第36回 世界に飛び出した同期に幸あれ

 潮崎豪が無期限の海外修行に旅立った。すでに一度は出発していたが、『グローバル・タッグリーグ戦’08』に出場するため、一時帰国。先日の武道館大会では師匠である小橋建太と激突したのは記憶に新しい。あえて何もせずにバックステージに消えたと思われたが、再度リング上に戻り、小橋と握手。武道館ではコメントを出さずに再び機上の人になった。
 潮崎は僕がマスコミに入った直前にNOAHに入団している。あえて言えば、ほぼ業界同期の人間だ。もちろん他の団体にも同じ時期にプロレス界に入った選手や関係者もいるはずだが、残念ながら僕はそんなに顔が広くない。潮崎が数少ない同期と断言してもいいだろう。
 ここで、お互い愚痴を吐き合ったとか、励まし合ったなんていうエピソードを披露できればいいのだけれど、当然ながらそんなことはない。ただ、僕が開場前のアリーナで仕事に追われいっぱいいっぱいの時にふと顔を上げると、近くで練習や雑務に追われていっぱいいっぱいの潮崎を見る機会が多かった。なんとなく互いを認識していたし、ちょっとした雑談をすることもあったが、現実的にデビューするまでは選手として認められないのがプロレス界の基本的な考えだから、名字は知っているというぐらいの漠然とした関係だった。
 最初は6人いた同期も、僕が記者になった頃には半数に減っていた。最終的には全て辞めてしまい、潮崎が入団する前から練習生として頑張っていた先輩も怪我を理由に脱退してしまう。仲間を失い精神的にも苦しそうだったが、1人になった時点でもう潮崎の心の中に「絶対にレスラーになってやる」という決意の萌芽が見て取れるようになっていた。
 格闘技経験もなく、警察官になるという目標も半ばにして頓挫してしまった男が、最後に辿り着いたグリーンのマット。そこへ実際に1人のレスラーとして立つことが許されるまで、1年2ヵ月もの時間がかかった。
 試合前に行われる若手の練習を毎日のように見えていると、どの練習生がレベルアップし、そろそろデビューが許されるのか分かるようになってくる。潮崎も努力を重ねた結果、初めはぎこちなかった受け身も上達してショルダースルーを食らっても大丈夫なようにまでなり、ロープワークのスピードもアップし、細かい技の練習も見られるようになってきていた。そしてそれまではKENTAが勤めていた小橋の付き人を変わって担当するようになり「もうそろそろじゃないか」という空気が団体内、そしてマスコミ、さらにはファンにまで少しずつ伝わるようになってきていた。
 実際に潮崎がリングに初めて立ったのは、2004年6月26日の京都KBSホール大会だった。マスコミはまず会場に入ると、パンフレット売り場にいるスタッフに当日の対戦カードをもらうのが通例となっているが、その日は事前に発表されていなかったバトルロイヤルが載っていた。不思議に思って確認すると、どうやら潮崎がデビュー(あくまでもプレデビュー)するらしいという話が。会場にいたのは、東京スポーツの記者とカメラマン、週刊プロレスのカメラマンと僕の4人のみ(ゴングには載ってません!)。なんとなく厳かな気持ちを感じながら、速報するためにノートパソコンに向かったのが印象に残っている。デビューした潮崎はスタッフや関係者に改めて礼をしていたが、その表情は完全にプロレスラーのそれに変わっていた。
 正式にデビューしたのは翌月のことだった。たぶん潮崎が本当に右も左も分からない新人だった時期の試合を一番見ていたのは僕だろう。毎日のように速報記事に「○○と初対決」「○○と初タッグ」なんて文字を打ち込んでいた。たとえ歩みは遅くても、必ず毎試合ごとにわずかながらに成長が感じ取れる。そんな新人選手のファイトはとても好感が持てたし、どの媒体よりも一番最初にインタビューがしたい、なんていう願望も芽生えていた。
 最初のインタビューこそ他媒体に持っていかれてしまったが、その年の年末に僕個人としては初めてじっくりと話を聞くことができた。1時間を越すインタビューは初めてだったという潮崎の喋りはまだまだぎこちなく、話が弾んだとは正直言えなかったが、1人のレスラーが着実にステップアップしていく様を行動だけでなく言葉としても切り取れたという意味ではとてもいい経験になった。
 初タイトル戦、七番勝負。潮崎は少しずつ存在感を発揮するようになっていく。一番面白くなっていた時期に僕はNOAHオフィシャルサイトの仕事を離れることになったのが、今にして思えばとてももったいなかった気がする。
 その後、潮崎は着実に成長していった。小橋のコピーと揶揄する声も一部ではあったかもしれないが、チョップの破壊力は増し、ゴーフラッシャーという独自の必殺技も開発。1人のレスラーとして完全に独り立ちを果たした。
 ただ、個人的にはまだまだ不満に感じる部分がある。プロレスラーとなる前にフリーターだったという潮崎は焼き肉屋でバイトし、そこで稼いだ金を使ってその店で焼き肉を食っていたというほどのん気な男だけれど、そういう性格が災いしてか、本当の意味で気持ちを爆発することがないままここまできてしまった気がしてならない。
 そこが若手時代の小橋との一番の違いだろう。技や存在感では当時の小橋になんら劣っていないのに、なぜか観客を熱狂させるような爆発を本当の意味で生むことができないできた。気持ちがないというわけじゃなく、どこかで照れて自分の本性を隠してしまうのか、ありのままの潮崎豪を見せつけられたと感じる瞬間がほんの少ししかないのだ。小橋とのチョップの打ち合いを展開した時にはそういう感情が垣間見えたが、普段から日常的に凄まじい熱気がリング上に立ちこめることはなかった。
 そういう意味では、このタイミングでの海外武者修行は潮崎にとって大きなプラスになるはず。シンプルに反応を示すアメリカのファンの前で試合、特にシングル戦を続けることは、潮崎を大きく変えることだろう。小橋との一番の違いは気持ちだと書いたが、逆に言えば、そこさえクリアできればタイトル戦線に絡めるレベルに達することになる。潮崎の本当の勝負はそこから始まるのだ。
 潮崎も僕もプロレス業界に入って共に5年。まだまだ若手の域を脱するには至っていないけれど、10年目を迎えた時、お互いにちゃんとした実績と結果がある形で、もう一度ロングインタビューがしたい。その時、潮崎はどんな言葉で自分の心境を語ってくれるのだろうか。




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