[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[7.26]駅前プロレス 日本プロレス編

 先々週触れた、1979年7月26日、新日本プロレス綱島西口広場大会を観戦したという方からご連絡があった。匿名希望の武蔵角さんによると、「(会場は)現在のイトーヨーカドー綱島店が建っている場所でした。当時はまだ更地で、大会後間もなくしてイトーヨーカドーの建物の建築が始まった記憶があります。駅前と表記するには少し距離がありますね?」というもの。

 そうだったのか! てっきり駅に近い東照寺会館前の駐車場ではないかと思っていたけど、イトーヨーカドーのある場所だったとは…。直線だって西口から200メートルも離れているじゃないか。それもバス通りを越えてだもん。

「ちなみに主催者は地元の商店会で、試合前に会長さんがリング上で挨拶をされました。会長さんは初めに思い切り、本日は全日本プロレスさんの協力を賜り、と宣ったので、隣に立っていたケロちゃんが固まってしまったのを覚えています。晴天でしたが、午後八時には終了し、選手、スタッフはとっとと帰って行きました」と。武蔵角さん、当時の雰囲気が出ていて、とっても貴重な証言をありがとうございました。これでわかることは「駅前広場」と言っても、決してすべてが駅の前とは限らず、客寄せの目印みたいなものだったと考えられる。


※駅からかなり離れた場所にある現在のイトーヨーカドー綱島。

 他に「日本プロレスと国際プロレスの駅前広場も書いてください」というご意見もあったので、今日は老舗・日プロの「駅 ステーション」大会を解き明かしてみることにしよう。あくまで記録で調べられる限りで最古の駅前大会は、1960年(昭和35年)5月29日の「愛媛県・松山駅前」。『第2回ワールド大リーグ戦』の追撃戦『プロレス選抜戦』で、サニー・マイヤース、フランク・バロア、ダン・ミラーらが残留していたが、カードは不明である。「広場」と表記されていなかった。

「駅前広場」という名が初めて出てきたのは61年7月23日の内房線「館山駅前広場」。観衆は8000人。メインは力道山&豊登&吉村vsビル・ミラー&アイク・アーキンス&ジム・ライト。セミはカール・クラウザー(ゴッチ)vs遠藤幸吉。内房線が電化されたのは69年夏だから、まだSLが走っていたわけだ。私も海水浴へ行ってSLを見た記憶がある(目の前を走り去るSLから水滴が顔に…。あれは小便か!)。現在の館山駅はリゾートタウンを意識した南欧風の駅舎で、プロレスをイメージする雰囲気の遺構は何もない。

 力道山死後、1964年には2つの駅前大会が関西であった。5月5日、近鉄大阪線の奈良県「大和高田駅広場」のメインにはジン・キニスキーが登場。セミのワールドリーグ公式戦は馬場vsザ・マミー(古墳群のある大和高田で東洋の巨人vsミイラ男をやっていたとは…)。

 8月2日は国鉄・関西線の「八尾駅前広場」。セミはマグフィセント・モーリスvs金剛金太郎。大木は当時、こういう名だったんだね(金剛山が近い八尾ならば受けたかも…)。65年は4月12日に常磐線「北松戸駅前広場」(ブラッシーvs芳の里の公式戦)。6月23日に岩手の「南気仙沼駅前広場」(馬場vsスウィート・ダディ・シキ)。

 66年は3つ。7月4日の「尼崎市国鉄駅前」。この表記は東京人には解読が難しい。尼崎は複雑。麒麟ビール工場があったあたりなのか…。広場はたくさんありそうな感じ。その日のセミではヒロ・マツダvsエディ・グラハムのフロリダ対決があった。8月18日の「平塚駅前南口広場」。ここは今でも南口は寂しい。当時は何もなかったのだろう。ウルトラセブンがオンエアされる1年前に高杉正彦少年は、ここで馬場&吉村vsカウボーイ・ランザ&マイティ・アトラスを観たであろうか。9月3日の千葉県東武鉄道「柏駅前広場」。メインは馬場&吉村&芳の里vsザ・ビジランテス&アトラス。

 67年は関東ばかり2箇所。「川口駅前広場」(4月9日)とターザン・タイラーが猪木を破った「国分寺駅南口」(9月24日)。68年は1度のみ。9月5日の南武線、川崎市の「武蔵溝ノ口駅前広場」がそれ。メインは馬場&猪木&大木の最強トリオvs人間空母&人間山脈&恐竜(ニックネームだけで、誰かわかるいい時代でした)。この武蔵溝ノ口駅前広場は連チャンだった。

 翌69年の8月5日もここで試合があった。商店会(?)といい関係だったのだろう。メインは馬場&大木&吉村vsザ・ブッチャー&アート・マハリック&ジャン・セバスチェン。その時代、我々にとって“ブッチャー”と言えば黒革の手袋をしたドン・ジャーデン(ザ・スポイラー)のことだった。同シリーズの8月24日には宮城県・陸羽東線「古川駅前広場」があった。ブッチャーはセミで猪木と引き分けている。東北新幹線の駅が出来るのは82年だから、13年前の話である。

 その次の年(70年)、次なるブッチャーが駅前に現る。ステテコを履いた黒人のブッチャーだった。8月30日、伊豆急の終点「下田駅前広場」に黒船…いや、アブドーラ・ザ・ブッチャーが出現し、メインでプリンス・ピューリンと組んで馬場&猪木と組んでいる。シリーズのエースのはずだったカール・ハイジンガーは初来日の伏兵・ブッチャーの大活躍に食われて、降格し、この日はセミ前で大木に敗れている。でも、改めて調べてみるとブッチャーは最終戦で馬場のインター王座に挑戦するまで19戦して一度のフォールも取られてなかった(タッグでも、という意味)。それは最初にハイジンガーと組んだ時からである。日本プロレスは最初からブッチャーをエースガイジンにするつもりだったように思えてきた。ちなみに純正BI砲が駅前に登場したのは下田が最初で最後だった。

 71年は神奈川県の鎌倉市の大船駅前広場での1回のみ(6月26日)。イワン・コロフvsグレート小鹿、ダニー・ホッジvs上田馬之助なんてやっていたんだね。今の大船駅前を見ると、どこで試合をやっていたのか想像できない。時期的に松竹大船撮影所では『男はつらいよ 寅次郎恋歌』を、鎌倉では森田健作の『俺は男だ』を撮っていた頃だろう。


※ステテコ姿の初来日のブッチャーはスピード感があった。

 72年は10月23日の東海道線「戸塚駅前広場」。もう、猪木も馬場もいなかった。これが最後の駅前。メインは坂口&高千穂vsネルソン・ロイヤル&ラリー・ハミルトン。セミがワルドー・フォン・エリック&フリッツ・フォン・ゲーリングvsミツ・ヒライ&永源遥。随分ひどいカードになっている。潰れて当然か。

 イトーヨーカドー綱島店の話を聞いてから、駅からどれほど離れた空き地だったのだろうと思うようになった。昔の営業マンは空き地や広場を探してくるのが上手かったんだろうな。現代社会は、そういうちょっとしたスペースすら無くなってしまった、と思う今日である。SLの時代から新幹線へ…日本プロレスは鉄道の大転換期を見つめてきたプロレス団体だった。








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