[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[5.09]坂さん、再びのメヒコへ

 栗栖さんとのトークショーは過去36回の中でも最高入りで、椅子がなくなるほどの大盛況でした。大先輩の門馬さんも応援に駆けつけてくれて、楽しい会になったと思う。栗栖さんには聞きたい話がまだたくさん残っているので、また来てもらいましょう。本人も感激したようで、「生まれてこの方、最高のゴールデンウィークだったよ。ホント、みんな清水さんのお陰」とお礼の長電話、それも連日もらいました。「話すのは苦手」と言いながら、根は話好きなんだよね。ご来場いただいたみんなさん、サポートしてくれた方々、いろいろ、「ありがとね」(“ごめんね”同様、栗栖さんの口癖を引用)。


※栗栖さんはとっても饒舌だった。元東スポの門馬忠雄さんは新日本旗揚げ年からの友人。

 で、次回のトークショーは8月26日(日)をリザーブした。んっ、8・26…この日はプロレスファンにとって、日本プロレス界にとっての記念日だよね。あの『夢のオールスター戦』から…来年で、40年か…。それで熟考の末、次回のテーマは『愛しのゴング 創刊50周年記念』に決定。まだゲストに誰を呼ぶか未定だけど、ゴング創刊秘話、歩み、編集裏話、プロレス黄金イヤー1968年の時代背景を踏まえて語れたらいいな…と思っています。

 メキシコからアス・チャロ、ウニベルソ・ドスミルの訃報が連続して届いたから、それにも触れたかったけど、2週間ストップしていて催促された坂口征二メキシコ再遠征の記録について書きたいと思う。3週前には1980年9月の坂さんのEMLL遠征の話を書いた。今回は翌81年2月のUWA遠征について。実は提携団体UWAから前年の5月にオファーが来ていたのだが、坂さんはキャンセル。結果、秋にEMLLに呼ばれて行っている。

 実はこの時、平田淳二を付き人として同行させていたことが新たに判明した(1日遅れでメキシコ入りした平田はあくまで身の回りの世話で試合はしていない。正式なメヒコ修行UWA=は82年11月〜)。坂さんの初メヒコはまだEMLLとUWAが交流する前だから、引き抜きに近い感じだが、坂さんからすれば「同じメキシコからの問い合わせ…」という感覚だったのかもしれない。木村健吾を露払いで送り込み、次は太刀持ちまで同行したのだから、とんだ横綱、いや大名旅行だったともいえる(EMLLは3人分の旅費を払ったのか)。

 さて、UWAは改めて坂口にオファーを出すが、その料理の仕方がいかにもフランシスコ・フローレス流で上手かった。前年10月のメキシコ初登場から猛威を振るっていたブファロ・アレン(バッドニュース)と柔道ジャケットマッチで当てようというプランだ。それがメヒコで受けたのだ。前年のEMLL遠征では北米ヘビー級のベルトを締めて上がったが、そんなものより、柔道着のほうがインパクトあったということ。モントリオール五輪銅メダリストと柔道日本一の対決は前宣伝も上々で、2月15日のエル・トレオのセミで決行された。

 77年10月の猪木vsチャック・ウェップナー戦の武道館のセミで、坂口と初対戦して敗れたアレンは新日本の練習生でプロレス転向。ルスカとも抗争し、アメリカ修行を経て、この時点では立派なメインエベンターになっていた。彼は柔道高段者で最も順応性の高かったプロレスラーであろう。トレオでの再戦は大荒れでアレンが坂口の首を黒帯で締め、最後は急所蹴り。特別レフェリーの柔道二段マリオ・ジェネスもKOされる。坂さんの反則勝ちは負けに等しかった。

 その日のメインではカネックがタイガー・ジェット・シンからUWA王座を1年ぶりに奪回している。セミ前の6人タッグはドクトル・ワグナー&栗栖&ストロング小林vsグラン浜田&小林邦昭&ボビー・リーという興味津々のカードで、結果はルード組の反則負けだった。坂口はこの遠征でストロング小林と一緒にメキシコ入りする。小林はこれがメキシコデビュー戦で、ルードとしてしばらく居残る。「小林さんとは何回も組んだよ。根がいい人だから、よく飲みに行った」(栗栖)。


※アカプルコでのアレンとの柔道ジャケットマッチの再戦(エル・アルコン誌459号)

 その翌日(17日)のプエブラのカードも日本向き。6人ダッグでシン&アレン&ストロング小林vs坂口&カネック&ワグナー。2年前まで北米タッグ王者だった坂口と小林がメキシコで敵味方になった。ここではどっちもルードだが、嫌われ者のシンやアレンが相手だから、メヒコのファンはカネック側を応援する。この日のセミは栗栖&エンリケ・ベラvsドレル・ディクソン。「プエブラへの移動は俺の車をクロネコが運転して坂口さんも小林さんも乗せていったのかもね」(栗栖)。クロネコはこの日の第1試合。免許取り立てで、いつも栗栖の車を乗り回していたという。17日の坂さんはアカプルコに飛んでアレンとの柔道ジャケットマッチの再戦。これはメインだった(結果は同じ反則勝ち)。

 翌18日はメキシコシティに戻って来て、ヌエバ・アレナ・アパトラコでシンとのマノ・ア・マノ(ノンタイトルのシングル)がメインに組まれた。あの狭くて天井が低くて汚いアパトラコの控室で坂さんが背中を丸めていたか、やや斜めに傾いたリングで猛虎と戦っていたのかと思うと、少し笑える。シン相手だから馴染みの薄い大きな日本人にも声援が集まったことだろう。この2戦は他の日本人の試合が無かったから、身の回りは自分でやらなくてはいけなかったはず。たぶん日本人好きのブラソスが面倒を見たのでは…。

 19日はカード不明だが、恐らく場所はトルーカ。20日はオフで、21日のアレナ・ソチミルコもアレンとの柔道ジャケットマッチが行われた。この日はセミで浜田&邦昭vsクン・フー&カト・クン・リーがあったから、浜田が送り迎えしたのは間違いない。ちなみに同夜、ラウル・レイジェスが掛け持ちでプロモートするアパトラコ大会ではミル・マスカラス&エル・ソリタリオvs栗栖&ストロング小林という珍カード(?)が組まれている。


※『ボクス・イ・ルチャ』1476号はトレオでのタッグ再戦のカードが。

 22日は坂さん2度目のトレオ。この日のトレオにも浜田と栗栖も出場していた。メインはカネック&坂口vsアレン&ストロング小林。ここからカネックとS小林の抗争が始まり、1ヵ月後の同所でUWA世界戦が行われる。翌23日はプエブラでもアレンとの柔道ジャケットマッチがメイン(気を遣ったカードばかりだ)。セミがカネックvsS小林の一騎打ち。この日もクロネコが第1試合だったから、2人の送迎はクロネコだった可能性が高い。メキシコでのクロネコのケアは2ヵ月後の新日本への初修行にプラスに働いたことであろう。

 翌24日はカード不明だけど、パチューカかケレタロ。坂さんのメキシコ最終戦は25日のナウカルパンだ。メインは坂口&浜田vsアレン&ベビー・フェース。セミは栗栖&カルロス・プラタvs邦昭&エストレージャ・ブランカ。浜やんが坂さんと組んだのはこれが初めてだろう。美味しいところは邦昭には渡さない。ここで坂さんは初めてリンピオ側として試合する。その晩、坂さんの送別の宴が催されただろうことは想像できるが、そこに浜田と栗栖が同席したのか、どちらも「記憶にない」と証言…している。ちなみにビル・ロビンソンのメキシコ初上陸は、その4日後のことで、馬場とドリーも10日後にEMLLにやって来る。坂口さんは28日に帰国している。

 それから8年後、新日本の社長となった坂口さんはUWAの会長職にも就任する。メキシコ側(その時の代表はカルロス・マイネス)としては「プレシデンテ=セイジ・サカグチ」の名前だけがほしかったのだろうが、生真面目な坂さんは何度もメキシコを視察する。畑、佐野、浅井の視察、UWA世界ジュニアヘビー級新設の立会人、ベイダーの貸し出しなど…。視察の際には“日本から”、あのクロネコが同行して行った…。新日本とUWAという政治的な繋がりしかないように思われた坂口征二とメキシコの関係だが、実はそれ以前に選手としてこんな過去があったことをインプットしておいてほしいと、思う。もう「記憶にありません」とは言わないでくれ!







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