第35回 初めてのプロレスコラム(下)

※今回も僕が高校時代に綴った初めてのプロレスコラム(後編)を紹介したいと思います。読むに耐えない文章ですが、若気の至りだと思って温かい目で見守ってください。

 長州力。
 はっきり言って嫌いなレスラーである。単調なレスリングスタイルも、そのレスラー人生から見た自分勝手な生き方も共感できない。しかし、この夏、私はそんな彼に大きく感情を揺れ動かされたのである。
 44歳、彼の年齢は20代後半から30代前半がピークと言われるプロスポーツ界においてベテランに入る。体力的に見てももう落ち目であるし、長年のファイトで肉体に蓄積されたダメージも相当なものであるはずだ。
 10人の選手を2ブロックに分け、総当たりのリーグ戦を行い、新日本プロレスで一番強い男を決めるという『G1クライマックス』。この夏は8月2日から6日までの5日間、両国国技館で行われた。彼はそれで前人未踏の全勝優勝を成し遂げたのである。
 初日、橋本真也戦。この男の蹴りは、バット2本を思いっきり振ったのと同じ衝撃があるという計測結果がある。現時点のチャンピオンだ。長州はそんなキックを全身に受けまくった。5年前の大会ではこの蹴りの前にKO負けをして引退問題にまで発展したことがある。しかし、今回は壮絶な潰し合いの後、ラリアット7連発で勝利をモノにした。しかし、この試合で彼は左膝靱帯を痛めてしまった。
 2日目、がっちりとテーピングされた左膝と古傷の首を攻められ、観客の誰もが負けを予感した時、彼は凄まじい形相で立ち上がり、ラリアット2連発で25歳の天山広吉を撃破。不戦勝を挟み4日目。愛弟子の佐々木健介をスリーパーで絞め落とし、レフェリーストップ勝ち。決勝への切符を手にした。しかし、どう見ても左足の状態は最悪、歩くのがやっとで、精神力だけで戦っているという感じだった。ドクターがずっと寄り添っている惨状なのである。
 最終日、別のブロックから勝ち上がってきた蝶野正洋との優勝決定戦。彼の足からサポーター、テーピングは消えていた。どうなってもかまわない、長州の決死の覚悟が読み取れる。試合は予想通り、左足とガラスの首への執拗な攻撃が続く展開だった。2階にある私の席にまで長州の悲鳴にも似たうめき声が聞こえてくる。もう負けだろう、そう思われるシーンが何度もあった。しかし、彼は何度も立ち上がり、そしてとうとう勝利をモノにしたのだ。
 勝った瞬間、若手選手とリングドクターが駆け上がった。彼の左膝は既にパンクしていたのだ。だが、応急処置を受けた足を引きずりながらも、トロフィーをもらった彼の顔は自信に満ちていた。
 私は彼を応援していたわけではないから、小橋健太の場合のような感動は起きなかった。しかし、またもやハンマーで叩かれたようなショックにみまわれたことは認めずにはいられなかった。
 いったい彼をこんな歳になってまでこんな激しいリングに向かわせるものとは何だろう。彼だけに限らずこの5連戦で様々な選手を見てきた。靱帯・半月板を損傷し、脇腹を痛め、優勝する可能性が無くなっても欠場せずに戦い続けたレスラー。靱帯を2本も失って、歩くことさえ困難なはずなのに、4mの高さのコーナーから相手選手以外は鉄柵とコンクリートの床しかない場外に飛び続け、頭蓋骨骨折(後に判明)という大怪我の中、勝利したレスラー。いろんな傷を負いながらも戦い続ける人間がここには存在する。女子レスラーにだって同じように、首をもう一度怪我したら命の保証はできないと医者に言われながらも試合を続ける人がいる。
 プロレスは、世間一般には悪く思われがちだが、実は凄いものなのである。一般人だったら入院を免れない怪我にみまわれても、休まず激しい試合を続ける。単純そうに見える技でも普通の人間が受けると死にかねない殺人技だったりもする。事実、プロの中でも死人だってでている。その昔、ガダルカナル・タカがロープに振られただけで骨折したそうだ。
 彼ら(彼女ら)はいったい何のためにそんなリングに上がり続けるのだろう。身体のことや辞めた後のことを考えたのなら、そんなことはできないはず。
 今回優勝した長州力はオーバーワークのため、血尿が出たそうだ。そこまで自分を追い詰められたからこそ今回の勝利がある。彼は勝利者インタビューでこういう言葉を言っている。
「俺は今回誰一人に対しても“ありがとうございました”と言うつもりはない。俺一人で頑張ってきた」
「俺は絶対にギブアップしないよ」
「間違いなく優勝するのは俺だと自分でも確信していた」
「俺は自分に100点を付けるよ」
 彼がここまで言い切れるのはなぜか。それは彼が自己への強いプライドを持っているからではないだろうか。しかも、物凄い努力に裏付けされたプライドをだ。誰にも否定させない(時には頑固にも思えるが)気高いプライドが彼をここまで強くしたのである。レスラーはそんなプライドを守り、実践するためにリングに向かうのかもしれない。
 私には誇れるほどのプライドがない。あるのは現実味のない理想と屁理屈だけだ。口先だけだったら、どんなかっこいい文句や愛の言葉も言える。でもそれは所詮は嘘だ。地に足の付いていない嘘八百だ。今、必要なのは思想論机上の空論のような言葉ではなく、レスラーのようにプライドを持てるような何かに熱中することなのではないか、そう思えて仕方ない。
 人間いろいろなことで悩む。迷ったり、後悔もする。いったいどこに答えがあるのだろう。誰かに頼ったり、教えを乞うたり、甘えたりもする。人や時代のせいにしてしまう。
 しかし、結局のところ、そんなことをしていても答えなど出ない。もっと簡単なことなのだ。頑張り続けるしかないのである。ピンと背筋を伸ばし、プライドを持ち続けるしかないのである。何もかもが流されていく世の中で、プライドだけが人間の個性を形成する。
 みんな『ひとり』なのである。みんなで何かをやり遂げる、それも絶対に必要なことだ。しかし、『ひとり』なのである。周りはあくまでもプラスアルファ。本当に大事なのは、他人の評価やそれからつながる利益ではなく、自分の気持ちなのだ。
「こんな面倒くさいことやってられるかよ」
 中学時代、運動部にいた頃によく聞いた言葉だ。そう口々に良いながら、塾だのと嘘をついて部活をサボるヤツがいた。この高校にもそういう人間が存在するはずだ。
 そういう人間にはプライドがないのか。自分の責任で入ったのだから、最後までやり遂げるべきなんじゃないのか。一度も部活をサボらなかった私の中学3年間、プライドと自信はしっかり残った。
 他人は他人、自分は自分、事なかれ主義、そんなのはもう嫌だ。自分が認められないことは断固として拒否する。意固地と言われてもそんな風になれるプライドを持ちたい。そこには他人の評価や栄光は存在しないかもしれない。そして、それはただの自己満足かもしれない。ない方が楽に決まっている。しかし、そうすればきっと自分自身を誉めることができて、もっともっと自分を好きになれるはずだ。答えとは、他の誰からでもない自分自身が自分を認め、評価することから生まれるのである。
 今回挙げた2人のレスラーも所詮は天才だっただけなのかもしれない。彼らの下には、どうにもならない壁に阻まれ沈んでいった人々が沢山いるはず。彼らに自分を重ねている私は、結局は何もできない大馬鹿なのかもしれない。
 才能に勝る努力なし。結果論で言えばそれは事実だろう。しかし、大事なのは結果ではなく過程だ。勝負に負けたって、人を感動させたり、自分を満足させることはできる。思い、追い続けてきた時間は決して無駄じゃない。チャンピオンベルトはいつか誰かに奪われてしまう。残るのはぶざまな敗北者。そして朽ち果てた身体だけで、目に見えるものは何一つ残りはしない。しかし、チャンピオンだったという誇り、そして観客たちの感動はいつまでも消えることはないのだ。
 私はこれからも何度も堂々巡りを続けることだろう。だが、ありきたりの文句だが、自分だけには嘘をつきたくない。どんな時でも一本プライドという名の芯の通った人間でありたい。誰も見ていなくたっていい。自分自身がちゃんと見ていてくれるから。


 2回に分けて、無駄に長いコラムを紹介したが、いかがだっただろうか。正直なところ、私見が多すぎてノンフィクションにもコラムにもなっていないし、クドクドと自分の思いばかり書いていて、読み物として成立できていないようにも感じる。今、僕がこの文章を添削する立場だったら、書ききれないほどの訂正を加えるだろう。
 けれど、当時から僕がプロレスを通じて何を訴えたいか、という主題・着眼点は変わっていないように感じた。そういう意味では、ぶれないでここまで来れたなという達成感はある。
 当時の自分に「お前は将来、プロレスについてのコラムを毎週連載することになるんだよ」と教えてあげたら、大喜びするに違いない。だが、実際の今の僕はそんな感慨もなく、なんとなく漠然と文章を書いてしまうことが多い。昔の自分が持っていたであろうプライドもどんどんずれてきてしまったような気がする。過去に書いた自分の文章に負けないように、今後も精進していきたい。改めてそう思うことができたかつての自分との再会だった。




<<Back  Next>>
[終了]村上謙三久の『ファン上がり記者』トップ
(C)辰巳出版