[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[11.15]尾張の古戦場は今…

 先日、厚木市の奥にある愛川町へ行く。町のさらに奥へ。今回は古戦場の調査。昔、ここで「三増峠の戦い」があった。「何それ」って言われるかもしれないけど、1569年にこの地で武田信玄vs北条氏による合戦があった。川中島の合戦みたいに有名じゃないだけで、実はエストレージャ同士がガップリ四つでぶつかったG1級の大合戦なのだ(死傷者は両軍で数千名といわれている)。

 古戦場巡りは布陣図をもとに、恐ろしいばかりの想像力を働かせないと、山野に展開する兵馬の動きが見えてこない。民家もまばらなこの地は地形的にも当時の原型を残している。信玄公が本陣を置いたといわれる「旗立ての松」からは北条軍の動きが手に取るように見えたことであろう。ここからは遠くに新宿、横浜、江ノ島、伊豆、箱根までが一望できた。最高の立地である。


※三増の合戦場から信玄の本陣(正面の高い山)を望む。

 先月、クリスチャン・シメット夫妻を連れて日帰りで名古屋へ行く。尾張の古戦場といえば、桶狭間や小牧・長久手を思い出すが、どちらも造成・宅地化して見る影もない。いや、今日は尾張のプロレス古戦場の話をしなくては…。

 クリスチャンは“トレン・バラ”(弾丸列車)に乗れると前日から大興奮。昭和初期に計画された弾丸列車と新幹線計画は別もののようだが、メキシコ人たちは新幹線をこう呼ぶ(オンブレ・バラのバラ=弾丸だよ)。車窓から富士山を眺め、車内で駅弁を食べて大満足の2時間。名古屋駅に着くや定番の名古屋城見学をする(私のガイドは超マニアックだったはず)。本丸の隅々まで見学した後、クリスチャンがぜひ行きたいというので二の丸にある愛知県体育館へ。

 それにしても、ゴング時代に何度ここへ取材したことか、数えることはできない。翌日に別の町で取材が無い限り、新幹線の最終が22時過ぎだったので、泊まることは少なかった。試合が長引くと新幹線に飛び乗ることもよくあった。タクシーはいつも二之丸大手二之門(国・重要文化財)の外に待たせてあった(セミ前後に計算してタクシーを呼ぶ)。試合終了後、会場を走って出て暗がりの門をくぐったものである。懐かしいね。


※愛知県体育館の前でマスカラスとアルコンのポーズ。

 愛知県体育館ができたのは東京オリンピック開幕直前の1964年9月。それまでは名古屋市金山体育館が使われていた(行ったことはない)。金山ではアジア・タッグが7度、アジア・ヘビー級が1度行われているが、インターナショナル・ヘビーの選手権は1度も無かった。力道山としては箱がそれに相応しくないと判断したからだろうか。そういえば、故菊池孝さんから「金山は駅に近いけど、夏はクソ熱くかった」と聞いたことがある。

 65年の夏場所に大相撲は金山から愛知県体育館に移った。それ以降も金山はプロレスで使われ続けて、66年12月1日にインターナショナル・タッグ戦が行われている(馬場&吉村vsフリッツ・フォン・エリック&ターザン・ゾロ。日本プロレスは、その年に愛知県と金山を併用していた)。インター・タッグから2週間後の12月16日に東京プロレスが使い、69年4月20日に国際プロレスが使用したのがおそらく最後のようだ(サンダー杉山&ラッシャー木村vsスタン・スタージャック&タンク・モーガンのTWWA世界タッグ戦)。取り壊しはそれ以降であろう。JR金山駅のすぐ北にある日本特殊陶業市民会館(NTKホール)が跡地に建ったが、それとて竣工から45年が経過している。

 愛知県体育館の前でクリスチャンに「ここでヒガンテ馬場がボボ・ブラジルに敗れてインター王座から転落した(68年6月25日)。あれは大事件だった」と説明。他に72年のブルーザー&クラッシャーによる金網マッチ暴動事件、86年に猪木がアンドレからギブアップを奪った試合など、思いつく試合と事件を挙げて説明する。日本のプロレス史にも造詣がある彼はいちいち頷いて興味を示す(彼は日本のプロレス専門誌を1000冊以上所蔵している。そういえば奥さんの従弟ビジャノ4号も日本プロレス史好きだった)。

「そうだ、馬場vsスパイロス・アリオンのインター戦をやった日に、ここでマスカラスが鮫口のマスクを初めて使った」と教えると、クリスチャンは大喜び。それがラメの試合用だと知ると、さらに興奮していた。「そうそう、マスカラスとエル・アルコン(ハルコン)のマスカラ戦がここだよ」と言うと、「それってアレナ・メヒコのマスカラ戦の次の年だったよね。その時のビデオは持っているよ。メヒコに残っている動画も名古屋の試合だよ」と興奮は絶頂になる。「でも、そのマスカラ戦よりもメインのジャンボ鶴田vsキム・ドクの65分フルタイムは名勝負で話題になった」と私が説明すると、「日本は試合の日時と場所、観衆だけでなく、タイムや決め手まで前座からずっと残されている…それって世界的に見てすごいと思うよ。それで歴史が検証できる。日本は記録王国だ」と感心していた。


※マスカラスvsエル・アルコンの2度目のマスカラ戦。

 しかし、「このアレナはもう何年か後に消えるようだ」と告げると、クリスチャンの顔は急に暗くなった。老朽化したために、取り壊し案はかなり前からあったが、今年6月に県知事が初めて移転に向けて検討する意向を口にした。現在地の北、「名城公園北園」にある野球場あたりが新体育館の有力候補地だとか。現在の体育館の跡地は江戸時代に存在した旧二之丸御殿や馬場を復元・整備するらしいが、私は反対だ。馬場(調教路)ならまだしも、御殿の復元は本丸だけでもういい(復刻ものが好きでないから…)。

 これらの情報を詳しく教えてくれた名古屋市在住のコバカラスさんから、さらなる悲報が…。ミル・マスカラスがハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した(80年9月12日)ことで、全国のプロレスファンにその名がインプットされた、あの一宮市産業体育館が更地になったという情報だ。私の記憶によると、天井の高い立方体に近いような館内だった…。浅井嘉浩少年がマスカラスの控室を覗こうとして、百田の光ちゃんに摘まみだされた、なんて本人から話を聞いたことがある。ここでマスカラスのトペ・スイシーダを初めて目撃! 当時は外装も内装も新しく見えたのに、実は63年竣工なので愛知県体育館よりも古かったのだ。今年の3月31日をもって閉館し、同じ敷地に2019年に新体育館ができるらしい。

 そしてまた一つ、昭和の古戦場が消えてしまった。アルコン戦か、レイス戦か、どっちのビデオを見ようか…。






(C)辰巳出版