第62回 この時代にプロレス記者として思うこと

 このコラムの第51回で僕はスランプに陥っていると書いたが、あれから約3ヵ月もの時間が過ぎても、いまだにスランプが続いている。ここ数回の丸藤vsKENTA戦に関するコラムもまったくもって自分の想いをまとめきれなかった。やはり以前のように大会を取材できていないことが原因のような気がしているが、コラムの出来に納得がいかないことは別としても、実際のところ、取材できないこと=悪いこととは限らないと思っている。
 プロレス記者として、プロレスと距離を取ることができて、逆にいろんなものが見えてきた。毎日のように記者会見や試合を取材し、プロレスにどっぷり浸かれば、会場の雰囲気やファンの素直な反応、選手のちょっとした成長などがちゃんと見えてくるし、それはプロレス記者として絶対に必要なことだ。しかし、近いからこそ見えなくなってしまうこともある。
 例をいくつか出してみよう。最近テレビ中継とはいえ、マッスル坂井自主興行を見る機会があった。僕はマッスル坂井という選手に対して常に興味を持ってきた。当然マッスル自体を見て楽しんできたし、高く評価してきた。しかし、今回はマッスル本戦ではないとはいえ、それに準ずる興行だったのにも関わらず、自分で自分に驚きを感じるほど、面白いと思えなかった。一時期は業界外にも通じる表現方法として評価されていたマッスルが、逆にドンドンプロレス内に閉じこもってしまい、内輪ウケを狙っているだけにしか見えなかったのだ。ただ、ずっとプロレスだけを取材していたら、これまでと同じように面白いと思っていたかもしれない。
 そして、もう1つは丸藤正道vs近藤修司の試合。たしかにいい試合ではあったし、場内も大きな盛りあがりを見せていた。僕が普通にプロレス記者をしていたら高評価を示すだろう。しかし、丸藤はGスピリッツのインタビューを見ても分かるように、今のプロレスに対して疑問を呈すようになっていた。KENTA戦でもそれを如実に表していたと思う。そして、近藤も週刊プロレス誌上で現在の重みのないプロレスを否定する意見を述べていた。そんな2人が戦ったのに、そこに展開されたのは、まさしく現代プロレスの象徴とも言える大技合戦だった。
 それを否定する気はサラサラないし、「なにが悪い?」と言われたら言い返す言葉はない。でも、マスコミとしては「言っていることとやっていることが違うじゃん」という突っ込みは入れないといけないはずだし、それを扱わなければ読者を裏切ることにもなる。でも、今現在、彼らの戦いに疑問を呈しているのは、それこそこのコラムぐらいなもので、僕が調べた限りではそれを否定する意見を見たことがない。賞賛するのは簡単だけれども、マスコミとしては当然もう一歩先を読者に提示することも必要ではないだろうか。
 そういう意味で言えば、隔月誌というペースで発刊されているGスピリッツは僕の考え方にマッチしていると言える。リアルタイムなテーマは扱えないけれども、自分の意図や考え方に即した企画やインタビューを掲載することが出来る。日々のニュースを追う必要はないから、自分が純粋に興味を感じた興行を取材することが許される。個人的に考えても、自分が思うように取材できることはプロレス記者として恵まれているのかもしれない。
 これが週刊ペースとなるとそうはいかない。ニュースや大会を追わなければいけないし、その中に自分の考えを落とし込むことも難しい。なにかを取材してそれを元に自分の思いを表現するというより、とにかく見たものを分かりやすく加工するだけで終わってしまう。そこに大きな価値が見出せればいいのだけれど、今のプロレス界でそんな簡単に魅力を伝えられるものなんてほとんどない。業界自体が縮小する一方で、モチベーションを保つのはとても難しいことなんじゃないかと思う。仮に僕が今、「週刊ゴングの記者をやれ」と言われたら、能力的には可能だとしても、精神的にはすぐに根を上げてしまうと思う。
 それならば、携帯サイトの記者の方がいい。団体のオフィシャルサイトとなると、ほぼ全大会を取材することになるから、肉体的にはハードだ。しかし、毎日取材していれば、その団体について報道する時にブレを感じなくなるし、それだけ近い距離だからこそできる企画だって増えてくる。例えば、もし僕が今でもNOAHオフィシャルサイトの仕事をしていたとしたら、丸藤vsKENTA戦の前に、団体内全員の選手にその予想を立ててもらったり、試合後、改めて複数の選手に感想を聞いて、あの試合にはどんな意味が隠されていたのか、考察する企画をしていただろう。そういう企画は今や週刊誌ではできないのだ。
 これまでのプロレス界ならば、マスコミは団体と近すぎず、かといって遠すぎない関係を築くのが一番いいとされてきた。しかし、今後は近づくか、遠ざかるかを選ばなければいけない。プロレスに出来る限り近づいて、あくまでもマニア向けに情報を出していくのか。それとも、逆にプロレスから一歩離れて、徹底的に厳しく業界を検証し、もうプロレスから離れていってしまったファンに呼びかけたり、それこそまったく違う切り口でプロレスを再構築し、プロレスに興味のない人たちの目を引くのか。そのぐらい極端なものでなければ、雑誌として成立しない時代に来ているのではないだろうか。
「近づくか?それとも離れるか?」というテーマはマスコミだけではなく、プロレス業界にも当てはまる。もう世間なんていう漠然としたものは捨てて、あくまでもマニア向けと割り切った形でプロレスを商業ベースに乗せるか?それとも、今のファンを切り捨ててでも、新しいファンを開拓する可能性に懸けるのか?団体としてどちらも“選ばない”という選択肢はありかもしれないが、今のプロレス界はどちらも“選べない”ままその場凌ぎを続けているような気がする。
 なにを言ったところで、劇的な変化を望める状況ではない。“口コミで1人ずつファンを増やす”なんて言い方はプロレス界では美徳とされてきたが、もしそれが本当に可能で、現実的ならば、みんなそうするだろうし、すでにいくつかの団体は新たなファン層を獲得できているはずだ。それ以前に、ファンを増やそうと思っていないレスラーや関係者は、その時点でプロレス界にいる資格がない。口コミで増えていても、それ以上にファンが減っていて、なんとか現状維持ができているだけでも実際はかなりマシな状況なのかもしれない。今は全てをやり尽くされた時代だ。どんな斬新なマッチメイクにも、どんな核心的なアイデアにも、新鮮さはなく、既視感ばかり感じてしまう。とにかく選手もフロントもマスコミも、そしてファンも頭を捻って、プロレス界がよりよくなるためにどうしたらいいか考えるしかないのだろう。考えたところでどうにもならないかもしれないが、考えないよりは絶対にマシなのだから。




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