第66回 “やりたいこと”と“求められること”

 現在発売中の月刊誌『スコラ』で関根勤さんをインタビューした。「男らしさ」という取っつきやすいテーマもあったし、何より関根さんがプロレスファンだったということもあって、取材自体とても盛り上がった。
 僕自身が一番興味深く感じたのは、“やりたいこと”と“求められること”のバランスについて。現在の関根さんの芸能界における立ち位置は、「ベテランという立場で若手芸人や他のタレントたちの言動をおもしろがる」というものだ。一見すると、手を抜いていたり、楽な立場にも見えるし、逆に言うと、もっともっと前に出て、自分の色を押し出せばいいのに、なんて感じることもある。
 でも、その裏側には関根さんなりの考えがあった。常に“視聴者”という視点を持っている関根さんは、自分が前に出て「ベテランのクセに目立とうとしてる」「若手の持ち味を消そうとしている」と思われるだろうと危惧していた。たとえ、自分自身が面白いと思われなくても、他者を活かすことによって、番組自体が盛り上がれば、当然番組の評判も上がって、放送期間も延び、必然的に自分自身がテレビに映る時間も増える。そこまで考えているというのだ。それこそが視聴者の視点から見た関根勤というタレントに求められていることだと話していた。
 しかし、関根さん自身が本当にやりたいことは違う。それはラジオや劇団『カンコンキンシアター』で見せているクドクドしくて、暑苦しいお笑いだ(もちろんいい意味で)。一部の熱狂的なファンにしか求められていないかもしれないが、それこそが関根さんが表現したいことなのだ。
 求めれている“ベテランとしての立場”と自分がやりたい“暑苦しいお笑い”。一見すると相反しているように見えるが、その両方がなければ、関根勤というものは成立しないという。関根さんはこのバランスをF1レースに例えていた。
 一般道を走れないレーシングカーは自分がやりたいお笑い。極端で過激なチューニングでかっ飛ばし、メチャクチャなレースを展開する。これに一般人が乗ると大怪我をしてしまう。そして、レース場で培ったものをうまく落とし込み、カスタマイズして、一般の道路を走れるようにしたのが、求められるお笑いだという。
 どちらか一方に偏るのではなく、その両方を徹底的に追いかけながら、間でバランスを取る。これはどんな仕事、どんな状況でも一番の理想型ではないだろうか。
 この話をプロレス界に置き換えてみよう。“レスラーがやりたいプロレス”と“ファンが求めるプロレス”の間でちゃんとバランスが取れているだろうか?
 僕が思うに、日本のプロレス界は“ファンが求めるプロレス”へ極端に傾倒した結果、歪なバランスが成立してしまったんじゃないかと思う。その状況でプロレスラーが増え、いつのまにか“レスラーがやりたいプロレス”という概念が形骸化してしまった。慌てて理想を作ろうとしても、出てくるのは夢物語か。はたまた妥協の産物か。へタをすれば屁理屈にしかならないこともある。
 大事なのは「両方の間を取る」のではなく、「両方を徹底的に追いかけながらバランスを取る」ことなのだと思う。変にファン至上主義になりすぎ、過激で大技中心の試合を組み立て、今度は手抜きに等しい感じなのに、妙な名称を付けてやりたいことなんだと誤魔化そうとしたりする。やりたいことも求められることも中途半端で終わってしまっているのではないだろうか。
 そういう意味でバランスを取れているレスラーは誰かと考えると、思いつくのは武藤敬司ぐらいかもしれない。絶対王者時代の小橋建太もいいバランスが取れていたと思う。若い選手に目を移すと、かなりブレている印象を受ける。例えば丸藤正道は「自分のやりたいプロレス」に針を振りたいけれど、「ファンが求めるプロレス」に応えてしまう癖があるし、森嶋猛は完全にバランスを崩して、一旦倒れ込んでしまった感すらある。新日本の中邑真輔、後藤洋央紀、全日本の諏訪魔あたりも、この平衡感覚が持てないまま苦しんでいる。唯一、棚橋弘至がそれを感覚的に掴んでいるのかもしれない。他に若い選手で完璧にできているのは、CIMAぐらいのものだろう。
 自分のやりたいプロレスを追求し、それをファンが求めるプロレスに重ねさせる。そのために必要なものは“意志”だと思う。
 関根さんはこれまで自分の燃えたぎるようなやりたいことへの意欲をどう抑えて、現実に落とし込むか苦労してきたが、今は「果たして俺は自分のやりたいお笑いがまだできるのだろうか?」と逆の不安を感じるようになってきたという。その意識自体、プロレス界よりも一歩も二歩も先に進んでいるだろう。そこには意志が感じられる。
 プロレス界以外の取材をするようになって感じるのも、様々な業界で成功している人には“意志”があるということだ。たとえアイドルだとしても、そこには明確な差が生まれている。
 今プロレス界を見渡して、明確な“意志”を感じさせてくれるレスラーはいるだろうか?僕もこれまで「プロレスラーの気持ちが見たい」なんて書き方をしてきたが、もっと明確に表現するなら“意志”という言葉がしっくりくる。自分のやりたいプロレスを貫く意志は当然のこと、ファンの声に応える意志もあれば、あえて無視する意志だってある。気持ちだけながら漠然と立ちこめるが、そこにしっかりとしたベクトルが加わることでさらに強さが生まれるんじゃないだろうか?来年こそそんな強じんな意志を感じさせるレスラーに出てきて欲しい。




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