第60回 非常ベルが鳴りやんだ今

 プロレス界には非常ベルが鳴っている――。そう表現したのは長州力だ。では、今のプロレス界は果たしてどんな状況なのだろう。未だに非常ベルがけたたましく鳴っているのだろうか?
 ここで「もうそんな状況は脱した」「未来は明るい」と書けば明らかに嘘だ。プロレス記者としては「危機は続いているが、うっすらと希望が見えてきている」なんて感じのニュアンスで書くことが正しいのかもしれない。
 でも、「本当にそうか?」と問われたならば、僕はやはり「違う」と答えるしかない。
 非常ベルが鳴っても無視し続け、いつしか非常ベルが鳴っていることすら忘れてしまった。気付けばあたり一面火の海。逃げ場などない。あっという間に炎上し、建物は全焼してしまう。それどころか、鎮火することすらままならない。そんな悲惨な状況を報じたニュース番組では「なぜこんな大惨事が起きてしまったのでしょう。行政には何かしら事前に取れる行動はなかったのでしょうか?」なんて言われている。たぶんそんな状況だ。
 遠回しに言うのはよそう。語弊を気にせず書いてしまえば、「プロレスは終わろうとしている」と思う。もう引き戻すことなどできない。
「そんなことはない」と感じる読者の方もいるだろう。たしかにテレビ中継だってあるし、専門誌もある。なんだかんだ言って、両国国技館や日本武道館にはお客さんが集まっているわけで、まだまだ捨てたもんじゃないだろう、そう言いたい気持ちも分かる。
 ただ、プロレスという分野がちゃんと届いているのはプロレスファンだけになってしまっているのは否定しようがないはずだ。ほんの十数年前は「これを見せれば、一般の人も絶対に面白いって感じるはずだ」と迷いもなく断言できた。「この中継をゴールデンタイムで放送すれば視聴率20パーセントだって夢じゃない」なんて思ったことだってある。でも、今のプロレス界を眺めて、「これを見せれば、世間だって巻き込める」と躊躇なく薦められる戦いがあるかどうか考えてみて欲しい。客観的に見て、そこで頷ける人はほとんどいないんじゃないだろうか?
 そんな思いは程度の差こそあれ、プロレスファンなら誰しも一度は感じたことのある気持ちだろう。僕も1人のプロレスファンとして如実にそれを感じている。例えば週刊プロレスを読んでいる時。僕はなにげに15年間も週刊プロレスを買っているが、1冊すべてを読むことがなくなってしまった。自分の気になる試合やインタビュー、好きな記者の文章を読むぐらいで、ほんの30分程度で終わってしまう。
 僕は高校生の頃、わざわざ約1時間も自転車に乗り、遠くのプロレスショップまで週刊プロレスの早売りを買いに行っていた。雨の時もあったし、授業をサボったこともある。そのぐらい僕にとっては待ち遠しいものだった。授業中にノートと教科書で誌面を隠しながら、飽きずに2度も3度も読み直していたぐらいに。
 しかし、そこまでのめり込んでいたのに、今は30分で飽きてしまうのだ。僕がプロレスを見過ぎてしまったのは事実だし、記者としてスレてしまった部分もあるかもしれない。でも、それを差し引いても、プロレス自体が発する熱が低下してしまっているんだと思う(一応断っておきますが、週刊プロレスがつまらないと言っているわけではありません)。
 記者としてもそれを実感するようになった。例えば、週刊ゴングという媒体がなくなり、所属していた記者・カメラマンもプロレス業界に散らばる形となったが、現実的に言って今もプロレスだけで食えている人間はごく一部だ。僕自身、今はプロレス記者だけで生活していない。パチンコやパチスロ雑誌の仕事もしているし、インタビュアーやライターとして他の媒体でも文章を書いている。これが20年前、30年前のことだったら、僕はプロレスだけで生活できていたはずだし、将来に不安を感じる必要もなかったはずだ。
 こんな現状を果たしてプロレスラーはどんな風に感じているのだろうか?ファンはそれをちゃんと感じ取っているし、マスコミは直接売り上げという形でイヤと言うほど目の前に突きつけられている。そこで、実際にリング上で戦っている主役のレスラーは何を思っているのか。それが、ある意味、僕の中でのテーマになってきている。そして、『Gスピリッツvol.9』で丸藤正道に聞きたかったのは、そんな疑問だ。
 後からテープ起こしをして気付いたのだが、僕の発した質問はまるで「今のプロレスはつまらない」と言いたいのを必死に隠しているようなものばかりで、かなり失礼な意見ばかりだった。ムッとされたり、嫌な表情をされてもおかしくないシチュエーション。でも、丸藤は僕の「今やプロレス記者はプロレスだけで食えない時代なんですよ」という意見を、まるで自分のことのように受け止めてくれた。「この人も必死に悩んでいるんだな」というのがヒシヒシと伝わってくる真摯な物言いには本当に感心させられた。
 レスラーにとっても今はシビアな状況だ。プロレス記者やフロントも同じだが、10年後プロレスだけで生活できる人は今の半数にも満たないだろう。以前なら「俺たちはメジャー団体の選手。一緒にしないでほしい」と言い切れただろうが、今はそんな強気な姿勢は保てない。プロレスだけで食えないのにプロレスをやるということは、観客論を置いてけぼりにして、自己満足だけでやることにも繋がる。すでに今はそんな状態になってきてしまっていると思う。
 もうプロレスは終わろうとしているのだから、くだらないことにこだわったり、足を引っ張り合ったり、何かを守ろうとしても意味がない。ちゃんと終われば、また新たに始めることだって可能なはず。だから、もしレスラーが「これをやれば絶対にプロレスのためになる」と思うことなら、周りがなんと言おうと実行すればいいのだ。それにマイナス面が伴うとしても、とにかくやった方がいい。それを許容できないプロレス業界ならとっとと潰れてしまえばいいのだから(その前に、どうせ終わってしまう)。
 今週末、丸藤正道vsKENTAの一戦が行われる。KENTAは自分を研ぎ澄ますことで、今の末期的状況を変えようとしてきた。対して丸藤は一歩引き、自分を見つめ直すことでプロレス界の現状を変えようとしている。試合直前の2人の発言を追っていくと、そこに現れているのは、紛れもなく「プロレスは終わろうとしている」という現実なのだ。
「今年のベストバウトは確実」なんて意見も起きているし、実際にそうなる可能性も高いが、言ってしまえば、『ベストバウト』なんてどうでもいい。今後何十年とプロレス大賞が続いていけば意味があるが、果たして10年後にこの賞が続いているかどうかすら分からない。そこにこだわるのではなくて、そんな価値観をぶち壊すような戦いを見せてもらいたい。
 それこそプロレスファンからは賛否両論が飛んで、専門誌でも大論争が巻き起こるような戦いになってもいい。とにかく「いい試合だった」「これが今年のベストバウトだな」なんて声だけで終わるような試合ではなく、それを飛び越えるような戦いを見せて欲しいし、2人はできるはずだ。できなかったら、他の誰にもできない。




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