲間にも、マスコミにも、そして何よりもフランシスコ・フローレス代表に愛された…まさしく日本人ルードのロングセラー商品だったということである。

 EMLLとUWAの2団体を股にかけて2年間、メキシコに居た佐山も「えっ、3年も居たの!? UWAだけでしょ。それりゃ、すごいわ」と驚いていた。マスコミに…と書いたのは、当時の現地専門誌の取り扱い回数が、半端でなく多いからだ。それはテムヒンやパク・チューよりも遥かに多く、現地人の浜田や人気者の佐山より多い。栗栖に匹敵するのはシバタくらいか!? そんな資料も木曜日にいろいろ披露しながら楽しいトークを展開していきたいと思いたいと思う。恐らく参加者全員がトークショー終了時に「栗栖さんがヌメロ・ウノです」と納得・洗脳されているであろう。ということで、当日、アレナ・ネイギッドでお待ちしています。


※マサノブ・クリスの雑誌での扱う数は半端ではなかった。

『ビバ・ラ・ルチャVol. 36「アンタら、俺を怒らせるなよ! 〜嫌われ者マサノブ・クリスの喧嘩旅〜」』
■日時 2018年5月3日(木祝) 開場12:30 開始13:00
■会場 新宿・ネイキッドロフト(東京都新宿区百人町1−5−1 百人町ビル1F)
■チケット 3000円(当日3500円)※飲食費別
■ゲスト 栗栖正伸
■ホスト “ドクトル・ルチャ”清水 勉
■司会進行 パニコXX
■電話予約 ネイキッドロフト03−3205−1556(16:30〜24:00)






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