[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[5.16]佐賀で小さな自己満足

「47都道府県でプロレスを観た・取材した」というのは私のプチ自慢なのだが、それは当時の記者やカメラマンならば決して珍しいことではない。ただ、それを当時から意識していたか、後でチェックしてどうだったのか、の問題なのだが…。でも、全都道府県だけでなく、それが県庁所在地の会場だったかというと、残念ながら私の場合は「NO」なのだ。たとえば奈良県。奈良市の体育館はほとんどプロレス興行をやらず、私が行ったのは橿原市の体育館(奈良は鬼門で、奈良市内でプロレス観戦した記者は極少のはず)。


 近場では埼玉県。今はさいたま市になっているが、元々は浦和市が県庁所在地で、大宮市ではなかった(今も県庁は浦和区にある)。三沢光晴がデビューした浦和競馬場(正門前駐車場)には競馬を観に行ったが、プロレス観戦ではないので「OUT」。浦和市限定となるとかなりの難題だ。私同様、ここで引っかかる記者は多いはず。そしてもう一つ、県庁所在地で未観戦の都市がある。佐賀県佐賀市だ。私は先月、その佐賀市へ行って2泊した。

 佐賀県は「地味な県」「九州で最も存在感のない県」などと言われている。「はなわ」とか、「がばいばあちゃん」などで脚光を浴びた時期もあった。私的には「見どころいっぱい」の大好きな県なのに、やはり一般的に影が薄いようだ。佐賀市内のプロレス会場では1973年10月にオープンした「佐賀スポーツセンター」が有名で、それ以前はプロレス不毛地帯だったようだ。佐賀県下では唐津市体育館や嬉野市体育館、鳥栖市民体育館、鹿島市中川公園、武雄市桜山公園、伊万里ボーリング場などが使われてきたが、肝心の県庁所在地・佐賀市はプロレス会場空白地帯だった。


※在りし日の佐賀スポーツセンター。上にはアイススケートの文字も。

 改めて記録を見ると、63年10月20日、力道山は亡くなる2ヵ月前に佐賀市内で試合をしている(力道山&芳の里&グレート東郷vsハードボイルド・ハガティ&サニー・マイヤース&イリオ・デ・パオロ、豊登vsバディ・オースチン、猪木vs上田)…佐賀県立体育館…所在地は不明だが、この時に一度だけ使用されている。その後、日本プロレスは66年4月7日に「専売公社跡地」で『第8回ワールドリーグ戦』を開催していて、以降市内に踏み込んでいない。次は70年9月26日に市内の「第一魚市場」を国際プロレスが使用しているが、それ以降、佐賀スポーツセンターができるまで、どの団体も佐賀市内で試合をしていない。

 佐賀スポーツセンターといえば80年9月4日にジャイアント馬場がハーリー・レイスを破って3度目のNWA世界ヘビー級王座に返り咲いた地として有名だ(セミはマスカラス兄弟vs極道コンビ)。しかし、全日本はこの時が初使用で、元々ここは新日本の常打ち会場だったのだ。最初は75年5月4日、『第2回ワールドリーグ戦』(猪木vsマンマウンテン・マイク)。そこからはほとんど毎年、ゴールデンウィーク前後か、5月中に決まったように、ここを使う。だから『MSGシリーズ』や『IWGP』など春の祭典の舞台となるケースが多い。


※レイスを破って馬場がNWA世界王者に。馬場の腰に三度レイスモデルが。

 馬場がNWA戴冠した80年の新日本は5月2日開催で、メインではスタン・ハンセン&チャボ・ゲレロが猪木&藤波を破っている。翌81年5月25日はダスティ・ローデスvsハルク・ホーガンの好カードがあったし、82年は猪木が右膝半月板手術で欠場したため、藤波vsブッチャーが佐賀のメインだった。当時、新日本の営業部長だった大塚さんに聞く。「佐賀県下は唐津も、武雄も、嬉野も、熊本の大石さんという方に頼んでいました。熊本に住んでいながら、熊本は旗揚げ以来のプロモーターがいるので、大石プロは佐賀県担当でしたね。佐賀市内は体育館が無かったか、貸してくれなかったか、どうしても便のいいスポーツセンターになるんですよ」。

 私がここへ行く唯一のチャンスがあったとしたら、83年の『IWGP決勝リーグ戦』第2戦(5月16日)だったであろう。公式戦はオットー・ワンツvsカネック。速報増刊をキャップとして作っていたので取材に行ける可能性もあったけど、福岡の開幕戦から譲ってしまう(今から思うと惜しかったなあ)。以後、86年頃まで新日本5月の佐賀スポーツセンター興行は続いた。今回、その跡地を探した。佐賀城本丸歴史館にいるボランティアの長老たちを集めて、いろいろ聞き取り調査をする。館長らしき人が「ああ、昔、スケート場があった所な。佐賀駅から北東に歩いて5分くらいか。よく滑りに行ったよ。そう、プロレスも来ていた。今は大きな駐車場になっているよ。セブンイレブンの横の…」。

 確かに佐賀スポーツセンターはスケート場として作られた施設で、他のスポーツには使わせなかったようだ。プロレス開催以外は展示場として使用されていた。冬場がスケートだったので、プロレス開催が5月や9月だったのは頷ける。池袋も、大宮もそうだが、密封空間のスケート場でのプロレスは暑い(クーラーはない)。ここもそうだったのだろう。

 聞けば、スポーツセンターが取り壊されたのは90年代後半だとか(96年9月の大日本が最後の興行か。ドクトル・ワグナーJr.とブラック・ウォリアーが来ている)。使い勝手の悪さと維持費がかかるためか、娯楽としての魅力が薄れたためか、全国各地でスケート場がポツポツ消えて行ったが、ここも閉館に追い込まれた。新しく出来た佐賀県総合体育館で94年3月に新日本が興行を打つが、単発だったようだ。

 平成(2003年2月)になって、私にとっての「最後の1県」となった佐賀県の取材を終え、全都道府県コンプリート! それは佐賀市内中心部から東南東に6キロほど行った「諸富町文化体育館」での取材だった(団体は全日本か、NOAHだったか忘れた)。その小さな会場の住所は佐賀県佐賀郡諸富町で、2005年に佐賀市に合併した。つまり私が取材に行った03年は、まだ佐賀市(県庁所在地)ではないので「OUT」…だな。

 私が行きたかったのはやっぱり佐賀スポーツセンターだった。大仁田厚が市長選に出馬した神埼市をウロウロした後に、佐賀市内に戻って、佐賀スポーツセンター跡地に行ってみる。場所は佐賀学園高校の裏手で、駐車場はかなり大きかった。元住所は佐賀市駅前中央2−10−35で、今も番地までは同じだ。恐らく自宅からここまで車で来て、佐賀駅から福岡や鳥栖などへ電車通勤するためのパーキングなのだろう。この一区画だけが、スケートセンターの形を留めている。

 しかし、ここでNWA世界ヘビー級王座が移動したなんて、想像の翼を思い切り広げないとなかなか浮かんでこない。Gスピリッツの次号では「レイスモデル」の徹底検証をする(新事実連発なので必見)。日本で7度あのベルトが動いた最後のチェックポイントに来られたことで、私は小さな達成感を得た。


※今は駐車場になってしまった佐賀スポーツセンター跡地。正面奥がJR佐賀駅方向。

 佐賀駅の目立たぬ所に「佐賀プロレス」の小さなポスターが貼ってあるのを発見。そこに懐かしい「がばいじいさん」の写真があったので、思わず笑ってしまった。プロレス不毛といわれたこの地で頑張る諸君がいるんだな…。
九州の旅は続く。







(C)辰巳出版