[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[8.08]UNベルトは4本あった!?(1)

 先週までPWFベルトの話を書いていて、これでベルト話はお仕舞いにしようとしたら、「UNヘビーも何本もあったんですよね。あのタイトルもいろいろ言われていますが、この論争にそろそろ決着をつけてください」というご意見をいただいた。う〜む、そう言われると、スルーするわけにはいかない。ならば、98年に私と竹内さんで作ったゴング増刊『検証チャンピオンベルトの謎』で、あの時点では書けなかった真実に触れなくてはなるまい。20年目のカミングアウトのつもりだったが、調べるうちに通説を覆す結果が出た!

 ユナイテッド・ナショナル(UN)ヘビー級選手権は、日本プロレス側の発表だと「66年に生まれたアメリカ、カナダの3国に通用するNWAが認定する準国際タイトル」だったが、そんなタイトルは存在しない。これは日本プロレスがNWAへロスのマイク・ラベールに働きかけて作ったタイトルで、69年から猪木をエース押し立てて放映を開始したNET(現テレビ朝日)が70年にスポーサーのマルマンライターに作らせたもの。それはNWA最高峰の“キニスキーベルト”を参考にして似せて作くられた。馬場のインターナショナル・ヘビー級王座(日本テレビ)に対抗する「猪木のため」に用意したタイトル(ベルト)である。


※71年3月、UN王座を持って帰国した猪木。

 力道山がそうであったように、本場アメリカ産のタイトルを獲ることはステータスであり、団体も権威づけに躍起になった。テーズに勝っても力道山がインターのベルトを持ち帰れなかったことが日本プロレスのトラウマとなる。だからインター・タッグ王座を新設する時にベルトをアキバ徽章で作らせ、1年前にロスへ送って、現存するようにアリバイ作りをした(実は深緑2本と茶色1本送っている)。ザ・ビジランテス、マイク・パドーシス&フリッツ・フォン・ゲーリングらが王者チームとなって、ロスでしばらく泳がせて(定着させて)おいて、防衛戦の様子は東スポの芳本栄通信員の写真で日本に報道された。既にインターはシングルがあるが、タッグ王座の存在も次第に認識されるようになった(ロスではこういう時に余所者を王者に使う)。

 WWA時代から付き合いのあるロスマットはブッカーのミスター・モトがいるために、日本プロレスに協力的で、時折り希望カードを「間貸し」した。とはいえ、日米の思惑が微妙に交錯するのである。そして満を持して67年秋にベルトはパドーシス&ゲーリングの手によって日本にUターン輸入され、以後、日本に定着する。ちなみにもう1本の茶色のベルトはアメリカス・ヘビー級王座となってWWAにとって代わるロスのフラッグシップ王座となった。ロスマットにしてみれば、インター・タッグ王座を「しばらく育てたお礼」として茶色のベルトを貰ったということになる。

 UNも同じ手法が取られた。私はこの原稿を書き始めるまで70年半ば、71年初頭、72年初頭に各1本ずつ、計3本作ったのではと予想した。さらに日本からロスに空輸されたのは1本ではないかと読んだ…。それは70年秋、猪木がUNを獲る5ヵ月前のことだ。主戦場フロリダから“余所者”のデール・ルイスがハワイへ行く途中でロスに立ち寄ったのは10月23日。そこでグアダラハラ出身で米マットに定着するパンテラ・ネグラ(フアン・ホセ・セレセロ)と試合した。たぶんここでUNベルトが賭けられたはずだ。

 ルイスの腰に巻かれていたのは余所者が持ち込んだ見知らぬベルト。いや、ルイスもその日、初めて見るベルトだったはずだ。ちなみにその日のメインがドリーvsブラッシーのNWA世界戦だから、キニスキーベルトとUNベルトが揃い踏みしたことになる。そこでベビーフェイスのネグラが新UN王者になって、ルイスは3試合だけでロス地区を去る(翌日のサンバナディーノは高千穂戦)。お役御免だ。


※デール・ルイスは知らぬ間に初代王者に。

 11月20日にネグラからジョン・トロスにUNベルトが移動する。なぜ、ここでロスをホームとして悪名を轟かせるトロスが王者になったのか…。それは猪木の受け入れ態勢が整ったからだと私は想像する。しかし、猪木は来なかった(延期された)。12月3日の大阪で馬場がジン・キニスキーにインター王座を奪われて、年末にロスで奪回戦が組まれたからだ。NETは日テレにしてやられた。そうなった時点でトロスがベルトを持っている意味がなくなる。 12月4日のロスでトロスからメキシコの“客人”レイ・メンドーサへ移動する。馬場の来るロスの年内最終定期戦(12月19日)は“正義の銀髪鬼”王者ブラッシーとトロスのアメリカス選手権が組まれていた。日本が発表した文言からするとUNはアメリカスより格上に思えるが、ロス側からするとアメリカスが絶対的に格上で、余所物王座は格下でなくてはならない。それより早く日本に持って行ってほしい厄介ものだったかもしれない。

 メンドーサは19日のドン・カーソン戦を最後に、ベルトを持ってメキシコに凱旋帰国。現地の専門誌では「ラス・アメリカス王座」とアメリカスと間違われている記述もあり、「ラス・ナシオネス・ウニダス」とUNの意味を正確に伝えたものもある。『ルチャ・リブレ』誌の巻頭では「私のベルトはメキシコのファンみんなのもの」と明かし、ラテンアメリカタワーで特写。年を越して、71年1月9日のアレナ・コリセオのリングでUNベルトはメキシコのファンにお披露目された。その日のタッグで王者メンドーサはブルー・デモンと組む。対戦相手はカルロフ・ラガルデ&柴田勝久。柴田さんはメンドーサのUNベルト姿を目撃したことになる。


※メンドーサが新王者に。赤い革が外にはみ出すほど大きい。

※メキシコにベルトを持ってメキシコに凱旋した鉄人メンドーサ。

 1月15日の新春バトルロイヤルに合わせてロスに舞い戻ったメンドーサはUNベルトを手にし、マスカラスとタッグを組む。ここで改めてメンドーサのベルト写真を見ていて思わず「あっ!」と声を上げてしまった。先のポーズ写真はロスでの獲得後に撮られたもの。中央プレートの下の赤革が異常に大きい。最初の猪木獲得時の写真と赤革の大きさを比べてほしい。黒革ベルトのスロープも違う。明らかに別物だ。

 さらにメキシコに持ち帰った次のメンドーサの写真を見てほしい。中央プレート下は赤革ではなく、黒革だ。デール・ルイスのベルトも黒のようだ。つまり日本プロレスは2本のベルトを送っていたのだ。するとルイスの黒が1号、パンテラ・ネグラから赤で2号、鉄人がメキシコに持って帰ったのは1号、そして猪木からのベルトが3号となる。中央プレートの中心部にも違いがある。2号と3号はやや隆起していて、1号と4号(77年以降)は平らに見える。

 2月17日のロス定期戦にメンドーサは出場したが、「トロスとの防衛戦を受けなかったために」を理由に王座を剥奪されてしまう。12月4日の王座移動の際に「カウントが早すぎた」とクレームが付いて、2ヵ月後にそれが受け入れられたというのだ。真偽はともかく“伏魔殿”らしい取って付けたような剥奪理由だ。

 それよりも肝心の2月17日にトロスはロスに来ていない。その頃はカンザスやセントルイスにいたのだ。トロスが姿を現すのは猪木と戦う2日前のTVマッチ。ラベールは猪木と戦わすためにどうしてもトロスを王者にしておかなければならなかった。メンドーサだとサイズも合わないばかりか、人気をメンドーサに持っていかれる。だから「絶対にトロス」なのだ。今日はここでタイムアップ。来週は猪木に端を発する3号ベルト登場のわけ。1号と2号の行方は…。そして4号ベルトはどうして生まれたのかを検証する。UNは4本もあった…竹内さんに報告したい!

『ビバ・ラ・ルチャVol. 37  嗚呼、愛しのゴング創刊50周年秘話 〜そして誰もいなくなった〜』
■日時 2018年8月26日(日) 開場12:30 開始13:00
■会場 新宿・ネイキッドロフト(東京都新宿区百人町1−5−1 百人町ビル1F)
■チケット 3000円(当日3500円)※飲食費別
■出演   “ドクトル・ルチャ”清水 勉
■司会進行 パニコXX
■電話予約 ネイキッドロフト03−3205−1556(16:30〜24:00)






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