[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[11.29]インデアンの鬼きたる!

 先週は新日本プロレス『第2回ワールド大リーグ戦』に来日した“冷血仮面”サングレ・フリアについて書かせてもらった。そうしたら、「そういう二流ルチャドールのことを教えてください」という意見をいただいた。そこで少し考えてみたけど、二流のルチャドールって日本にあまり来てないんだよね。

 まず1956年4月に国際プロレス団に来日したラモン・ロモとヤキ・ローチャは二流ではないかと思う。メキシコマットでもその名を聞くことはないし、素性が全く出て来ない。でも、偉大なマエストロであるラウル・ロメロが選抜して連れて来たのだから、試合がヘタでもシュートは強かったはずだ(このメンバーでパリ遠征していることも確認できた)。

 彼らが来日したのは、力道山が東南アジア遠征から世界一周旅行を兼ねてサンフランシスコ、ハワイで試合した留守の出来事だった。どういうルートで木村政彦がメキシコから彼らを呼んだのかも見えてこない。

 鍵を握るのはラウル・ロメロの立場である。当時、メキシコ大使館調べの経歴書によれば、ロメロは現役のルチャドールであるばかりでなく、「元メキシコ・アマチュアレスリング連盟会長、メキシコ・スポーツ連盟の学校長、ルチャ・リブレ&ボクシング・コミッショナーの公式審判員」とある。木村はメキシコに居る柔道の弟子を使ってメキシコ・スポーツ連盟でレスリングを教えて、ロメロを口説いたというのが真相ではないかと思われる。ロメロのいた連盟のジムには柔道教室もあって、かつて「スズキ・サトシ」という日本人講師が教えていたこともある。


※国際プロレス団のボスター。主役はインディアンのヤキ・ローチャ。

 クリスチャン・シメットがロメロ家から入手した当時の大量の資料はこのシリーズの全貌を解くのに役立った。木村側の彼らへのリクエストは「インディアン」と「覆面」と「流血」だったと思われる。それまで素顔のストロングスタイルで戦ってきたロメロが白と黒(?)のマスクとわざわざロングタイツを持参して来日している。ヤキ・ローチャのヤキとはヤキ族の意味。メキシコのインディオとアメリカのインディアン(ネイティヴ・アメリカン)は同じで、先住民族の彼らには国境など無かった。当時映画で日本人たちを喜ばせた西部劇で、騎兵隊に敵隊するインディアンは野蛮な悪と表現されていた。

 パンフにはローチャはソノーラ渓谷のインディアンの酋長と紹介され、ポスターにも「インデアンの鬼きたる!」と主役のように描かれている。ファンはプロレスよりも怖いもの見たさ、本物(?)のインディアンを見たさで会場に詰め掛けたのかもしれない。ただし、ソノーラはヤキ族の北限であり、あながちローチャが偽者インディオとは言い難い。全くの余談だが、ヤキは1613年の支倉常長による慶長遣欧使節団から脱走してメキシコに残留した日本人の末裔という説もある。彼らはメキシコで唯一、米を油でなく水で炊き、草鞋を履き、モリと名乗る原住民やオカダという村もあるかららしい。

 月刊ファイトでは4月18日、大阪府立体育会館の初戦の模様がレポートされている。それによると、この試合を「ルールのないケンカ」と表現。日本初のルチャは予想外の乱戦でファンの度肝を抜いたようだ。

 木村&清美川vsロメロ&ローチャは、正統派ロメロの頭突きで清美川の瞼が切られて流血させた。当時まだ物珍しかった場外乱闘と流血戦にファンは騒然となる。そんな中でロメロは1本目に清美川をロメロ・スペシャルで仕留める。これに「メキシコ人を殺せ」と叫んでイスを投げつけた客がいて、「リング内はイスとバケツ、ビール瓶の山。中にはレンガさえ混じっていた。全く怪我人が出なかったのが不思議なくらいだ」とある。これって日本初の暴動じゃないか!

 2本目に木村が編み出した“猫手打ち”という技がどんなものかは不明だ。3本目も3度ほど場外戦があって危険極まりない状態になったようだが、木村が極力リング内で試合するように努めていたようだ。結果は61分タイムアップ。レポートでは「ここまでの雰囲気を盛り上げた対戦は近年珍しい」と評している。

 “近年”とは日本プロレスの力道山の試合を含めてということなのだろう。翌日、同所で行われる木村vsロメロの前哨戦としては上出来以上のパブリシティ効果があったと思われる。やはりガイジンの主役は怪しいインディオのローチャではなく、ロメロだったようだ。

 一方のセミに登場したラモン・ロモは大坪清隆との初戦で「リングを広く走り回って暴れたが、フライングメイヤー(首背負い投げ)のほかにあまり技がない選手。変化のない凡戦だった」と逆エビ固めと記録された技で2本取っているが、厳しい評価をされている。かなりのロートルだったようだ。


※黒マスクのラウル・ロメロとインディアン衣装のヤキ・ローチャ。

 彼らは全国を巡業して10試合を戦った。しかし、テレビの無いインディーは辛かったであろう。終盤には力道山帰国と一緒にシャープ兄弟が再来日し、日本プロレスに話題を持って行かれた。ロメロが鹿児島で木村に奪われたメキシコ・ジュニアヘビー級タイトルというのは全くの架空のもの。ジュニアヘビーならば少なくとも90キロ以上必要だが、ロメロはせいぜい80キロ弱だったはず。両国国際スタジアム(両国日大講堂)2連戦の初日(5月15日)にロメロ&ローチャが木村&清美川に奪われた中南米タッグというタイトルも存在しない。どっちもベルトすら無かったのでは?

 日本初のマスクマンだったラウル・ロメロ。小柄だけど高度なテクニックを持っていただけに、日本プロレスに来日していたら、ミスター・アトミックやマスカラスとまでは行かないまでも大きな話題となったであろう。日本初のマスクはデストロイヤーのように頭からスッポリ被るタイプではなく、後ろを紐で縛る現代と同じメキシコ製だったのだ。

 前述のようにロメロはこのシリーズのためにマスクを用意した。それに合わせて白と黒のロングタイツとマントまでも持ってきている。もしかしたら誰かから借りてきたとも考えられる。黒のマスクのデザインは蜘蛛だった。初代のラ・オンブレ・アラーニャか、ラ・アラーニャ・デ・モレロスがそれに該当する。恐らくアントニオ・マルティネスの作品ではないかと思われる。借りたか、その時、店にあったか…である。白はタイツとマントがお揃いで新調したかのように思われる。果たしてどうだったのか。


※タニマチ(?)たちと鹿児島での記念撮影。ここでもフルコスチュームなのは偉い。

 もう一つ驚かされたのは、この1ヵ月のツアーでロメロが雑誌、ポスター、パンフ、写真、各新聞の切り抜き記事を集めてメキシコに持ち帰っていること。A型のような几帳面な性格だったことがうかがえる。二流のローチャとロホのことを書くはずが、ロメロ先生の賛辞になってしまった。ちなみにヤキ族の末裔(?)ヤキ・ローチャが1956年のメキシコ使節団から脱走して日本に残留したという説はない。






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