[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[7.19]恐るべきパチューカ

 日曜日のトークショーは、てんてこ舞いだった。ゲストの新間寿氏が実家のお寺の大事で最初の30分しかいらないという緊急事態。それでも新間さんは10分もオーバーしてトークしてくれた。内容はかなり駆け足になってしまったけど、普通のゲストの倍以上のスピードで喋る方だから、この40分間はそれなりに濃かったかもしれない。そして新間さんは自分の後続の代打まで用意してくれた。アントニオ猪木の実弟・猪木啓介さんである。

 こういうトークの場にはほとんど出たことがないという啓介氏には、猪木一家の鶴見区生麦時代、ブラジル移住時代の話からお聞きした。さらにアントニオ猪木が日本プロレス除名になる直前から兄と行動を共にし、新日本プロレス立ち上げ、初期の営業として参加した話は時間をかけてお聞きした。もちろん、タバスコに始まり、アントンリブ、アントンハイセルなどの事業関係のことなどもお聞きする。特にハイセルに関してはプロレスマスコミの報道やレスラー側の意見とブラジルの現場の働く啓介さんとは、かなりズレがあると思った。


※新間さんは短い時間だったけど新間節は健在で、濃い話を聞かせてくれてもらう。

※バトンタッチされた代打の猪木啓介氏には貴重な話をたくさんしてもらった。

 予想外の展開になったけど、新間さん、啓介さん、ありがとうございました! 当日、新間さん目当てで来られた方には、失礼しましたが、アントニオ猪木の知られざる素顔を啓介さんが身内の目線で語ってくれたというレア感でお許しください。次回「ビバ・ラ・ルチャvol.34」は10月8日(日)の新宿ネイキッドロフトに決定しています。お楽しみに!

 今回のトークショーで私はFCパチューカのレプリカユニフォームで出演させてもらいました。サッカー日本代表・本田圭佑がパチューカに移籍したから、奇をてらって着用したわけ(ああっ、けいすけ繋がりだったのは今、気づいた!)。これは以前にメキシコで購入し、2007年に『FIFAクラブワールドカップ』で国立競技場に応援しに行った時に着たもの(1回戦でエジプトのアル・アハリに敗れる)。というわけで、今日は本田圭佑の移籍で一躍、脚光を浴びているパチューカを旅してみよう。

 FCパチューカは1901年創立の名門だけど、サッカーファンでも2000年以前にこの名を知る者は少なかったはず。パチューカの町も同様。一般的な観光地ではないので、普通の観光客が行く町ではない。イダルゴ州の州都で海抜は2426m、人口26万人(日本ならば下関市くらい)。メキシコシティから北東に約100キロ(東京〜甲府くらい)、車で2時間弱の距離にある。この町、間違いなく、サッカーよりも先にプロレスファンが知った町である。それも1970年代後半にはゴング等の誌面で…。何度もパチューカの試合がグラビアを飾った。

 もともとは鉱山で栄えた町で、そこに労働者相手にサッカークラブやレスリングジムが出来たという点では“蛇の穴”のあるウイガンと似ている。我々がパチューカという町の名を知ったのは、新日本プロレスと提携していたUWAの主要コースにあったからであろう。残念ながらいつからこの町でルチャが始まったのか定かではない。

 しかし、同州のトゥランシンゴからはブラック・グスマンとエル・サントの兄弟が出たように、30年代後半から40年代初頭にはルチャは始まっていたのであろう。同じトゥランシンゴ出身のフランシスコ・フローレスは早くからパチューカでルチャのプロモーターをやっており、存命中にルチャ生活50周年の記念大会を開いたくらいだから、30年代半ばなのであろう。この町からは元NWA世界ウェルター級王者のカルロフ・ラガルデが排出されている。


※ウェルター級史上最強の男カルロフ・ラガルデはパチューカ出身。鉱山の町で働いていた。

 フローレスはパチューカでEMLL系のプロモーターとして毎週火曜日に興行を催していたが、1975年に自ら新団体UWAを興すと、アレナ・ラ・アフィシオンでの定期戦はUWA主催になった。それから崩壊までの約20年間、火曜のパチューカのUWAのドル箱アレナとなる。何せ、メンバーやカードがいい。同じ火曜日のアレナ・コリセオよりも、遠くてもこっちに足が向いてしまう。そりゃあそうだろう、フローレス代表が直々指揮するのアレナなのだからいいカードなのは当たり前だ。ここへ行くには誰か車に乗せてくれる選手を探さなければならなかった。79年には浜田さんの車で何回かパチューカに行った。

 アフィシオンは3000〜4000人クラスのアレナ。2階に珍しく広告がいっぱい出ているから、ちょっと味のある雰囲気の感じ。そういうスポンサーをつけるところもフローレスの手腕だった。1981年にアンドレが行った時は通路に溢れた立ち見客がリング角の鉄柱の所まで来るという光景を初めて観た。リングサイド撮影でリングを回り込めないほどの入りを俯瞰で撮影しようと2階に上がると、そこも立ち見客でいっぱい。するとリング方向でなく、壁側を向いている男が…。

 何をしているのか近くへ行くと、ギョギョッ、その男はビニール袋に小便を入れていた(これをリングに向かって投げるのだ)。恐るべし、パチューカ! 82年にはソリタリオの愛車ポンティアックファイアーバードが壊れていたので、一緒にバスで行ったことがある。帰りはブラック・テリーの小さな車に5人乗って帰って来た。

 84年に結婚式にメキシコに行った時に怪魚仮面の車でペロ・アグアヨと一緒にパチューカに行く。その話はフィッシュマンが亡くなった時に書いた。会場にはメインに出るブッチャーが来ていて、2階の放送席(?)のようなブースで、試合前を過ごしていた。フローレスから、私の妻もそこで観るようにと勧められ、ブッチャーと一緒に観戦していた。ブッチャーにはキャンディーを貰ったり親切にしてもらったという。

 私はリングサイドで写真を撮っていたのだが、何の試合の時か憶えてないけど、何かが私の顔に飛んで来て、バチンという衝撃を受けた。足元にポロリと落ちたのは、パチンコ玉くらいの小石だった。それがメガネに当たったのだ。幸いレンズは割れずに小さな傷がつく程度だったけど、よく見ると、傷のあったのは中央の眼球あたり。危うくピラタ・モルガンみたいになるところだった。でも、顔に直接当たっていたら大怪我をしていただろう。恐るべし、パチューカ!


※アレナ・アフィシオン・デ・パチューカは常に好カードを提供していた。

 仲人をしてくれたフローレスが86年にフローレスが亡くなると、引退してUWAのメインマッチメーカーになっていた地元のカルロフ・ラガルデがプロモートする。87年5月に浅井嘉浩がプロレスラーデビューしたのもココ。90年代半ばにUWAが崩壊して、ここでの興行は無くなったが、新団体プロモ・アステカがこの会場を使用した。私もファンを連れてメキシコツアーした時、ツアーバスに乗ってテオティワカンのピラミッドを見学した後にプロモ・アステカのパチューカ大会に行った。あれは98年3月だったかな。コナンとバンピーロの犬猿の仲が合体したのはレアだった。それが最後にパチューカだった。

 残念なのはいつも、到着が夜で、昼間のパチューカの町を私は知らない。一度、ゆっくりパチューカを散策してみたいものだ。近年になってCMLLがパチューカ大会を再開した。アレナ・メヒコ発の選手バスを見送ったことがある(火曜日のグアダラハラもバス)。選手たちの車に同乗して行くのではなく、日本みたいにバスで行けるパチューカ…時代は変わったものだ。本田佳祐ファンじゃないけど、今回の移籍でメキシコリーグ(リーガMX)のFCパチューカの試合がTV中継で観られるようになるかもしれない。それでパチューカはもちろん、アウェイでメキシコ全土の町が紹介されるようになるならば喜ばしいことである。







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