[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[5.23]鎖国の果てに何を観た

 先週の佐賀スポーツセンターの記事で1996年9月の大日本が最後の興行か…と書いたが、正しい情報提供をいただいた。正しくは98年4月13日、新日本プロレス『バトルライン九州』の(全9戦)の開幕戦。アントニオ猪木引退試合(4月4日=東京ドーム)の次の試合(メインは天龍&越中vs蝶野&天山)。80年代半ばまでは夏にプールもやっていたという情報もいただいた。

 さらに63年10月に力道山が試合した佐賀県体育館は県庁近くにあって、「市村記念体育館」という名で現存しているという情報もいただいた(同年3月竣工)。内部は旧大田区体育館に似ていて、外観は新潟市体育館に似ているのだとか(新宿西口広場をデザインした板倉準三氏の設計だからモダンだ)。それにしても佐賀城のご城内に県体育館があったとは…まさに灯台下暗し。次回、佐賀へ行く時には寄ってみたいが、老朽化が進んでいるようだ。

 また、来年3月に福岡市の九電体育館が取り壊されるという情報もいただく。こちらも64年竣工だから古い…。大相撲九州場所を始め、プロレスでも数々の昭和の名勝負を残した大会場(1度か2度取材に行ったが、いつだったか…。西鉄の駅近くでした)。もし福岡へ出張されることがあれば是非寄ってみてください(急ぐべし)。これらの情報提供、ありがとうございました。


※松浦の「逃の浦の石塁」。左の白い石積みが見事なばかりに現存する元寇防塁。

 さて、佐賀市の次、私は背振山系を越えて玄界灘側へ。そこから唐津、呼子、伊万里を経て長崎県の松浦市に入る。松浦は元寇で活躍した水軍の松浦党発祥の地。1982年10月11日に鷹島町営グラウンドで全日本が試合をしている。鷹島は元寇の際の大激戦地で、神風が吹いて島に取り残された元軍10万を日本軍が総攻撃して壊滅させた地とされる。海中には沈没した元軍の船が今も残る。

 そんな鷹島での初のプロレス大会にブルーザー・ブロディが上陸してメインで馬場&鶴田&天龍の全日本軍と激突している。ブロディのパートナーがニコリ・ボルコフとビクター・リベラ。「この人、偽のロシア人だけど、元は(偽の)蒙古人ですよ!」。ボルコフがもしベポ・モンゴルでやっていたら、シャレにならなかっただろうなと思った(後年、島にはモンゴル村というレジャー施設が出来たらしいが、2年前に休園してしまったようだ)。

 松浦からさらに西へ。本土最西端の平戸市に入る。93年以来だから25年ぶりの平戸。室町時代にはポルトガル人宣教師フランシスコ・ザビエルがやって来て布教活動をし、松浦氏はここで南蛮貿易をした…こじんまりしているけど風情のある港町だ。江戸時代初期にはオランダ商館とイギリス商館が設置された。家康の外交顧問として旗本にまで取り立てられたイギリス人航海士ウイリアム・アダムス(三浦按針)は家康の許可を得て帰国しようとしたが、この地で亡くなる。3年後、イギリス商館は閉鎖された。以後、徳川幕府はイギリスとの国交を絶ち、1641年よりオランダと中国のみと長崎市の出島で貿易をする。いわゆる鎖国の始まりである。

 イギリス商館閉鎖から346年後、2隻の大型イギリス船が平戸にやって来る。イアン・キャンベル号とブルーノ・アーリントン号だ。こう書くと、本当にありそうな船の名前だなあ(注・外洋船ではなく英国のプロレスラーです)。彼らはここがイギリス人所縁の地だと知ることが出来たのだろうか。

 1969年11月29日、国際プロレスは彼の地で興行を打った。以前、このコラムの相撲場プロレス大会検証の記事で、ここの事を触れている。『IWAワールドタッグ挑戦シリーズ』第24戦の平戸市営相撲場。それは平戸城内(亀岡公園)にあったらしいのだが、前回に来た時は、はっきり所在を確認できなかった。だから今回はしっかりチェックしておこうと寄り道してみる。それは護国神社の裏で、沖見櫓、見奏櫓、懐柔櫓に囲まれた本丸削平地にすり鉢状になってあった。とっても立派な相撲場で今年6月の長崎県の高校総体もここで開催されるらしい。


※平戸城の模擬天守から望む平戸市営相撲場と平戸漁港、奥が平戸大橋。

 さて、問題の69年国プロ平戸大会。主催者発表の観衆は何と9300人! スペースを見てギッチリ入れれば決して入らない人数ではないかも。実数は定かでないが、強気の数字からして本当に“たくさん”入ったのだろう。同シリーズは30戦あったが、他会場の最高5300人だから、9300はダントツの数字だ。メインは豊登&グレート草津&ストロング小林vsシャチ横内&エルマンソー兄弟。キャンベル&アーリントンの英国巨艦コンビはセミでゴードン・ネルソン&バッド・ゴディの北米駆逐艦を撃沈させている。

 この平戸の相撲場を使用した他の記録を調べてみよう。国プロの次は新日本だった。75年7月15日の『サマーファイト・シリーズ』第9戦。発表は4100人。メインは坂口征二&永源遥vsブルート・バーナード&アリ・ババ。セミではアントニオ猪木vsブル・グレゴリー。これは厳しいローカル向けのカードだ。平戸でだけなら、国際に軍配を上げたい。まあ、田舎は田舎でカード抜きにして、初めて観るナマのアントニオ猪木に興奮できたはずだ。

 その翌年、76年5月31日には全日本がこの相撲場を使う。主催者発表は3800人。『NWAチャンピオンシリーズ』とはいえ、世界王者のテリー・ファンクはまだ来日していない。でも、内容はともかくとして、私的にはドツボのハマったカードがメインだ。馬場&アントン・ヘーシンクvsディック・マードック&ロード・アル・ヘイズ。これのどこが…と言いたくなるだろうが、この地で明暗を分けた「オランダ」のヘーシンクと「イギリス」のヘイズが戦っているからだ。平戸市民泣かせのカードではないか。馬場さんが、もしそこまで考えていて組んだのならば、今更ながら拍手を送りたい。


※平戸港。対岸右の白い建物が復元されたオランダ商館。左奥にイギリス商館があった。

 私の調べた範囲での平戸市営相撲場は80年3月27日、新日本『ビッグファイト・シリーズ』が最後か!? 発表の観衆は弱気な1500人。メインは猪木&星野勘太郎&長州力vsアイアン・シーク&スーパー・デストロイヤー&バッドニュース・アレンの6人タッグ。セミは坂口vsベビー・フェースだった。

 かつてこの平戸には南蛮人や紅毛人も居れば、奴隷や猛獣・珍獣も来たであろう。どんな人種や動物も、いち早く観て来たであろう町人の末裔たち(平戸市民)が、この大会で一番驚いたのは“イランの怪人”でも“仮面の超破壊者”でも“褐色の猛牛”でもない…“オカマコンビ”のセルヒオ&グレコだったかもしれない。

 九州の旅は続く。






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