第37回 女子プロレスの凋落と再生

 珍しく(?)今日は女子プロレスについて書いてみたい。
 このコラムを読んでいる人で、現在女子プロレスの動向を完璧に把握している人はほんの一部だけではないかと思う。
 女子だけに限らず、今のプロレス界は情報が溢れかえっている。そこにはプラス面も当然あるが、同じようにマイナス面もある。情報を常に集め、各団体の動向を把握し、試合結果をわずかなディレイでも無くした状態で得ようとするならば、かなりの労力が必要だ。なんとなく新聞や専門誌を読むだけでは到底無理で、積極的に情報を集めなければならない。
 女子プロレスはさらにそんな現象が進んでいる上、集合離散も異常なほどのハイペースで進んでいる。今、いくつの団体があって、どんな戦いが繰り広げられているのか?どんな選手がいて、ファイトスタイルはどういうものか?ある程度のレベルまで理解している人はかなり少ないはずだ。モバイルゴング時代から女子プロレスのリリースを常時原稿にしている僕ですらそうで、正直その流れについていけない。
 専門誌の中に女子プロレスの記事を見つけても、読み飛ばしてしまうようになり、どうでもよくなっている人も多いのではないだろうか。今や女子プロレスは“プロレスファン”のものではなく、“女子プロレスファン”のものになってしまっている(それが一概に悪いこととも言えないから難しいが)。末期症状だと言っても過言ではないだろう。
 僕が一番女子プロレスに触れていたのは、後楽園ホールの係員時代だった。ちょうど全女が分裂する直前に僕は後楽園で働き始めていた。当時はすでに対抗戦ブームも終わりを告げ、各団体からは凄まじい熱気は感じられなかったが、それでも後楽園を満員にするぐらいの地力はあった。まだ、後楽園ホールの北側を潰すという発想がない時代に格好が付くぐらいの観客が集まっていたという事実は、今の現状から考えれば、かなり善戦していたと思う。GAEAにいたっては満員になる時も多かった。
 印象的なのは、団体の旗揚げ戦だ。1998年にアルシオンとネオレディースの旗揚げ戦が行われたが、この時の観客の入りは凄まじかった。特にアルシオンは、パイプイス席を増席(現在の後楽園のリングサイド席と比べると1.5〜2倍近くの席数があった)した状態なのに関わらず、完全に客席が埋まり、立ち見もギッシリ。ここまでの客入りはここ数年の後楽園でも見たことがない(それこそドラゴンゲートや新日本がIWGP戦やった場合よりも観客が集まった)。期待感が充満していて、「新しい何かが始まる」という予感をその超満員の観客全員が感じていたはずだ。
 あれから10年。一時期よりも回復傾向があるとはいえ、女子プロレスの凋落ぶりは目に余るものがある。あの期待感と観客たちはどこにいってしまったのだろう。プロレス自体が厳しい状況に追い込まれているが、そのペースから比べても驚異的なスピードで女子プロレスは危機に面した。(凄くないのに凄いと持ち上げ、欠点を指摘しないまま過ごしてきたプロレスマスコミにも原因があると僕は思っている)
 こんな状況だからこそ、くだらないこだわりは捨てるべきだ…なんて意見は選手からもマスコミからもファンからも出ているが、それは「団体の壁を取り払って、トップ同士が戦うべきだ」という意味ではない。熱心なファンはそこになにかを見いだすことができるかもしれないが、普通のプロレスファンや一般層にはまったく響く部分はないだろう。
 だぶん一番必要なのはしっかりとした枠組み作り。団体数を最低限に減らし、それぞれの団体の中でちゃんとした価値観や格付けを作っていく。そこに存在感が出てきたからこそ、団体対抗戦の意味ができる。こんな考えは大それたものじゃなく、それこそ誰にだってわかることだ。
 まあ、現状を考えれば、そんな余裕がないというのがシビアなところかもしれない。それこそ女子プロレスという分野が一度壊滅した方がちゃんとした世界観を構築できるような気もするけれど、今ある団体は必死に頑張っている。JWPやNEOはその歩みが評価され、観客数も増えてきているようだ。
 個人的に一番必要なのは女子プロレスの中の“プロレス”というものをしっかりとした形に戻すことだと思う。
 新人から自分の必殺技を連発しあっている試合を見て、ビックリしたことが多々ある。最近よく聞くサイコロジーという言葉を使うなら、女子プロレスラーにはそういう意識が欠けているんじゃないかと思う。
 例えばタッグマッチ。勝負所になると、試合権利のない選手が相手チームを分断するというのがプロレスの定石だが、女子プロレスはちゃんと場外に相手を落として足止めをするということは少なく、リング上で強引に押さえ込もうとして、ドタバタしたカットプレイを繰り返すことが多い。分断するならちゃんと分断するのが当たり前。それができないということは、勝とうという気持ちがないと判断されてもおかしくない。
 安易で気持ちのこもっていない反則攻撃、全然胸に響いてこない「この野郎」「死ね」という叫び声、ただの一記者でしかない僕の目から見ても、リング上のファイトに限定したとしても、改善点がいくつも浮かんでくる。
 以前、こんなことがあった。ある2人のレスラーの間に因縁が生まれ、その決着戦はハードコアマッチとして行われた。当然2人はテーブルやイスを駆使して戦うのだが、その激しさばかりが前に出て、気持ちがまったく見えてこない。見えてきたのは、ただきついことをしているというレスラーたちの苦しさだけ。命を張った戦いをしているのだけれど、過激にすればするほど観客は引いていった。それならばプロレスラーとしての技術を身に付け、攻防として進化させた上で、しっかりと気持ちを見せるべき。無意味に激しいファイトをするのではなくて、日々の努力によって生まれた技術に裏打ちされた戦いをした方がファンの胸には届くのに、そういう発想がないように見えて仕方なかった。
 アジャ・コングや北斗晶、豊田真奈美らが活躍していた全女の最盛期を、四天王や三銃士が展開していたプロレスよりも高く評価する関係者は意外なほど多い。凄まじい情念が立ちこめた当時の戦いは刺激的だった。ただ、あの時代の先に違った景色を想像できないまま来てしまい、悪い部分だけ当時の女子プロレスを引きずってしまっている気がする。雑な部分をしっかりと再構築していくことができれば、少なくとも女子プロレスという分野は落ちていくのではなく、少しずつでも前進していくことができるはずだ。世間がどうだとか言わずに、まずは一般のプロレスファンを取り込めるような、地に足を付けた戦いを重ねていって欲しいと思う。
 くだらない言い争いや仲違いは、選手だけでなく関係者レベルでも頻繁に発生しているが、本当にいい加減にして欲しい。そんなもの、ファンはまったく見たくない。ファンはだた“プロレス”が見たいのだ。




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