第80回 対抗戦の神通力

 3月31日に発売されるGスピリッツ最新号のテーマは『対抗戦』。ということで、今回は自分なりの対抗戦論を書いてみたい。
 夢のオールスター戦など過去に遡れば様々な対抗戦があるが、正直言うと、そのあたりは僕にとっても専門外なので、今回はあくまでも僕が生で体験してきた試合に限定して書いてみる。
 なんと言っても、個人的な体感で最も盛り上がっていたと思うのは、新日本プロレスvsUWFインターナショナルの東京ドーム決戦だ。よくドームでの興行は歓声が会場内に留まらず、拡散してしまうので、盛り上がりにくいとされている。ドームでプロレスの興行を観戦した経験のある人は分かると思うが、確かに観客1人の声援が会場全体に響くようなことはなく、くぐもってしまうため、野次が連鎖するようなことも起きずに、雰囲気も散漫で、集中しづらい感じになることが多い。ただ、あの新日本vsUインターはそんな空気をすべて凌駕してしまった。ドーム型の会場に歓声を散漫にさせる効果があるとするならば、その効果の許容量を超えるほどの歓声が巻き起こったのだ。
 僕は一番安い2階スタンド席(3000円)で観戦したのだが、会場の熱狂が上へ上へとのぼってくるような不思議な感覚をおぼえた。「ドームが揺れた」なんて表現はかなりチープだが、この時の会場はまさしくそんな感じ。全試合終了後、東京ドームの外に出ると、何人ものファンが「1、2、3、ダー!」と雄叫びを上げていた。
 あそこまでの異常な盛り上がりは、やはり対抗戦だったからこそだろう。今の感覚からすると想像すらできないようになってしまったが、当時のファンは「新日本こそ人類最強」「いや、Uインターこそ最強。新日本には負けるわけがない」と信じてやまなかった。そんな気持ちを生むほど、両団体にはスタイルやイデオロギーの違いが誰の目からも明らかなほどにあったのだ。
 そういう意味で言うと、今のプロレス界において、本当の意味での対抗戦が果たして存在するのかどうかは疑わしい。一時期行われていた新日本vsZERO1の対抗戦も、両団体の関係性を掘り下げていけば、確かに戦わなければいけない意味はあるのだが、橋本真也を筆頭にした当事者がほとんど残ってない今、両団体の抗争は長期間的なインパクトを生むことができなかった。しばらくプロレスを見てない人がたまたま観戦したのなら、団体対抗戦ではなく、新日本vs新日本にすら見えたかもしれない。
 最近、徐々に活発化している新日本とNOAHの対抗戦も扱い方が難しい。いまだに「アントニオ猪木とジャイアント馬場の遺伝子がぶつかる」なんて言い方をしている媒体もあるが、そんな色はかなり薄まっている。というか、ほぼ無いに等しい。なんとなく雰囲気や表面的なポーズとして、ストロングスタイルと王道というものが見て取れるが、それはファッションの違いみたいなもので、イデオロギーの差なんて大それた違いはないと思う。そこでどうやって対抗戦としての盛り上がりを生んでいくのか。そういう命題は今後、今以上に各選手へ求められることになるだろう。
 団体や個々の選手が意識して個性を身につけ、同時にこれまでの伝統を頑なまでに守り、他の団体に合わせていくようなことをせずにいけば、対抗戦の神通力はまだまだ残っていたのかもしれない。だが、それはあくまでも荒唐無稽な神通力であって、「どうせプロレスなんでしょ?」という言葉で片付けられてしまうような気もする。ある意味、こんな時代に生まれてプロレスラーになった選手たちが可哀想にも思えてくるから不思議だ。
 今後は『対抗戦』という戦いを再構築していかなくてはならない。“ともかく他団体同士が戦えばいい”という安易な考えでは通じない。お互いに個性を身につけ、さらに戦う理由もハッキリさせ、普段では見られないような緊張感が出てこなければ、所詮は表面的なもので終わってしまい、一部のファンしか盛り上がらないものになってしまう。それこそ本当に団体の存亡をかけるぐらいのことをしなければ、かつての新日本vsUインターのような盛り上がりを生むことはできないだろう。いっそのこと、プロレス界が総力を結集し、「今後5年間は他団体との交流を禁止し、各団体が自分たちの個性を徹底的に磨く」という条約を結ぶぐらいの思い切ったことをしてほしい。




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