第63回 菊地毅と世界ジュニア王座

 菊地毅の世界ジュニアヘビー級王座挑戦が決定した。王者・丸藤正道はベルトを奪取した土方隆司戦、60分時間切れ引き分けとなったKENTA戦、そして、全日本マットでの近藤修司戦とクオリティの高い試合を連発しているだけに、ここでの菊地挑戦に疑問の声が上がるのは仕方のないことかもしれない。「挑戦したいと言えば、誰だって挑戦できるのか?」という意見はもっともな話だし、「丸藤がせっかく名勝負を続けてきたのに、水を差す試合になる」なんていう糾弾も、あながち間違ってはいない。そのぐらい菊地の挑戦には逆風が吹いている。
 菊地はGHCの冠の付くベルトは一度も巻いたことのない選手だ。つまり、厳しい言い方をすれば、全盛期と呼べるのはそれ以前の全日本時代で、NOAHに来てからはプロレスラー人生の後半を送っているのだと思う。真っ向勝負が本分の菊地が若い選手と正面衝突しても勝てないのは年齢から見ても当然で、タイトル戦という部分だけを見ても、今回は05年6月のモハメド ヨネ戦(白GHC)以来、約3年半ぶりの挑戦となる(変則マッチは除く)。それだけ今の菊地はタイトル戦線から遠いところにいるのだ。
 小橋建太はデビュー記念日に祝福されると、同日デビューの菊地に対し、毎回のように「菊地さんもまだまだですよ」と声をかけてきた。小橋からすると、菊地はまだできる、もっとできると感じているのだと思う。
 ただ、菊地自身はそれに対し、声を大にして「よし。俺も頑張るぞ」と応えることができなくなってきていた。体格的に劣る中で、四天王プロレスという世界一過激なスタイルの試合を続けてきた菊地の体には大きなダメージが蓄積されてきているのだろう。NOAH初期は気持ちでそれをカバーして、IWGPジュニアタッグ王座を戴冠したが、少しずつ気持ちだけが前に出すぎて、体がついていかなくなってきた。
 2003年12月に丸藤&KENTAが当時保持していたGHCジュニアタッグ王座に百田光雄とのコンビで挑戦しているが、この時はそれほど感じられなかったほころびが、翌年5月の獣神サンダー・ライガー戦(GHCジュニアタイトルマッチ)では如実に見て取れるようになっていた。「もうそろそろ菊地にタイトル戦は厳しくなってきたかな」そんな思いがよぎって、寂しい気持ちになったのを今でも覚えている。
 しかし、それは厳しい現実であっても、決して恥ずべき事実ではない。菊地毅は目一杯の闘いを重ねてきたことは、どんなことがあっても揺らぐことではないのだから。菊地だからこそやってこれた、菊地だからこそ今でもプロレスが続けられている――。それは絶対的な真実だと思う。
 だからこそ、このタイミングで丸藤と戦うということには大きな重みがある。くしくも今回の挑戦に当たり、菊地は渕正信の名前を出した。1993年2月28日、全日本プロレス日本武道館大会。僕が忘れることの出来ないプロレス初観戦の日に、菊地は渕が保持していた世界ジュニアヘビー級王座に挑戦した。
 結果は惨敗だった。バックドロップの連発に次ぐ連発に完全KO負け。僕も15年以上プロレスを見てきたが、あそこまで徹底的にやられた選手の負け姿を見たことはほとんどない。トップコンテンダーだという自信は無惨にも打ち砕かれ、菊地は失意のどん底に落とされた。そこからはい上がり、渕からタイトルを奪取するのに、約3年半もの時間がかかったが、ある意味、この絶望から立ち上がって栄光を掴むまでの期間が菊地のレスラー人生でもっとも輝いていた時間なのかもしれない。
 意識的なのか、無意識なのかは分からないが、この渕戦の話題に自ら触れたということは、それだけの決意をしているという表れなんだと思う。
 菊地は2年前、丸藤とシングルで対戦し、なんの爪跡も残せず敗北している。丸藤のGHCヘビー級王座挑戦を前に、その査定マッチとして秋山が課した試合だったが、その秋山さえ「寂しい気持ちになった」と漏らしていた。
 結果が残せなかった丸藤が相手。しかも、かつて苦闘を強いられた世界ジュニア王座が懸けられたタイトルマッチ。菊地にとっては本当に厳しくてつらい戦いだ。これが最後のタイトルマッチになってもおかしくない。でも、そこにあえて挑もうとしている菊地を、どうしても応援したくなる。
 だからといって、試合に勝てるほどプロレスは甘くない。丸藤が必ず勝つと断言してもいいぐらいの状況だろう。だからこそ、丸藤は菊地の思いを受け止めた上で、菊地の気持ちを折り、介錯しなければならないのだと思う。それが丸藤にこの試合で課せられた使命だ。
 僕はただ、この試合が終わった瞬間、菊地の心に、むなしさや絶望ではなく、少しでもいいから、満足感があることを願っている。




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