[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[7.04]“千の技”を学ぼう

 絶賛発売中のGスピリッツVol.48で『続・ミル・マスカラスが悪魔仮面と呼ばれた時代』は最終回となった。前作から数えて21回で1968年のロス進出から1972年のMSG初登場までを検証したものだ。

 かつて私がマスカラスに魅せられたのには、いろんな訳があった。「毎試合マスクを変えて出場する」というから、最初は「一体、どんなマスクがあるのだろう」という興味だった。その研究は50年経った今も途切れることなく続いている。次に興味を持ったのは飛び技=空中殺法だった。それまでドロップキックとフランイング・ヘッドシザースしかプロレスの飛び技は存在しなかったが、ダイビング・ボディアタックやフライング・クロスアタックなど、後にプランチャやトペと呼ばれるものを日米プロレスに初導入した功績は見逃せなかった。

 現在、メキシコのプロレス=ルチャ・リブレへの日本人ファンの興味は第一に「マスク」と第二に「空中殺法」と、この2つに集中している(メキシコ人たちのルチャに対する視点が日本人と全く違うことは、現地に行かないとわからない)。私もその2つが入口だったから間違いとは言わないが、1971年にマスカラスが初来日してからその考え方は変化していく。さらにメキシコに初取材に行く直前と、実際に行ってから、ルチャへの考え方は変わっていった。それは別の機会に触れよう。

 マスカラス初来日で発見した第三の興味とは「メキシコ特有の関節技」だった。後にジャーベと言われるものである。日本では「ジャベ」と呼ばれるが、違う。発音をよく聞くと「ヤーベ」「ジャーベ」。だから私はずっとジャーベと書いてきた。

 まあ、それはどうでもよい。71年マスカラス初来日の時に私の目を引いたのは「メキシカン・ストレッチ」と総称される各種の変型アバラ折りと変型サーフボードホールドのような見知らぬ関節技だ。まだプランチャが“お決まり”のフィニッシュではなかった。

 たとえば2月27日、岐阜で山本小鉄をギブアップさせた「カナダ式背骨折り」は「ゴリー・スペシャル」だ。小鉄の足が短いから完璧な形にならなかっただけ。蔵前のインター・タッグで猪木に掛けそこなったのは肩車からの高角度回転エビ固め(ラナ)。私は飛び技よりも、これらのジャーベに魅せられた。なぜならば、それまでの日本のプロレスには皆無の技ばかりだったからだ。

 その年の夏の再来日では、新たなジャーベを次々に繰り出す。8月28日の川口大会でのミツ・ヒライ戦は「背骨折り」と記録されているが、これは真上に吊り上げられない状態の「タパティア」(ロメロ・スペシャル)だった。翌日の府中での小鉄戦の「アバラ折り」はリバースフルネルソンから足をフックした「ネルソン・ロイヤル」という名のジャーベ。9月3日の後楽園での上田馬之助戦は「エビ固め」なんて簡単な表記になっているけれども、ダニー・リンチがやったスタンディングクラッチに似ているが、足を4の字にクロスしたジャーベ。同8日の掛川でのグレート小鹿戦ではゴリー・スペシャルをほぼ完ぺきな形で決めてギブアップを奪っている。

 また、このシリーズでは当時はリバース・ロメロ・スペシャルと呼ばれていた「アンヘリート」やウロキ・シトが使う「クルス・ニッポーナ」(日本式十字固め)なども使っている。72年7月24日、後楽園ホールでの小鹿戦の「背骨折り」は「カスティーゴ・インベルティド・コン・レモ」と呼ばれるもの。どれもメキシコの代表的なジャーベだ。マスカラスはこうしたジャーベを随所で披露して来たのだ。


※72年夏の小鹿戦で出したレモ=「魯固め」。オールで漕ぐ舟のような形の技。

 それは全日本へ戦場を移しても続いた。77年8月25日、田園コロシアムでの鶴田とのUNヘビー級選手権。その1本目でマスカラスがギブアップを奪った「背骨折り」と公式記録されたジャーベも強烈だった。グラウンドで自分の両足を絡めてフルネルソンの形を作って、相手の両腕を両手で引き上げるもの。エル・サントがカバージョ(ラクダ固め)以外に得意としていたサンティートと呼ばれた技だが、背骨なんか痛くない。極まっているのは両腕と首だ。(何でも“背骨折り”はないだろ!)。日本の団体は公式の決まり手を全て和名で記録する。初めて見る技の名前は記録係を兼任するリングアナの裁量で付けられる。よって、これらのジャーベはすべて「アバラ折り」や「背骨折り」で片づけられてきた(今の技の名前は何だったの?って控室に聞きに行ったよ。私が取材に行った時は現場で必ずそれをしてきた)。

 翌78年夏の田コロでのインター・タッグ選手権。2本目でマスカラスが鶴田をギブアップさせた「逆風車固め」。小洒落たネーミングだった。しかし、これじゃ何だかわからない。それはリバースフルネルソンをしながらグラウンドに持ち込んで自分の両足で相手の股を裂くという複合技。これもサントが得意にしていた。


※マスカラスが田コロで鶴田をギブアップさせたジャーベはサントの十八番。

 メキシコへ取材に行くようになると、より多くジャーベを研究かるようになった。入社後すぐ、別冊ゴング81年5月号の特別付録で『未知のメキシコ殺法45』を掲載したのも、その研究成果だった。「トペ・コン・ヒーロ」「セントーン」「コルバタ」「トペ・アトミコ」「ウラカン・ラナ」のような飛び技の他に「エル・ヌド」「カンパーナ」「ケブラドーラ・コン・ヒーロ」「ゴリー・スペシャル」などの技名が浸透していったのは、この付録があったからだと自負している。

 その後の研究でジャーベは創設期の1930年代からルチャの基本技術として定着してきたものであることがわかった。柔術家のゴンサロ・アベンダーニョが国産ルチャドールの一期生たちに仕込んだことが始まりといわれている。つまり飛び技より30年も歴史が古い伝統テクニックなのである。我々のよく知るコブラツイストもここに端を発していることは以前にこのコラムでも触れている。

 アメリカ遠征前だったか、渕くん(正信)が「誰も使っていない、何か面白いメキシコの関節技とかフィニッシュ技ないかね」って、相談されたことがある(仙台?の会場の舞台の裾だったような)。私はしばし考えてリバースのゴリー・スペシャル(これもラ・カンパーナと呼ぶようだ)を勧めた。見栄えが良かったからだ。でも、渕くんは技の入り方がどうしても覚えられない。「駄目だな。難しいよ」って放棄。それ以外にもう一つ何か教えたけど、結局それも駄目だった。

 後年、渕くんが三沢光晴にフェイスロックを伝授した時に“ああ、そんな無理な体勢の技だったら、もっといいのがあるのに…”と、正直思った。渕くんには悪いが、三沢にはもっと相応しい技があった気がする。カール・ゴッチによってUWF等でサブミッションと呼ばれる関節技が日本で注目を浴びたが、そのゴッチがメキシコでジャーベをいろいろパクって弟子たちに授けたのだから、もっとジャーベはリスペクトされて然るべきいうのが私の考えだ。

 1ヵ月ほど前、『闘道館』の泉館長から「何か、清水さんが出来るイベントのネタはないですか」と相談を受けた。私は即座にこう答えた。「ジャーベの講座みたいなものならばできますよ。今まで見たことないようなジャーベの資料をたくさん持っているから。もしやるならばルチャファンに限らず、プロレスファンやプロレスラーにも来てほしい、アカデミックな勉強会にしたい」と。講義しながら、誰に実演してもらうかということで、しばし保留になっていたが、やる方向では館長と一致していた。

 それとはまったく別件でグラビアアイドルの白川美奈さんが「今度8月に、プロレスラーデビューするんですよ」とメールがあった。一去年のレイ・ミステリオのトークショーでMCをしてくれたのが彼女との初対面で、昨年10月にAAAの大会で再会し、同日にクリスチャン・シメットを新日本の両国大会観戦でエスコートしてくれた。「プロレスをやるならばジャーベの一つでも教えようか」「いいですね。私もジャーベを得意技にしたいです」となった後に「そうだ、今度、闘道館でジャーベのトーク&実技イベントをやるけど、観に来れば」と発展。「私、そこに出て教えてもらってもいいですか」と、さらなる進展を見せ、とんとん拍子で下ポスターのようなイベントに変貌してしまったわけ。

 それが今回のイベント開催の経緯。ポスターだけ見ると、お色気イベントのように取られてしまうかもしれないけど、ここまで経緯を書いてきたように、れっきとした真面目なジャーベの勉強会。生徒の白川さんも真剣です。もちろん、ジャーベを掛けたり、掛けられたりの実演あり。それを出来るだけアカデミックに、より多くの技を紹介→分析→伝授していきたい。ジャーベに限らず「プロレスの技」というものに興味のある方は是非、お越しください。きっと勉強になりますよ。









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