[水]ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

[7.11]ジャーベの火を消すな



 先週のジャーベの話に「もう少し知りたい」という声をいただいた。中には「僕は身体が硬いけど、ドクトルにジャーベを掛けてほしい」と迫るM系の者もいた!? このようにジャーベに関心を持ってもらえるのは嬉しい限りだ。「ところでジャーベって何ですか?」となる。スペイン語で「LLAVE」は「鍵」「キー」を意味する。鍵を閉める=ロックする…つまりホールドするということに繋がっているわけだ。

 ルチャドールにインタビューする時、「あなたの得意技は?」という定番の質問がある。すると彼らは「ティラブソン(変型コブラツイスト)」とかジャーベの名を答える。ブラックマンも「トペ・コン・ヒーロ」とは言わず、ジャーベを挙げる。飛び技はジャーベ→決め技ではないのだ。土曜日の闘道館での「ジャーベ講座」では形だけに拘らず、メキシコ流の足の絡め方、脱出を困難にする腕の極め方などから解いていきたい。

 私はかつてアレナ・メヒコのルチャ教室の学校長をしていたラファエル・サラマンカが生徒たち(プロの選手)にジャーベの基礎を教え込んでいる授業を見学させてもらったことがある。コーチ陣にはリンゴ・メンドーサ、フランコ・コロンボ、グラン・コチースらディアブロ・ベラスコの門下が脇を固め、モドゥーロ、オンブレ・ベルデ、フエルサ・ゲレーラ、バルバ・ネグラらが受講していた。

 観ていると“なるほど”という部分がたくさんあった。さすが校長先生といった感じ。サラマンカから直接指導を受けてルチャドールになったのは、エル・アルコン、ドス・カラス、トニー・サラサール、エル・タリスマン、MS1、イホ・デル・サント、エル・ファンタスマらがいる。“ジャーベの創始者”ゴンサロ・アベンダーニョからサラマンカを経ての伝統技が彼らに伝えられたのである。


※ブラック・シャドーのラ・アレハンドリーナはいかが。

 これとは別ルート。ラウル・ロメロ→ディアブロ・ベラスコがもたらしたグアダラハラ流のジャーベもある。60年代〜80年代にそれらは絶頂期を迎え、産出された多くのエストレージャたちがメキシコ中に広める。先に述べたリンゴ、コロンボ、コチースだけでなく、エル・サタニコによって後進の若者たちに技術は伝えられていく。先日、急死したアルカンヘル・デ・ラ・ムエルテもベラスコの愛弟子で、アレナ・メヒコでベラスコ流のルチャを教えていたのに…残念でならない。ベラスコ流とアベンダーニョ流は見事に交わってEMLLの歴史を築いたといえる。

 ただ、近年、メキシコで試合を観ていると、昔に比べてジャーベが登場するシーンが激減したと思う。原因はすぐわかった。スタンドのムーブや飛び技が目立って、グラウンドレスリングが減ったからだ。これはメキシコに限らず、世界的な傾向なのかもしれない。グラウンドでの固め技が減り、選手たちは走ったり、飛んだりノンストップで動き続ける…(嘆かわしいなあ。プロレスもレスリングなのに…)。

 メキシコに限って言うならば、昔から蹴り技(パターダス)、投げ技(ランセ=スープレックスやボム系)からの「体固め」や「片エビ固め」でのフォール勝ちはほとんど見られない。あるとするならばセントーンのような落下技からだ。あるいは「トケ・エスパルダス」=変則エビ固めや「ラナ」=回転エビ固め系の変則フォール技が多い。つまりメキシコではジャーベのようなギブアップ技がフィニッシュの中心なのだ。だから、この国ではジャーベが突出して発達したのである。

 メキシコでは1960年代から6人タッグやタッグマッチが増え、シングルマッチが少なくなった。シングルはタイトルマッチか、前哨戦の遺恨試合、マスカラ戦、カベジェラ戦に限定される。シングルを任されるのは、ある程度の技術を必要とするトップ選手でなくてはならない。タイトルマッチの時にはフィニッシュのためにジャーベが必要となる。すべて3本勝負だから、勝利を掴むためには少なくとも2つ以上のジャーベがほしいところだ。

 たとえばエル・サントが選手権に出ると、カバージョで1本を取ったとしたら、2本取るために、カバージョでもいいのだが、それでは芸がない。出来るならばもう1つの必殺ジャーベがほしい。だから、サントはカバージョ以外にジャーベのレパートリーを多く揃えていた。サントの凄さはそうした部分にもあったのだ。タイトルマッチに出場するようなエストレージャは、ジャーベのバリエーションも豊富だということ。エル・ソリタリオ、アニバルらはジャーベを使い分けていた。カルロフ・ラガルデ、エル・サタニコ、アメリコ・ロッカといったルードの万年王者たちはいくつもジャーベを保有していた。

 メキシコに遠征して現地で世界タイトルに挑戦した日本人選手たちもジャーベが必要となる。だからそれで最低でも1本を取っている。ミステル・コマはスリーパーを使っていた。キタサワ(北沢幹之)は腕をクロスして背負うジャーベをアニバル戦で使った。これは世話になったというエストレージャ・ブランカから仕入れたものかもしれない。リキドウサンII(百田光雄)はアルゼンチン・バックブリーカー、グラン浜田は倒れた相手にリバースフルネルソンからブリッジするジャーベを、栗栖は付き人をしていたアントニオ猪木からパクって卍固めを使った。大仁田厚も卍固めだった。現地で仕入れる者もいれば、見よう見マネで、日本ではやったこともない技を使うこともあったようだ。

 2004年にはCMLLが全面協力でアレナ・メヒコのリングを週刊ゴングが貸し切って、ジャーベの撮影をしたことがある。それは私が以前からずっとやりたいと思っていた企画で、アトランティス、エル・タリスマン(イホ・デ・グラディアドール=アルトゥーロ・ベリシタイン)、リンゴ・メンドーサの3人に協力してもらい33種類のジャーベを実演してもらったのだ。これは週刊ゴング1040号に掲載した(カラー連続写真で10ページの企画もの)。興味のある方は見直してほしい。まだ、リンゴも元気で、アトランティスもフルコスチュームになって協力してくれた。その後、アレナ・メヒコでタリスマンは私に会うたびに「まだ、いろいろジャーベを用意しているから、またやるか?」と声を掛けてくる。本当は私も続編をやりたかったんだよ…。


※アトランティス、リンゴらの協力でジャーベ企画をやった。

 ジャーベの問題点は「入り方」だ。私はこれまでメキシコで数多くの試合を観て来てジャーベの技の入り方をいろいろ研究してきた。2004年の撮影の時も入り方から連写している。しかし、私の資料の中には、1点写真だけで、どうやって入るのかわからない本邦未公開の技も含まれている。土曜日のジャーベ講座では、そういう未知の技を実際に掛けて、ベストな入り方、極め方も検証していきたい。それと同時に何処が痛いのか、効くのかも、実際に技を掛けて試してみたい。もし一つ心配があるとすれば、白川さんの身体や関節が柔らかすぎて、中には極まらない技で出てくるかもしれないということか…(まあ、いろいろ試してみましょう)。

 私はジャーベを知ることがルチャ・リブレの神髄に近づく重要な「鍵」だと思っている。アトランティス、サタニコと、動けるベラスコ門下が少なくなってきた昨今、85年の伝統技法の火を消さないようにしなくては…というのが私の、そして残された彼らの切なる願いである。そんなベラスコ流の一端を披露できればと思う。土曜日を楽しみにしてほしい。






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