第67回 レスラーとファンの明確なズレ

 12月7日、NOAHにとっては今年最後となる日本武道館大会が開催された。メインイベントとして行われたのが佐々木健介vs齋藤彰俊のGHCヘビー級選手権試合だった。
 試合終了後、防衛に成功した健介も、そして、3度目の挑戦にして至宝を団体に取り戻せなかった彰俊でさえも、妙に満足そうな表情を浮かべていたのが印象的だった。しかし、僕はどうしても釈然としない。戦った2人と観客との間に、大きな温度差があると感じたからだ。
 シリーズ前に専門誌に掲載された彰俊のインタビューを発端にして、“15年前の戦い”がクローズアップされた。空手を捨てきれず中途半端な立ち位置だった彰俊を、パワー・ウォリアーとしてまだまだとんっていた健介が徹底的に痛めつけ、プロレスの厳しさを植え付けたのだという。
 僕は正直なところ、その試合を見たわけではないし、記憶にも残っていない。それは記者として不勉強なだけなのかもしれないが、ここで1つ言っておきたいのは、そんな試合はこの日、武道館に集まった観客にとっては何の関係もないということだ。
 そういう過去のいきさつはあくまでも付加価値でしかない。武道館に来ているファンの全てがそれを認識しているわけはなく、ほとんどのファンはそんなことがあったことすら知らない。妙に15年前という言葉ばかりが先行していたが、本当ならば、2人の激しい戦いに引き込まれ、“健介と彰俊の間になにか因縁ってあったっけ?”と専門誌などを改めて調べてみたら、“こんな関係があったのか!”と発見する、そういう形であるべきなのだ。
 年内最後のビッグマッチにおけるメインイベント。そのシチュエーションから考えた時に、今回のタイトルマッチはそこまで満足いく試合ではなかった。悪い試合とまでは言わないが、2人の思い入れがリング上でぶつかり合って観客に伝線するような展開にはなりきれず、逆に少しそれてしまい、自己満足の方向に向かってしまったようにも見えた。試合後半、健介のビンタを食らい、彰俊がグッタリと倒れ込んだ場面から、やっと観客が熱を持つようになったが、それまでは盛り上がりたい観客を無意識に遠ざけている印象すら感じられた。
 本来、この試合は“団体外に流失してしまったベルトを、トップコンテンダー4人のタッグマッチを制した挑戦者が取り返しに行く”という待ちに待ったシチュエーションだったはずだ。しかし、彰俊からはそんな悲壮感や決意がいまひとつ感じられなかった。15年前に比べてプロレスラーとしては大きく成長したのかもしれないが、あの空手着時代の彰俊に満ちあふれていたはずの殺気や気迫が削ぎ落ちてしまっていたのではないか、そう思ってしまうほどに。
 そして、健介も15年前に持っていたレスラーとしての強さやプライドより、“GHCヘビー級王者としての自分”にとらわれてしまっていたんじゃないかと思う。25分以上戦うとか、スープレックスを連続して投げ合うとかじゃなく、観客は2人のシンプルな気持ちを見たかったはずなのに。
 それは、もしかすると、GHCヘビー級王座が持つ呪縛なのかもしれない。四天王プロレスの戦いが連鎖することが生まれたこのタイトルは、小橋建太が絶対王者としてベルトを防衛し続けることで明確な価値を生むようになった。しかし、その小橋の戦いが足かせとなり、その後の王者たちは苦しみ続けているように思う。“小橋のように相手の持ち味を引き出し、ギリギリまで攻め込まれても必ず勝って、最後は自分の強さまでアピールする”そんな命題を常に背負わされている気がする。
 ただ、それができたのは、小橋が特異なスタイルのレスラーだから。それにとらわれる必要はないし、もっと好き勝手にやって、まったく別の価値観をベルトに持たしてもいいはず。
 振り返ってみれば、GHCヘビー級王座が賭けられた試合で、ここ数年、本当の意味で名勝負と呼べる戦いはかなり少ない。前王者の森嶋は重圧に苦しんだし、その前の三沢は、年齢的に相手よりも自分との戦いが中心になっているため、語れる試合にはなっても、純粋な名勝負は生み出せないでいた(あえて挙げるならKENTA戦や丸藤戦だが、シチュエーション的な話題性に助けられていたような気がする)。当然、丸藤vsKENTAは名勝負だったが、仮にジュニア同士ということでそれを除いて考えると、2年前の丸藤vs秋山まで遡ることになるし、それこそベストバウト級の試合という意味で見れば、3年9ヵ月前の小橋vs力皇まで戻らないといけなくなってしまう。ジュニアの2大タイトルは丸藤&KENTA時代を引きずらずに、もう新しい戦いが始まっているのに、なぜかヘビー級王座には迷走しているイメージが付きまとっているのだ。
 試合後にシメっぽいアピールをしていた健介と彰俊を見て、たしかに声援を送っているファンもいたが、同じぐらい「そうじゃないんだよなあ」と感じたファンもいたんじゃないだろうか。そのズレは想像以上に大きい。そこにある温度差はそれこそNOAHだけじゃなく、プロレス界を覆うぐらいの問題点だと思う。
 僕は健介と彰俊が感情をぶつけ合う試合が見たかった。それができるのなら、名勝負になる必要もないし、試合時間だって5分で終わっても構わない。なのに、2人は“タイトルマッチではいい試合をしなければならない”という呪縛を取り払えなかったように見えた。そして、それを振り払った時はあまりにも遅すぎた。
 武道館の観客は、こんな不景気な時代でも、なにかしらの方法を使ってプロレスを見ようと思って集まってきたファンだ。プロレスを見て、興奮し、熱狂し、隙あらば絶叫したいと思っている。決して熱がないわけじゃない。早く発散したくてウズウズしているのだ。
 だから、僕はもっとレスラーたちはやりたいようにやってもらいたい。ファンはいい試合ばかり求めているように考えられているが、ある意味、今のプロレスファンは技ありきになってしまった“今時のいい試合”に飽きてしまっている。当たり前の意見だと思うがが、大技を連発することや、相手の持ち味を引き出すことや、シーソーゲームを見せることが大事なんじゃない。強さや凄さを見せつつも、先週書いたように、気持ちや意志を感じさせることが、本来ならいい試合の前提のはずなのだ。勝ちたいという想いでも、それこそ負けたくないという消極的な姿勢でもいい。ジェラシーや妬み、恨みなんていうネガティブなものだって構わない。そういう感情がハッキリ伝わってこないとファンだって気持ちが揺れ動かされない。小橋が熱狂を呼んでいたのも、実はその前提がまったくブレなかったことが原因なのだ。
 齋藤彰俊というレスラーは、もともとは怖さや強さが根本にあって、その中でたまに垣間見せる面白さが魅力だ。しかし、面白さが顔を出しすぎたあまり、本人が思っている“齋藤彰俊”とプロレスファンが見ている“齋藤彰俊”にはズレが生まれてしまっている。どんな試合でも手を抜かずに頑張ろうとしている彰俊はたしかに素晴らしい。だからこそ、このズレを直すのか、それとも意識的に大きくしていくのか、ハッキリしないといけない。
 プロレス界もレスラー個人も、狙ってあえてズレをだすようなことも必要だが、ど真ん中に投げているつもりなのに、観客にボールに…それどころかピンボールにしか見えないような状況は早急に変えていく必要があると思う。
※書ききれなかったので、セミのGHCタッグ戦と秋山vs森嶋戦については次週書きたいと思います。




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